2015年7月25日土曜日

731部隊(2)


※Internet Explorer よりグーグルクローム(Google Chrome)で見るとスムーズに画面が動きます。


●映像でみる731部隊とは
(参考)黒い太陽731


終戦50年特別企画
終戦50周年731部隊


知ってるつもり「731部隊と医学者たち」


731細菌部隊と帝銀事件との真相1



毒ガス・731部隊展 8月15日(土)~18日(火)(大田区PIO)


藤本安馬講演(毒ガス)8月17日: 大田区PIOにおいて


毒ガスと抗がん剤


日本の薬漬け医療を斬る!!


近代医学の問題点!! 『大往生したけりゃ、医療とかかわるな』の著者と中村仁一先生と船瀬俊介先生対談



●空襲と731

・昭和20年3月東京大空襲の後、石井(731部隊長)は家族全員をハルピンへ呼び寄せた。
地位と金があったからできた!!

・自死した東大助教授Aはどうであったか。(南京1644部隊で中国人にコレラ菌等を飲ませて死なせた事を、苦にして自殺した。その当時コレラについての第一人者)
昭和20年4月、Aが所属していた伝研第2研究部長の田宮教授が東大医学部長兼人となり、研究部の方はA1人にまかせっきりになった。田宮教授は朝、家を出て、いったん、これも兼任の伝研所長室に立ち寄り、決済など最低限の用件を済ませるとそのまま医学部へ直行。終日戻る事はなかった。
(1920年5月の空襲で)Aは家を焼け出された後、和泉町の隣りの永福町に家を借り、毎日、伝研に通った。だが、この空襲以後、彼は目に見えてやつれていった。自宅では縁側でうずくまり、研究室では、茫然と窓の外を眺める時間が増えていった。「ウィスキー」を浴びるように飲むようになったのもこのころ。飲んでは酔い、酔ってはまた飲んだ。「ウィスキー」と言っても、研究用アルコールに砂糖を混ぜた代用品である。・・・(『細菌戦部隊と自決した2人の医学者』より)



バターン死の行進

60マイルの死の行進の途中のアメリカ軍捕虜の護衛の任に当たったのは、第16師団の無感動な歴戦の兵士あった。彼等のほとんど全ては、1月から2月初めにかけての第1回のバターン攻撃の際に傷を受けていた。また、下士官の多くは、1937年の12月から1938年1月にかけての南京虐殺事件の時、朝香宮と中島今朝吾の下で働いた連中であった。(『天皇の陰謀』下、バーガミニ著P339)

・バターン死の行進だけでは終らなかった。その後の収容所では生体実験が行なわれた!!(日本軍は細菌兵器の開発に余念が無かった!!)
バターン死の行進から奉天収容所




●松村高夫さん(慶応大学名誉教授):「731部隊を検証する」4.11
「731部隊を検証する」4 11 №1

「731部隊を検証する」4.11 №2

731で病理解剖否生体解剖?(500体以上?)をたくさんした人物、石川太刀雄、大量の消化管出血で急逝(被曝の影響か?)、もちろん学会誌は731部隊のことには全く触ず!!この人は、広島に原爆が投下された後、被曝調査に行って、生体解剖?をして、原爆の威力の調査を行った。治療ではない。731の免責の為にアメリカに好印象を与えようとした?


松村先生(当時慶応大学経済学部教授)が、慶大の図書館の倉庫でペスト菌の論文(高橋正彦という731部隊で活躍した人が中国で731部隊が行った細菌戦で731部隊で開発したペスト菌の効果を調べて論文にした)を発見すると慶応大学医学部の教授会は、その論文を貸し出し禁止にした!!
2000年9月9日『朝日新聞』「ペスト菌調査報告書あったー731部隊の細菌戦解明に光」
高橋正彦ペスト菌論文集発見を報じたものー『陸軍軍医学校防疫研究報告第2部』
・・・もしこれが健全な社会であったら、そんな社会はないのかもしれないが、真実が分かればきちんと追及するのではないのか?慶大医学部といい、京大・東大といえばエリートが集まるところではないか?なぜそこで、真実の探求、倫理の探求が出来ないのであろうか?縦社会、体育会系の体質が医学界にある?

731部隊による細菌戦と戦時•戦後医学 - 慶應義塾大学学術情報 .
「731部隊を検証する「4 11 №3

戦後731部隊の事を明らかにした画期的な本は、森村誠一さんの『悪魔の飽食』3部作で81年に第1部、82年に第2部、83年に第3部が出る。
第1部は旧部隊員30名ぐらいから聞き取りをやったり、戦前の医学論文を見たりして書き上げた。
第2部はアメリカで出た調査報告を中心に書いた。第3部は中国へ行って、現地調査をして書いた。
81年は大事な年で、常石敬一さんが『消えた細菌戦部隊』を出した。・・・
「731部隊を検証する」4.11 №4

「731部隊を検証する」4 11 №5

「悪魔の飽食」合唱団の公演、映像コンテストの案内など・・・4.11










ヒルレポート(総論)






●細菌戦資料センター総会(2015.4.7)
「衛生学校記事の公開」裁判の経過
4月7日NPO731細菌センター総会 001

活動報告
4月7日NPO731細菌センター総会 002

記念講演「細菌戦研究の最前線」近藤昭二
4月7日NPO731細菌センター総会 004



昭和20年9月20日日本にいた石井四郎が全国各地の隊員に伝達した通告

特別講演
「医師の歴史的・社会的責任ー731部隊ーABCC・RFEF・予研(感染研)・IAEA・UNSCEAR・日本財団ー重松逸造ー山下俊一・長瀧重信という人脈を解くー」
松井英介
4月7日NPO731細菌センター総会 005



質疑応答1
4月7日NPO731細菌センター総会 006

質疑応答2
4月7日NPO731細菌センター総会 007

問題提起
4月7日NPO731細菌センター総会 008





●奈須重雄さん(細菌戦資料センター理事):「731部隊による細菌戦を検証する」3.5公開学習会
「731部隊による細菌戦を検証する」3.5公開学習会№1

「731部隊による細菌戦を検証する」公開学習会2016年3月5日№2

「731部隊による細菌戦を検証する」公開学習会2016年3月5日№3

「731部隊による細菌戦を検証する」公開学習会2016年3月5日№4











●731部隊映像コンテスト 事前学習会


西里扶由子さんが熱く語る731部隊!!
2015年3月22日西里講演 001

(講演中の訂正)
農安細菌戦 1940年
衢県(くけん)、寧波(にんぽー)細菌戦 1940年
常徳細菌戦 1941年
広信、広豊、玉山細菌戦 1942年
(月刊保団連) 「旧日本軍による細菌兵器攻撃の事実-新発見史料

2015年3月22日西里講演 002


2015年3月22日西里講演 003

講演会資料








●「731部隊の裁判を検証する」2015年1月31日
司法の場では、731部隊の人体実験・細菌兵器開発・製造、細菌戦は事実認定されている!!日本政府は、なぜ731の残虐行為を認め、謝罪しない?
目下、自衛隊で継続して生物戦の研究を続行しているから?
「731部隊の裁判を検証する」(第3次家永教科書裁判弁護士:渡邊春己 2015,1.31


7分経過後「731部隊の裁判を検証する」(731部隊人体実験裁判弁護士:南典男)


3分経過後「731部隊の裁判を検証する」(731部隊細菌戦裁判弁護士:一瀬敬一郎)


「731部隊の裁判を検証する」質疑応答 2015.1.31



●731部隊展
一旦戦争を始めれば、国民は総動員され、残酷な事にもなれてしまう?

世田谷展
「731部隊と現代普通の~医者が生体実験 なぜ?」
講師 奈須重雄 (NPO法人731部隊・細菌戦資料センター理事)
世田谷展 奈須講演1

世田谷展 奈須講演2

731部隊でやったこと(生体実験・生体解剖・細菌兵器開発・細菌戦の実施)


731部隊・防疫給水部に従事した医学者の中には、自分のやったことに後悔し、自殺した者、命令を拒否した者もいた!!

戦後、731部隊の事は全く反省されず、放射能の被害についても隠蔽が続いている!!

731部隊ではデング熱の人体実験もされていた。陸軍でも生体実験は行われていた。戦後、精神病院の患者に対して行われた生体実験。

学会での批判と反批判。

戦後、精神病院・乳児院などで生体実験が行われていた。アメリカは731部隊での人体実験・細菌戦を公に認めている!!

731にいた友人の変わり果てた姿!!

大牟田爆発赤痢事件
大牟田「(いわゆる)爆発赤痢」研究会
九州大学生体解剖事件




[戦争の証言] 七三一部隊~人体実験
unit731


(参考)
Unit 731 Japanese Torture & Human Medical Experiments 部隊の真実


731で研究された生物戦のデータはアメリカに渡り、(ソ連もハバロフスクで追及し、細菌戦の概要を知った!!)戦後の日本でも研究が継続されている!!
だから、日本政府はまったく細菌戦について調査をする気がない!!(もちろん隠す目的)
2003年川田議員に対する小泉首相の答弁
「お尋ねの細菌戦に係る事実調査等については、本件の性格や時間的な経過に鑑みれば、更なる調査を行い、明確な形で事実関係を断定する事は極めて困難と考えるが、新たな事実が判明する場合には、歴史の事実として厳粛に受け止めていきたい。」

七三一部隊等の旧帝国陸軍防疫給水部に関する質問主意書
答弁本文情報

政権が変わっても全く同じ!!(医学界・旧軍人・天皇側の圧力が加わっている?)
2012年服部議員に対する野田首相の答弁
(細菌戦の効果を論文にまとめた「金子論文」が見つかっているのに、こんな答弁しか出来ない!!ほとんど小泉と同じ官僚の作文!!)
「お尋ねの細菌戦に係る検証作業については、本件の性格や時間的な経過に鑑みれば、更なる調査を行い、明確な形で事実関係を断定する事は極めて困難と考えるが、新たな事実が判明する場合には、歴史の事実として厳粛に受け止めていきたい。」

七三一部隊等の旧帝国陸軍防疫給水部に関する質問主意書
答弁本文情報

●11月22日細菌戦センター学習会
冷戦下の人体実験

医学系大学では、731の事を教えていない!!サーズは人工的に作られた?研究者は密室で何をしているか分からない。
中村明子先生と西里扶甬子対談 1


国立予防衛生研究所とはどんなところか?731部隊員は、予研では優遇された。自衛隊の園口忠男(第8代衛生学校長)は、予研では閣下と呼ばれていた!
自衛隊と予研の関係は?
中村明子先生と西里扶甬子対談 2

対談後の質疑応答

「衛生学校記事」情報公開裁判の報告

細菌戦センターからのお知らせ!!

731部隊に関与した医師・医学関係者     作成者:小俣和一郎
731部隊の犯罪を反省せぬ感染研

731部隊ではやはりデング熱の人体実験を行っていた!!
デング熱と731



戦後の日本医学界の風潮


(参考)
Mengeles Erben (4/10)




●アメリカに従属する日本!!
マスメディアに騙されるな!!オバマ大統領・ケリー国務長官はユダヤ人?なぜ、日本政府はアメリカのシリア侵略に追従するのだろうか?
イラク戦争と同じような過ちをくり返すな!!
化学兵器・シリア侵略①【ユダヤアメリカと犬コロ安倍】


イスラエルがパイプラインの利権を支配したい?シリアの天然ガスをエプソンモービル(ユダヤ石油資本)が欲しい?
化学兵器・シリア侵略②【ユダヤ石油資本とパイプラインの利権】


731部隊は今でも生きている!!731のデータはアメリカ・ソ連(ハバロフスクでソ連も追及していた!)にわたり、そしてもちろん日本においても生物戦・化学戦の研究は継続されている!!
化学兵器・シリア侵略③【化学兵器・生物兵器と731部隊】

※中国で細菌戦は実戦され、多くの被害者を出した!!。陶器爆弾は作られたが、実戦はされなかったようだ。実際にやったのはペストノミを混ぜた小麦、米の粒、紙片、木綿の詰め物などと一緒に落として、ペストを蔓延させた。また、井戸や饅頭などに細菌を混入して、細菌戦をした!!
細菌戦被害の人々


731での研究を悔やんだ医学者もいた!!(自殺した医学者もいた!!)バイオテクノロジーが魔の手に渡った!!
知ってるつもり「731部隊と医学者たち」



自衛隊は、戦時中の化学・生物戦の研究を進め、今でも最先端の技術を持っているのでは?
シリアの化学兵器廃棄に向けた我が国の協力

※石井四郎は戦後大学の教授や製薬会社の役員にはなってはいない!!
石井隊長の戦後1


ミドリ十字・・・731部隊員であった内藤良一らによって設立された。アメリカに支社を置き、生物戦などの情報をアメリカとやり取りしていたのでは?
以下(ウィキペディアより)
陸軍軍医学校軍医教官(中佐)だった内藤良一が中心となり、1950年に日本ブラッドバンクとして創立された。内藤は終戦後に京都市で小児科医をしていたが、輸血用血液の不足で亡くなる患者を目の当たりにして血液銀行の必要性を痛感し[要出典]、神戸銀行の出資を得て創業にこぎつけた。
内藤の起業した日本ブラッドバンクは、当初は輸血用血液の売買を主とするものの、各地に中小の血液銀行が乱立し、 競争が激化するに連れ人工血液製剤への移行を模索した。
ライシャワー事件から売血批判が巻き起こり、1964年8月28日の閣議決定により、血液銀行の業務が日本赤十字に一本化された。路線転換を迫られた内藤は、人工血液と血液製剤への移行を模索する一方、社名を創業以来の社章だった「緑十字形」からミドリ十字に改称した。
ミドリ十字は、血液製剤の企業として安定した収益があり、合併先には大手製薬会社の名前も取りざたされたが、吉富製薬と合併して法人格は消滅した。その後、医薬品業界の大規模な再編が進む中で三菱ウェルファーマとなり、医薬品業界の合併を経て現在は田辺三菱製薬となっている。
精神病者による社会改善要求
ライシャワー事件
ライシャワーという人


日本政府は生物戦・化学戦に多くのお金を使っている!!

今、世界の生物兵器開発研究所(もちろん日本にも立派な施設があるだろう)は、競ってエボラ出血熱やデング熱等の生物兵器を開発し、また、ワクチン研究もしているのであろうか?
下の写真は最盛期の陸軍軍医学校(新宿)。戦時下日本の医学界は、国家総動員法により戦争に全面協力した!!
防疫の名の下、中国、アジアの多くの実験施設と連絡を取りながらいったいどんな事が行われていたのだろうか!!(現在その跡地に建てられた研究所で秘かにどんな研究が日夜続けられているのか不安が募る!!)
日本政府は、未だ731部隊の罪業を隠し続け、人体実験、細菌戦の事実すら認めていない!!そして今日でも研究所や自衛隊などの研究施設で生物戦の研究の流れは脈々と受け継がれている!!

(参考)質問主意書
政府は、二〇〇〇年度補正予算案の中に、厚生省分として六五億円の生物・化学兵器テロ対策の整備費を計上しようとしている。
政府、防衛庁の進める核・生物・化学兵器対処研究が、大都市部で公然と行われることに対し、基地や研究施設などの周辺地域住民を始め、多くの国民は不安を持っている。生物・化学兵器の禁止が世界の流れとなっている中で、なぜ今、生物・化学兵器対処研究が必要なのか。 ・・・・・


自衛隊の「隠された実力」 中国は日本のライバルにもなれない=中国メディア
・・・・さらに日本国内には多くの原子力発電所が存在するとし、そのため「日本はすでに核兵器を製造するための能力があるのではないか」との懐疑的な見方もあると指摘した。






●安倍政権の「景気浮揚」の美名の下、また水面下で戦争ビジネスが加速しているのでは?
枯葉剤の製造には日本も関係があるのでは?

婦民新聞8月10日、20日合併号(2014年)
(参考)
ベトナム戦争では、枯葉剤も使用された。枯葉剤の研究も731部隊で行われていたと聞く。
「第2部には、我々の他に、八木沢班というのがあった。ここは植物や穀物を枯らす細菌の研究をしていた。ベトナム戦争の時に、アメリカ軍が、ベトナムで枯葉作戦というのを行なったということを知った。そして、この枯葉作戦は、731部隊八木沢班の研究が発展させられたものであるということを聞いた。何ともやりきれない想いにとらわれてしまった。
戦争は2度と起こしてはいけないと、心の中で念じつつ、筆を置くことしかできない今の自分を残念に思うことしきりである。」
「真相:石井細菌戦部隊 郡司洋子編」徳間書房より

枯葉剤の原料は三井化学が製造していた?
そしてもう1つ。「・・・この三井化学(戦時中、毒ガス工場のあった大久野島に毒ガスの原料となる化学物質を提供、供給していた)は戦後も生き残り、毒ガスの原料となる薬品をニュージーランドなどを経由し、アメリカにこの製品を売り、これが米軍の枯葉剤になったのです。ベトナム戦争で使われた枯葉剤の70%は日本製だと言われています。」(3月の「毒ガス連続学習会」より)
ベトナム戦争の枯葉剤で思い出すのは、ベトちゃんドクちゃんである。
ベトちゃんドクちゃんは、下半身がつながった結合双生児としてベトナムで産まれた双子の兄弟を指す、日本で一般に呼び習わされた愛称である。兄はグエン・ベト(Nguyễn Việt, 漢字: 阮越、1981年2月25日 - 2007年10月6日)、弟はグエン・ドク(Nguyễn Đức, 漢字: 阮德、1981年2月25日 - )。ベトナム戦争時に米軍が大量に散布した枯葉剤の被害者の可能性があると報道された。ベトが急性脳症となったことを契機として手術で分離した。
この分離手術は日本で行なわれたが、皮肉にもその枯葉剤の基礎研究みたいなものが731部隊で行なわれていて、それをアメリカが引きついで研究し、枯葉剤を製造し、ベトナム戦争で使った。
また、枯葉剤を搭載した爆撃機は沖縄から飛び立ったのかもしれない。
ベトナム戦争にも、戦後の日米同盟の中で、日本は間接的ではあるが、大きくかかわってしまった!!


●731
731部隊、医師の責任問う 滋賀医大名誉教授が著書
細菌兵器を開発した旧関東軍731部隊など、戦争に加担した医師の責任を探る著書「戦争と医学」を、滋賀医科大の西山勝夫名誉教授(72)がまとめた。人体実験の実態や、戦後も検証が進んでいないことを取り上げ、医師の倫理を問いかけている。
■人体実験、進まぬ検証
西山さんは社会医学が専門で、2000年に発足した「15年戦争と日本の医学医療研究会」の事務局長。文献の検証や中国での現地調査を重ね、医師と戦争の関わりを追及してきた。来年春に関西で開催される「第29回日本医学会総会」を前に、これまでの集大成として出版した。
著書では、731部隊に京都大出身の医師らが関与し、中国人捕虜の人体実験が行われたことなどを説明。終戦後は、「731部隊の実験結果を必要とした米国の思惑から、戦犯を免責された」という。戦後、同部隊の関係者らが、人体実験の結果を学位論文の資料に流用していることも指摘した。
07年に開かれた日本医学会総会で、西山さんらが医師の戦争加担を取り上げるように働きかけたが、実現しなかった経緯なども振り返っている。
西山さんは「二度と医師が戦争に巻き込まれ非人道的な行為に加担しないように、医学会自らが反省することが必要だ。来年の医学会総会でも議論してほしい」と訴えている。
文理閣刊。A5判、400ページ。3024円(税込み)


中国黒竜江省ハルビン市社会科学院の731問題国際研究センターがこのほど、旧日本軍の研究機関「731部隊」の元運転手だったという人物による証言録を公開した。「日本人は本当に恐ろしいことをした」「本当に中国人に申し訳ない」といった謝罪の言葉も含まれる。
731部隊の元運転手、「日本人は恐ろしいことをした」「中国人に申し訳ない」・・中国ハルビンで証言録公開―中国報道

産経新聞社長と中曽根元首相が慰安所づくり自慢「女の耐久度、どこの女がいい悪い、3千人のための慰安所」

ある中隊の元伍長は「もし日本が国民に対して歴史教育をしなかったら、日本は滅びるだろう」と語った。
少年兵の刺殺訓練に・・日本人戦犯8人が抗日戦争中の罪業を語る―中国メディア

蝋人形で審判風景を再現、日本戦犯審判法廷旧跡陳列館で設置完了―中国メディア


XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島 Unit 731, Hiroshima/Nagasaki, Chernobyl, Fukushima

●デング熱
かつて731部隊は中国で細菌戦をやった。このデング熱も、細菌戦の実験でなければいいのだが?!
細菌戦は自然流行か、人為的なのかよくわからない。
戦後、日本は731の反省を全くしていない!!。今でも秘かにどこかで細菌戦(生物戦)の研究は進められているのではないか?
代々木公園での規制は昔の731部隊が、中国で行った防疫活動を彷彿させる。
中国の細菌戦でもうまくコントロールができなかった?

参考)驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

==== 国立感染症研究所・旧国立予防衛生研究所(予研)====

戦後、米軍命令で予研が設立され、伝染病研究所から約半数が移籍している。
ここもまさしく731部隊の牙城、再就職先であり、柳沢謙(結核研究)、そして前述の福見秀雄など何人もの731関係者が在籍した。

そして、戦後も米軍と協力して密かに人体実験を続け、犠牲者を出している。ここにそのまとめがある。福見秀雄の名前が何度も出てくる。出展は、新井秀雄著「科学者として」(幻冬社)

「わしの本の予定と、『予研』問題のコンジョいる入門講座」 (宮崎学 2000/11/6)
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/8536/yoken.htm

薬害エイズの非加熱製剤を合格させたのも予研である。
また予研は1947年から1975年にかけてABCCに協力をしている。

1989年、住民の反対を押し切って、東京・新宿区戸山の旧陸軍軍医学校跡地に予研の建物を建設工事中、
大量の人骨が見つかった。ここには731部隊の日本における拠点があったため、その関連性が疑われている。
犠牲者の怨霊のしわざだろうか、ぞっとする事件である。

予研は薬害エイズ等であまりにも評判が悪くなったためか、1997年に国立感染症研究所に改称された。
(不祥事が起きると組織名を変えてごまかすのが日本の伝統である)

福島関連では、被ばくとは直接関係ないこともあって、この研究所の御用活動は今のところ目立っていない。
しかし、マイコプラズマ肺炎や風疹など得体の知れない感染症が流行し始めており、今後は要注意である。
これは稼ぎ時とばかりに、製薬会社とグルになって、効果ゼロかつ危険な副作用をもつワクチンをでっち上げ、
強制接種すべしと圧力をかけるかも知れない。

ちなみに、ここの先生方は子宮頸がんワクチンの恐ろしい副作用を「気のせい」と判断している。


●佐世保女子高生殺害解剖事件!!
佐世保・高1殺害 中間報告書、児相対応の詳細盛らず

佐世保女子高生殺害「報道」のナゾ――なぜ被害者「実名」、加害者「匿名」なのか?

「(加害者の)父親は大手通販の『ジャ・・・・・・・・』や佐世保市医師会の顧問弁護士のほか、倒産案件などを数多く手がける弁護士として知られています。
長崎佐世保の女子高生猟奇事件、犯人の父親は佐世保市の超有名企業の弁護務めていた!?話題の豪邸も納得か【追記あり】

母親=東京大学卒、佐世保市の教育委員かつ長崎県スケート連盟会長(病死)
佐世保女子高生殺害解剖事件!殺人鬼の人生壮絶過ぎる!!

佐世保事件、少女の鑑定留置決定 佐世保簡裁

「娘が起こした事件により、何の落ち度もないお嬢様が被害者となられたことについては、おわびの言葉さえ見つからない」

「体の中を見たかった」「人を殺して解体してみたかった」
「私たちに、今残されているのは、不気味な日常性の中で行なわれたものを今、痛みを持って思い起こすことであり、この多くの歴史的事実を絶えず現在の問題としてとらえ直すことであろう。」
『人間の価値』より

イギリスのデイリー・メール紙は「近年の日本で最も衝撃的な事件の一つ」、「日本で起きた犯罪の中でも最も陰惨なものの一つだ」と大きく伝えた

この加害者の少女Aは、有害なものを給食に入れたり、人体解剖をしたりと、全く731部隊員がやっていたようなことをした。(731部隊では、もっと恐ろしい生体解剖が日常的に行なわれていた。)
少女Aは小中学生のころ、医学書を読んだり、ネコを解剖したりしていた。その中に731の本もあったのだろう。中国で毒入りの饅頭を人目のつく所に置いたり、井戸や川に細菌を投げ込んだりしていたことや、部隊本部で生体解剖をしていたことも知っていたのではないか?
かつての日本軍が中国でやったこの非道なことが全く裁かれず、みんな何事もなかったかのように戦後生き抜けた医学者のことも知っていたのではないか。

少女Aは、小学6年生時代に同級生の給食に毒物を混ぜ込んだことがあり問題になったが、教諭の諭す言葉に少女Aこう答えたという。
「何が善で何が悪かは、大多数の意見で決まる。絶対というものはない。そしてその善悪を決めるのはこの『僕』だ」 
少女Aは自分のことを「僕」といっていた。

日本で731部隊を真似て、毒物混入事件は、たくさん起きている。
真相はまだ究明されていないが、「帝銀事件」「千葉大腸チフス事件」「名張毒ぶどう酒事件」、・・・
毒物を撒く事件は、「松本サリン事件」「地下鉄サリン事件」、そして、アメリカがいち早く、非加熱製剤の危険を察知し、加熱製剤に切り替えたにもかかわらず、日本は非加熱製剤を血友病患者に投与し続けた「薬害エイズ事件」。この他にも、水俣病をはじめとする様々な公害事件、福島原発事故等々。


中国には人知れず残虐に殺されたたくさんの松尾愛和さんがいる。


中学校の卒業文集に少女Aの「数える」という文章がある。


「僕が人生で本当のことを言えるのは、これから何度あるだろうか。
人生で、涙ぐむほど美しいものを見ることは、悲しみに声を枯らすことは、お別れのあいさつを書くことは、好きな人と手をつなぐことは?数えたら、きっと拍子抜けするだろう。
いま人生を始めたばかりの薄い肩に、どこまでも水平線が広がっている。
あまりにも短い航海の間、僕は何度心から生を叫べるか、正の字をつけて数えておこう。
この人生の幕引きに笑ってお辞儀ができたなら、僕はきっと幸せです」

報道によれば、いまだに加害者の少女は殺害した同級生へのお詫びの言葉を口にしていないという。
ここも、日本政府とそっくりだ!!
この文章の冒頭の部分が私には、こう聞こえて仕方がない。
「日本政府が国際舞台で本当のことを言えるのは、これから何度あるだろうか。
・・・・数えたらきっと拍子抜けするだろう。」と
この事件は、少女Aの個人的な事件ではなく、日本人自身が過去に向き合い、考えなければならない問題ではないのか?

女子生徒を鑑定留置 佐世保・同級生殺害
佐世保の加害者JKの卒業文集がステキ
松尾愛和さん猟奇殺人★加害者本人と家族、その周辺情報と報道★佐世保北高校生
「同級生殺害」娘を籍から抜いていた加害女生徒の父!直後に金属バット殴打
女子生徒は小中学生のころ、医学書を読んだり、ネコを解剖したりしていました。
4年前、同級生の給食に有害物質 高1殺害容疑の少女


(参考)長崎は731部隊と縁がある!!

まずは長崎大学から。
==== 長崎大学医学部(旧長崎医大) ====
山下俊一、高村昇らが活躍(暗躍)する長崎大医学部は元731部隊関係者の巣窟であった。少なくとも次の4人が関係者だと言われている。
林一郎(病理) 長崎大学名誉教授・日本先天異常学会会長
斎藤幸一郎 (生理) 長崎医科大学教授・金沢医科大学第1生理学教室教授
青木義勇 (細菌) 長崎医科大学教授
福見秀雄 (細菌・防疫) 長崎大学学長・長崎大学教授・ 国立予防衛生研究所(予研)第6代所長

福見秀雄は1980年に長崎大学学長に就任。
同年、長瀧重信が医学部教授に、のちに医学部長になっている。
長瀧の教え子が山下俊一、そのまた教え子が高村昇である。

長崎大医学部は、731部隊直系の研究組織と言ってよい。
そして、そこから御用学者が何人も出ていることは決して偶然ではない。


●731問題
(転載)
中国からのメッセージ!!
細菌戦に関与したのは、石井部隊だけではなく、関東軍主力が関わっていた。国際法違反は日本軍全体の問題である。日本側の検証を望む。

日本戦犯・三宅秀也:“指導”して楊靖宇を殺害した


三宅秀也の供述書公開 細菌戦に備えペスト研究を指示(三)

2014年7月29日原文:人民ネット―国際チャンネル
公開資料の22番目の日本戦犯は、三宅秀也の罪業供述書である。三宅秀也は、抗日英雄・楊靖宇等の犠牲に関与している。
1954年8月~1955年4月の供述書は、三宅が1902年、兵庫県生まれ、傀儡満州国熱河省警務庁警務課課長・傀儡奉天省警察庁庁長を歴任したと示している。

重要な罪業:
1936年には、偽熱河省と偽錦州省で共産党員や反満抗日思想を有する中国愛国者ら7066人を検挙し、「内一五〇名を『厳重処分』(死刑)に附して居ります」
1938年11月には、防疫本部の会議において、「偽新京のペスト防疫の完避を期するため偽農安県城をペスト病源地として、偽警察力を以て包囲し、外部との交通を完全に遮断することを決定しました」。「関東軍が石井部隊をしてペスト防疫業務を直接担当せしめたる主なる目的は、偽新京にペストの発生せるを好機とし、他日の細菌戦に備へ、石井部隊をしてペスト病菌に対する種々なる研究及実験をなさしめんとするに在りました。石井部隊は偽農安県城に於ても、偽警察の包囲下に於て、人民をペスト病菌に対する研究と実験の用に供して居ります」
1939年9月から1941年3月までは、所属の各偽警察機関を指導し、抗日聯軍第一路軍の「消滅」に協力し、「抗日聯軍約二千名を射殺し、約一千五百名を誘降し」、射殺された中には楊靖宇や陳翰章などもいた。
1942年8月3日には、偽慶安県警察隊に命令し、該県青風嶺附近で抗日聯軍第三路軍の許享植軍長を射殺した。
1944年7月から1945年8月まで偽奉天省警務庁庁長として在任中、部下に命令して刑法違反者を逮捕し、「一市六県のみにて中国人民一万二千一百八十名を『検挙』し四千五百六十五名を偽検察庁に送致致しました。偽検察庁に送致せられたる者の中、十四名は死刑を宣告せられ、偽監獄に於て屠殺せられました」(編集MA)


初めて知った戦争「大久野島」「731」

毒ガスのほとんどは大久野島で製造され、中国で大量に使用され、多くの中国人が犠牲になった。
使用前には、731部隊と516部隊(化学戦部隊)が合同でマルタ(=被験者)をトーチカに入れての人体実験や野外実験などで、効果を調べ、その結果をもとに実戦に使用した。
そして、敗戦で引き揚げる時にその毒ガスを中国に遺棄したため、今、中国ではその被害に多くの人が悩んでいる。
遺棄毒ガス訴訟、請求棄却 中国の少年2人が被害

鈴木啓久供述書:毒ガスを使用した!!

重要な罪行は次の通り。
1934年6月頃、錦州で「中国人の農民2名を殺害した」。
1935年3月上旬頃、高木大佐を援助し、「上板城附近で約300戸のある村二つを焼却し、多数の中国人民を殺害した」。
1940年9月、安徽省宣城作戦において、屋内に退避した抗日軍人約50名に「毒ガス攻撃で全員惨殺した」。
1941年、安徽省巣県に慰安所を設置したうえ、20名「中国の婦女及び朝鮮の婦女を誘拐して、慰安婦をなさせた」。
1941年11月、河北省棗強で八路軍を攻撃し「八路軍約10名を殺害し、約600戸のある村二つを焼却し、中国人の農民100名を虐殺した」。
1941年12月、「長城線附近2キロメートル内の」「住民を移転させ、無人地帯となさせた」。
1942年1月、唐山一帯で田浦大佐に対して掃蕩を命令し「約八〇〇戸のある村を焼却し、中国人の農民1000人を虐殺した」
中央檔案館が日本戦犯、鈴木啓久の中国侵略罪行自供抜粋を公開


日本人戦犯1人目・鈴木啓久の供述書を公開
瀋陽軍事裁判 「731榊原、満州国次長古海、皇帝溥儀等の証言、アヘン政策、三光作戦鈴木啓久 」


榊原秀夫(731部隊林口支部長)
榊原秀夫の供述書公開 731部隊の細菌戦に協力(一)

榊原が自供した重要な罪行として、以下のものが挙げられる。
「林口支部の任務に従って私は在職間、細菌戦準備の為に第一課長細矢少佐に命じ細菌保存培養を実施せしめました」。当時の生産量は、「中蘇国境の東部地面に撒毒し、極めて大量に蘇同盟軍隊のみならず中蘇両国の平和人民をも毀滅せしめるに充分な量」だった。
「細菌戦準備の為の捕鼠」では、「私は部隊全員を動員して捕鼠に従事致しました」。「間所少尉を長とし約二五名の捕鼠班を常時設置」し、「捕鼠により第七三一部隊に送附致しました鼠の総数は一九四五年四月に一〇〇〇匹、五月一〇〇〇〇匹、六月八〇〇〇匹、七月七〇〇〇匹総計二六〇〇〇匹」にのぼった。
1945年3月上旬,「私は第七三一部隊の命により」「支部の保存培養中のチフス菌、A型パラチフス菌の試験管二本を第七三一部隊第一部毒力検定班」に提出した。「両菌種共に第七三一部隊第一部保存菌中の標準毒力」に適合しており、「細菌戦の準備の為の保存培養に適」していた。「井戸水には効力の確実を期するために大体一・二本の試験管で屠殺し得ると計画したものであります」。「私は此の効力実験によりて四名の中国愛国者を殺害したものであります」
1945年4月には、黒竜江省安達県で、「私は安達に於ける殺人実験に参加致しました」。「中国愛国者の方四名」が「安達演習場に二五米―三〇米の間隔に地に打ち込んだ丸太の棒に縛りつけられました」。「軽爆撃機が演習場の上空に飛来し約一五〇米の高度より素焼製爆弾(陶器の一種)を投下し五〇米上空で炸裂しました」。「私は完全予防衣をつけ五・六〇〇米位の距離から此の惨行を見たものであります。此の爆弾は恐るべき炭疽菌を充填した爆弾で鼻咽腔より吸入せしめ当時絶対に生きることの見込のない肺炭疽に、或は破片により皮膚炭疽を起させる全く酷悪の罪行であり、私も此に参加したものであります」
1945年8月、「蘇聯軍開戦をラヂオに依り知り、直ちに自動車の出動準備を命じ、同時に一切の馬を除いた動物、即ち捕鼠した鼠、白鼠、モルモット、兎、蚤、及保存培養せる細菌を第七三一部隊に送附せしめました」。「部隊建物に藁を積み石油を準備し建物の焼却準備を実施し、更に部隊専用の水源地の給水ポンプの破壊を命じ破壊せしめました」。「細菌戦準備の為の一切の証拠物件を煙滅破壊したものであります」。(編集MA)
「人民網日本語版」2014年7月11日)

瀋陽軍事裁判 「731榊原、満州国次長古海、皇帝溥儀等の証言、アヘン政策、三光作戦鈴木啓久 」


上坪鉄一

重要な罪は次の通り。
1944年8月より1945年2月に亘る間、「鶏寧、平陽、東安地区に於いて部下分隊長に命じ、抗日地下工作員9名(氏名記憶せず)を検挙させ、厳重な拷問を以って取り調べの内、8名は特移扱いとしてハルビン特務機関を経て石井部隊に特移送らせた」。
1944年9、10月の間、検挙した中国人(ソ連諜)1名を「特移扱いとして」、「ハルビン憲兵隊に移送させ、該隊が石井部隊に特移送させる。」「特移扱いは『防諜(思想)上の重大犯人にして、特に未来逆用の見込みなきものは、特移扱いとして憲兵隊司令官に申請し、司令官の許可及び移送命令に依りハルビン憲兵隊に送致す』、ハルビン憲兵隊により石井部隊に送致し、石井部隊にては細菌研究の実験に供するものになるとハルビン憲兵隊戦務課長より告知された。」
1944年11月頃、勃利分隊に命じて、抗日地下工作員約90名を検挙し、1945年4月頃、「其の内10名(氏名記憶せず)は特移扱いとしてハルビン特務機関を経て石井部隊に特移送らせた」。
1945年4月初、平陽分隊が検挙した抗日人員8名を「特移扱いとして、ハルビン特務機関を経て石井部隊に特移送らせた」。
1945年5月、勃利分隊が検挙した抗日人員4名を「石井部隊に特移送らせた」。
「以上私の鶏寧、東安隊長として検挙した中国人は誰も愛国抗日の積極的先進分子にして、私は彼達の大部分を石井部隊に特移送り、最も非人道的な細菌研究の実験に供した」。
「私が鶏寧、東安憲兵隊長として部下憲兵に命じて抗日地下工作人員を検挙の上拷問を以って厳重たる取調べを実施させた者は、既報した者150名以上、内特移扱いとしてハルビン石井部隊に特移送らせた者44名、拷問致死2名である」。「報告し得ざる者も相当多数あることは確実である」。(翻訳・編集/呉寒氷)(新華網日本語))

731部隊とは


齋藤美夫の供述書 中国人を集団虐殺(二)

重要な罪行として、以下のものが挙げられる。
1937年11月初旬、新京北、南分隊及び首都警察庁の厳重処分に付すべき中国人約30人を新京北東北方約20キロの刑場に押送するよう命令。途中、全員が射殺された。
1939年8月8日、「河北より石井細菌化學部隊に引渡すべき中国人九〇名を哈爾濱、及孫吳に押送」する命令を下達した。1956年6月17日の訂正・追加自供書で彼は「被押送人員三〇名は哈爾濱に下車せしめられ石井部隊の細菌化学生体実験に、孫吳に下車せしめられた被押送人員約六〇名は習志野学校(瓦斯部隊)と石井部隊の協同による毒瓦斯弾効力実験特別演習の用に供せられたものなることを白濱大尉の事後報告により知りました」と記した。
1940年8月~1942年6月、広州市内および周辺村落で約200回捜査を行い、勾留人員は約1000人、検挙人員200人に達し、うち5分の1の40人を厳重処分に付した。
1941年6月~1942年6月、「私は派遣軍憲兵隊長として命令を以て約三回に亘り廣東憲兵隊をして同隊の検擧したる中国人民を『嚴重処分』として『集体屠殺(銃殺)』せしめました」「約一二〇名に達し」た。(編集NA)
「人民網日本語版」2014年7月23日)

飛びゆく雲 最後の戦犯は語る

日本人戦犯の中国侵略の罪の直筆供述書

戦時中、中国で731部隊員はこんなせりふを言い、たくさんの中国人を殺していたのですか?
「近くでペストが発生しました。予防薬をみなさんに飲んでいただかなくてはなりません。」
「さあ、どうぞ!!」

【安倍首相】731部隊・マルタ部隊を連想させるパフォーマンスを行ったって本当なの?

●731部隊
防疫研究室・731部隊及びアジア各地にあった細菌戦研究所は、現人神・大元帥であった昭和天皇の承認のもと、莫大な国家予算を使い、生体解剖・生体実験等をして、細菌兵器の開発や、毒ガスの研究、凍傷の研究などが行われた。
731部隊には、日本の各大学から優秀な若い教授候補の医学者が集められ、研究が進められた。その人集めに一役買って出たのが石井四郎の恩師、清野謙次だった。
731部隊にも、清野謙次(京大教授)が度々訪れ、いろいろとアドバイスをしていた!!
京都大学は、731部隊の中核を担い、清野をはじめ、その他の教授たちも多くの弟子たちを口説いて731に送り込んでいた!!
京都大学が731部隊の資料を隠すのには訳がある!!
きちんと京大は731部隊のことを展示してほしい!!
「731部隊」展示撤去 京大医学部資料館


随筆・遺稿(故清野謙次先生記念論文集より)

石井・・・今紹介を受けました石井であります。親孝行したい時には親はなし、先生にまだ御恩を報ずることもできないで誠に残念であります。大学院学生時代に眠り病が起こりまして、各大学が行っているのに京都大学だけが居眠ってると京都大学が眠り大学になるから、一つ京都大学は奮発して、この眠り病の本態を突き止めて頂きたい、とこう申し上げました。先生膝を打って賛成して下されて、あの大編成ができて、丸亀に本拠を置き、香川県の二豊郡に本拠を置いて一切の資料、お墓の屍体まで集めて、渡辺遍さんと共に、この、朝から晩までシャンペランを濾(こ)しまして
、遂に動物実験に成功して、東京に於ける学会に発表して、あらゆる反駁をそこに受けたんでありますが、とうとうまあウィルスであるということが承認されまして、日新医学の原稿(?)になったのはご存知の通りであります。
それからお前洋行して来い、ということを言われ陸軍から外国へ行きました。その時の深い感銘は、学問は日本で出来る、しかしながら世界の大人に会って、この、その偉大な人間が如何なる条件でこういう偉大な事業を成したかというその着眼と、方法とを、ガッチリ握ってきて、日本でやれば必ず出来るという話でした。それから英・米・仏・露、ロシアまで入りまして永くこの観点で見たのでありますが、どうも日本にとっても、一つも手をつけない大きなデフェクトがあるという事がわかりました。即ち日本に於いては非常に日本が偉いと、日清、日露、日独、済南、シベリア、こういう事変を通じてぐんぐん興隆の一途を進んで、日本の中にいる我々は、日本中が一等国であることを自負してましたが、この観点から世界の内面に入って考えると丸で逆であったのであります。それでもう一年も延ばして、これを少し徹底的につかみたいと思いましたが、ひとまず日本へ帰ってきて、内閣の諸侯と軍の首脳に報告しようと思いまして、先生を訪ねました。そりゃいいことをつかんだと、つかめないとこをつかむのがいいんだと。しかしながら、連戦連勝の日本、万世一系の天皇を上に頂いて隆々たる日本の何人もこれを耳にする人はございませんでした。誰も相手にしません。しかし既に、第一、民族の潰されたのが御存知の通りアメリカインディアンであります。第二の潰された、ほとんど潰された民族はモンゴリアンであります。第三番目にジャップであります。先生はこの着想を非常に喜ばれました。これは一つの大きなつかみ所だから、これをものにして将来を計画するのが一番いいということであります。
それでも非常に有頂天になっている日本として一番難しいことでありました。
そこで、自分で中々取り付く島もありませんから、陸軍軍医学校の教官に補せられたのを幸いにして、先生と相談し、又長与先生にも相談し、それから荒木にも相談しましたが皆、この着眼は、出た杭は必ずたたかれることがあるんだから、或いは然らんという考えでございました。
それで、陸軍、内地で全大学にお願いして出来る事と、内地で出来ない事の2種に、軍の再々の会議の結果決定致しまして、そして、内地で出来ないものは何とか別に方法を考えると、その為には、まあ気温の変化、環境が違うから、まあ北極、南極、赤道と3つの大きな、地球儀の大きなものを作って環境の変化を作ってもらう約束をしましたが、日本の力では、当時昭和5年でありましたが、内地に作る技術も無ければ、資力も無いということで、一つは赤道の直下へ行くがいいし、一つは満洲の北端に行けばいいということで、遂に研究所をそこに設けることにしたのであります。それから次々と発展致しまして、まず、戦地が4千キロに発展しまして、北は北満より、南はアンダマン、ジャワ、スマトラまでゆきまして、1年中同時に戦争があるものでありますから、これに対応策として、まず将兵の身体を保護して死亡率罹患率をなくするという国家百年の計をたてることに廟議一定しました。それで如何にして日本の国力を維持するかが問題であります。そこでまず陸軍軍医学校に研究室を作り、それから満洲ハルピンに(ロックフェラー・インスティチュートを中心に)。又南支に中山大学を中心に、その他、逐次研究室を作って行って、遂に324の研究所を作ったのであります。この結果、伝染病並びに伝染病死の率が下がり、大蔵省は非常に喜んで、これではまだ継続できるという結論になったのであります。その為に、ハルピンに大きな、まあ丸ビル14倍半ある研究所を作って頂きまして、それで中に電車もあり、飛行機も、一切のオール総合大学の研究所が出来まして、ここで真剣に研究したのであります。その時に先生が一番力を入れてくれたのが人的要素であります。各大学から一番優秀なプロフェッサー候補者を集めていただいたのがここにたくさん御列席になる石川教授、それから東北大学の岡本教授その他10数名の教授連でございます。そうして先生が、鶴見先生と一緒でございましたと思いますが、研究室をご覧になりまして、これはどうしても国家的なものにして育てねばならんというので、非常に力を入れて頂いたのであります。
その都度簡潔に御報告しますと、今度は、次は、とどこまでも先生が拍車をかけられまして、段々に、最後に大東亜の全面にわたって、この民族線防御の第1次完成をみたのであります。
ところがここで不意に中立条約を破ってソ連が出て来た為に、この敗戦の憂き目を蒙りまして、部隊は爆発し、一切の今までの何十巻にのぼるアルバイトも、感染病理に関する心魂込めて作った資料も全部焼かざるを得ない、悲運に到着したのであります。しかしながら頭に残った経験、残ったこの研究は今病理学会で、岡本教授、石川教授、ちらほらと出ます、又細菌については各教授になられた方が細菌学会でその片鱗を発表しておられますので非常に心強く思っております。
清野先生の構想はどこを叩いてもそれに応ずる反応があったんでありまして、今はよくこれをまとめて国家に奉納して、そして最後の日本の防御、破壊の防御、生々発展、再建にするようにと、わざわざ茨城県から出ていらっしゃいまして、私のうちにお泊りになって、このことを始終案じておられたことであります。(昭和31年9月3日 録音)



●毒ガス問題
日本政府は中国に遺棄した毒ガスの処理に全力をあげなくてはならない!!
天皇・皇族方の戦争責任を問う!!
天皇の親族、参謀総長閑院宮が毒ガスの使用指示を出した!!
大量の毒ガス弾は中国・日本近海に遺棄され、毒ガス弾の被害は今、中国・日本で起きている。そして、遺棄された毒ガス弾の海洋汚染は原発事故と相まって、大変なことになっているのではないか?

日本は1925年のジュネーブ議定書を無視し、主に中国で毒ガス兵器、細菌兵器を多用した!!
日本鬼子のおきみやげ(毒ガス)



上坂勝の毒ガス使用の証言

日本人戦犯3人目の供述書を公開 毒ガスで掃蕩 軍民多数を殺害(二)

上坂勝の1954年7月の供述書によると、上坂は1892年大分県生まれ。1934年3月~1941年11月、台湾で歩兵連隊の副隊長、大隊長を務め、階級は少佐、中佐。1945年6月に陸軍第五十九師団歩兵第五十三旅団長に任じられた。同年8月20日、朝鮮・咸興付近でソ連軍の俘虜となった

重要な罪行として、以下のものが挙げられる。
1942年2月頃、「歩兵第百六十三聯隊長大佐として河北省保定に蟠踞中」、「逮捕監禁しありたる中國人民約二十名を斬殺、刺殺等の方法により虐殺したる事件がありました」。3月頃、約10メートルの鉄道レールが除去されたため「十數人の容疑者を捕へて拷問し殺害三(四)人に及んだとの事でありました」。5月頃、「望都附近の鉄道沿線(望都西方約一粁)の一框舎が八路軍の急襲を受け全滅し輕機關銃及其の他の兵器を全部奪取せられた事件があり」、「約三〇名の住民を拷問し通謀者と目せられるもの約六名を殺害し框舎に接近して居る家に放火し三軒焼却したとの事であります」。
1942年5月27日、冀中作戦で「私は此の戰鬥に於て第一大隊をして八路軍及住民を殺害すること約八百人に上り」、「赤筒及緑筒の毒瓦斯を使用し機関銃の掃射と相俟って八路軍戰士のみならず逃げ迷ふ住民をも射殺しました、又部落内を『掃蕩』し多數の住民が遁入せる地下壕内に毒瓦斯赤筒、緑筒を投入して窒息せしめ或は苦痛のため飛び出す住民を射殺し刺殺し斬殺する等の残虐行為をいたしました」。「此の侵略作戰に於て聯隊が中國人民に與えた損害は殺人約一千一百名に及び家屋の破壊約十軒、焼失家屋約三軒、掠奪使用家屋約四五〇軒(約十日間)其の他中國人民約二四〇名を框舎構築(八個)のため酷使しました(約十日間)」。
1943年春、行唐西北方山地において第二大隊は「八路軍戰士や住民に對し殺害約二五〇名 焼失家屋約五〇軒」の損害をあたえた。「各部隊(前記行動間各道路を行進する先頭部隊)は住民の探知組を先頭に進め地雷を踏ましめて虐殺しました」。
1944年5月、河南省嵩県で兵士一人が行方不明になったために「住民十數人を捕へて」「殺害五(六)人に及び十二(三)軒の家屋を焼却したとの報告がありました」。
1945年6月、「此の轉進間第一第二大隊は出發當初より俘虜(約五十名位はあったと思ひます)を同行してゐましたが豆腐店南方地區で愈々前進困難となりましたので私は各部隊に『邪魔になる俘虜は殺害し我方の戦死者は指を切り取り持ち歸るべし』と命じました」「俘虜は全部殺害したとの報告がありました」。(編集NA)
「人民網日本語版」2014年7月7日


孫君の手紙


毒ガス処理を神戸製鋼がやる?なぜ?
(参考)安倍さんは神戸製鋼に3年間勤務している。(関係ない?)
2007年9月 安倍さんは、首相を辞任している。
安倍晋三

2007年12月 6日 (木)
交流協会毒ガス弾処理疑惑、神戸製鋼も関与か?


防衛省発注事業で神鋼にも疑惑浮上

●731問題
安倍のお爺さん、岸信介と731の関係は?情報公開せよ!!
日本人が忘れても、マルタの怨霊は日本の罪業を訴え続けている!!

安倍の行けない中国・韓国では731部隊の研究が盛んになってきている!!
「秘密保護法」の施行を急ぐ安倍政権の閣僚に世界からメッセージが届いています!!
とくとご覧下さい!!

侵華日軍第731部隊罪障陳列館(ハルピン)

中国が教える731部隊


生きた人を人体実験、日帝731部隊の恐ろしい蛮行


鉄証:731部隊の罪業

日本人の証言もありますよ!!
語り部フォーラム


韓国人「中国が731部隊の残虐行為証拠資料を公開、幼い子供にも人体実験していた日本」


731部队的真相(英文)2/5 731部隊の真実 the truth of Harbin Unit 731(English Narration)


731部隊のことは、アメリカのCDC(アメリカ疾病予防管理センター・・・1946年に創設され、アメリカ国内・国外を問わず、人々の健康と、安全の保護を主導する立場にある連邦機関。)のビデオでも紹介され、世界では公然の事実とされている。
インターネットエクスプローラーのグーグルで(グーグルクロームでは映りません。)
http://www.bt.cdc.gov/agent/plague/trainingmodule/1/02wmp.htmをご覧下さい!!

疾病管理予防センター(CDC): 谷川透訳

医学博士、科学博士 ジョアンヌ・コノー

人は中世以来、敵を殺し、敵の能力を奪うため、自然界に存在する生命体を用いてきた。
初期の例の一つは、14世紀にタタール軍が黒海沿岸の城郭都市カファを包囲攻撃したときに起きた。
腺ペストが発生してタタール人に猛威を振るい始めたとき、彼らはペストに罹って死んだ者の死体を投石器で市内に投げ込み、城壁の内部で腺ペストを勃発させることを決めた。
その後まもなく、城市の中で虐殺から身を守っていた人々は、突然ペストに襲われ、イタリアへ逃がれた。
彼らはこの伝染病を、彼ら自身でヨーロッパに運び、それが恐ろしい黒死病の大流行の始まりとなって、ヨーロッパの人口を激減させたのであった。
ペストの流行に関する今日のわれわれの知識によれば、ノミは人体が冷えるとすぐ人体を離れるので、人体を離れたノミによって元々市内に住んでいたネズミが感染し、市内で突然発生したペストが現実にカファ全域に広がった可能性は非常に高い。

日本帝国731部隊は、日本が戦争に動員され準備が整った1930年代と40年代に仕事をした。
この恐ろしい計画の立案者である石井四郎中将は、病気を殺人兵器に変える任務を帯びていた。
石井は特にペストに魅了されていたが、それはペストによる細菌戦攻撃が自然発生的な伝染病の様相を呈するからであった。
さらに、人から人への感染拡大は、最初に用いる(細菌戦)発動物の量に応じて、病気を発生させることが出来るからであった。
731部隊は、ペスト菌を霧状に散布したり、水に溶かして散布したりすることが出来なかった。そこで彼らは、ペストを感染拡大させるために、天然の病毒媒介昆虫――通常のノミ――を用いた。
感染ノミを搭載した陶器爆弾が中国本土の幾つかの都市に投下され、その住民に多数の感染を引き起こした。
ペストは恐怖心を生み、容易に感染拡大し、人々を迅速に殺すので、兵器として魅力的である。

合衆国の攻撃計画でもペストに関して若干の調査研究を行なったが、同国では完全に武器化することは出来なかった。
ペスト菌を大量に増殖させた時、人はその毒性を持った細菌を保有しつづける魅力に打ち勝つことが出来ない。

ペスト菌は武器であって、伝染力を持っている。われわれは過去を振り返って、そのことを強く感じる。さらに、ペスト菌をエアロゾルにして持ち歩かないよう管理することも問題だし、気象条件によってペスト菌が変異しうることも問題だし、細菌の形をとらなくても非常に感染性が強いことも問題だし、最後にペスト菌がどういう形をとってお終いになるのか、誰もコントロールすることが出来ない。
ペスト菌はきっと、帰ってきて、あなた方に噛みつくことでしょう。
あなた方の軍隊だけでなく、あなた方の友軍や同盟軍にも噛みつくことでしょう。

しかしながら、ソビエトの兵器工場では、ペスト菌はその伝染性ゆえにお気に入りの生命体である。
ソビエト軍は、米軍の経験した毒性の問題を克服した。
ソビエトの亡命者アリベック博士とのインタビューによれば、彼らは1,500トンのペスト菌をいつ如何なる時でも手にしており、それを大陸間弾道弾に搭載する準備が出来ているとのことである。
保管の問題のため、彼らは頻繁にペスト菌の備蓄を廃棄して、新しいものに替えるという。
われわれはテロリストによるペスト菌の使用に非常に関心がある。というのは、ペスト菌が自然界に見いだされるだけでなく、世界中の数多くの生物学資料供給所で入手できるからである。

「生物兵器による戦争とテロリズム;軍事上および公衆衛生上の対応」(アメリカ食品医薬品局発行、1999年)から脚色



<動画>日本軍の細菌戦の遼寧省で唯一公認の被害者が病死


中国(瀋陽)日本戦犯審判の特別軍事法廷旧跡陳列館が開館

日本人戦犯の中国侵略の罪の直筆供述書

<動画>郵便検閲書類が日本軍の細菌戦を実証

きちんと731部隊のことを展示してほしい!!
罪を認め尊敬されるようになったドイツ、歴史を否定し批判の的となった日本―中国メディア


「731部隊」展示撤去 京大医学部資料館
・・・731部隊の展示は2008年刊の「京都大医学部病理学教室百年史」から引用したパネル2枚。部隊長の石井四郎ら医学部出身者の関わりを、文献を示して解説。731部隊の「発祥の主たる舞台となった京都大学医学部としても検証が必要なのでは」と指摘していた。同資料館の管理担当者によると、完成記念式典の後ほどなく撤去したという。・・・・

<京大医学部資料館>731部隊の展示撤去 開館後間もなく
・・・医師の戦争責任を考える運動を続ける京都府保険医協会の垣田さち子理事長は「731部隊の検証に関しては、医学界の一部で消極的な声も強い。撤去の経緯が不透明で、事実を隠す意図があるのではないか」とし、協会として大学側に問い合わせる方針。


日本人は、過去の歴史を正視しよう!!
安倍首相「ドイツのような謝罪はしない」、中韓の要求を拒絶=韓国紙がその真意を読み解く―中国メディア

日本人戦犯裁いた軍事法廷陳列館、開館2カ月で1万人あまりが見学―中国


瀋陽軍事裁判 「731榊原、満州国次長古海、皇帝溥儀等の証言、アヘン政策、三光作戦鈴木啓久 」


中国公文書館、「戦犯」の供述書を公開、中韓首脳会談に合わせ日本批判
中国中央公文書館は3日、公式サイト上で旧日本軍の「戦犯」の供述書などの公開を始めた。中国政府が国連教育科学文化機関(ユネスコ)に記憶遺産として申請した、いわゆる慰安婦問題に関する詳述も含まれており、中韓首脳会談に合わせ、歴史問題で日本を揺さぶる狙いがうかがえる。公開が始まったのは、1956年に中国国内で起訴された45人の供述書など。1日に1人のペースで供述書を公開していくという。初日の同日は、「鈴木啓久陸軍中将」の供述書が公開された。同日、北京で記者会見した同館の李明華副館長は、鈴木中将が慰安所の設立を命じたことや、41~45年に複数回にわたり計約140人の中国人女性らを慰安婦として誘拐したことを認めていると強調した。また、南京事件に関するユネスコへの申請資料として、米国人牧師が撮った記録映画や裁判記録などを挙げた。李副館長は「安倍内閣は公然と白黒をゆがめ、対外侵略と植民地支配を美化している」と主張。「日本の右翼勢力が種々の悪行などを否定していることに反撃し、侵略中の反人道的な暴行を暴き出す」と公開理由を説明した。


イギリス人ジャーナリストワインマンの『悪魔の飽食』の書評
「『悪魔の飽食』を通じて731部隊の事を知ると、ナチスの強制収容所で行われたことは、よりヒューマン、より人間的であったと見える」(松村講演1 22分経過したあたりより)
731細菌戦部隊と現在 1 慶大 松村高夫


様々な強制収容所・大量虐殺


「私たちに、今残されているのは、不気味な日常性の中で行なわれたものを今、痛みを持って思い起こすことであり、この多くの歴史的事実を絶えず現在の問題としてとらえ直すことであろう。」
『人間の価値』より

731部隊でも、ナチスの思想と同様な優越思想(皇国思想)で人体実験が行われた。
「医師には支配民族をつくる義務があった。強いものしか受け入れない世界。選民意識。人種差別。多くの医師が死刑執行人になってしまった。人間としての良心は失われた。戦争が始まるとあらゆる歯止めが効かなくなってしまった。特定の人を劣等人種と呼ぶプロパガンダが展開され、ナチスの医師たちは彼らを人体実験の材料として扱うようになった。発疹チフスの治療薬を見つけるために人体実験が行われた。・・・・」
ヒトラーと6人の側近たちⅡ 第2回 「ヨーゼフ・メンゲレ」1 3


もし、731部隊員が戦犯として裁かれていたら、エイズウィルスも今の世になかったのでは?

エイズは731のデータも利用し、米国の生物化学兵器研究所で作られたという説もある!!
731細菌部隊と帝銀事件との真相2


ナチの医学者のやった人体実験は裁判で裁かれ、医学者は処刑された。
そして、ドイツでは、その反省を元に、医学生は『人間の価値』を読みながら「医の倫理」を確立しようと頑張っている。
医者裁判

ニュルンベルク綱領

70年間の沈黙を破って―ドイツ精神医学精神療法神経学会(DGPPN)の2010年総会における謝罪表明


一方日本の731部隊員は全員免責、なんら反省することなく、進んでしまった。
その結果、戦後の公害、薬害、原発問題に大きな禍根を残している!!

知ってるつもり「731部隊と医学者たち」より、「ある医学者の生涯1」

知ってるつもり「731部隊と医学者たち」より、「ある医学者の生涯2」


731部隊の医学者は、戦後731部隊の「研究成果」を元に出世?した者もいるが、医学者の道を断念した者、自殺した者もいた。一方、下級部隊員は、部隊にいたことを隠して、大変な辛酸の道を歩んだ者も数多くいた。

731部隊に関与した医師・医学関係者


ベトナム戦争では、枯葉剤も使用された。枯葉剤の研究も731部隊で行われていたと聞く。
「第2部には、我々の他に、八木沢班というのがあった。ここは植物や穀物を枯らす細菌の研究をしていた。ベトナム戦争の時に、アメリカ軍が、ベトナムで枯葉作戦というのを行なったということを知った。そして、この枯葉作戦は、731部隊八木沢班の研究が発展させられたものであるということを聞いた。何ともやりきれない想いにとらわれてしまった。
戦争は2度と起こしてはいけないと、心の中で念じつつ、筆を置くことしかできない今の自分を残念に思うことしきりである。」
「真相:石井細菌戦部隊 郡司洋子編」徳間書房より

枯葉剤の原料は三井化学が製造していた?
そしてもう1つ。「・・・この三井化学(戦時中、毒ガス工場のあった大久野島に毒ガスの原料となる化学物質を提供、供給していた)は戦後も生き残り、毒ガスの原料となる薬品をニュージーランドなどを経由し、アメリカにこの製品を売り、これが米軍の枯葉剤になったのです。ベトナム戦争で使われた枯葉剤の70%は日本製だと言われています。」(3月の「毒ガス連続学習会」より)
ベトナム戦争の枯葉剤で思い出すのは、ベトちゃんドクちゃんである。
ベトちゃんドクちゃんは、下半身がつながった結合双生児としてベトナムで産まれた双子の兄弟を指す、日本で一般に呼び習わされた愛称である。兄はグエン・ベト(Nguyễn Việt, 漢字: 阮越、1981年2月25日 - 2007年10月6日)、弟はグエン・ドク(Nguyễn Đức, 漢字: 阮德、1981年2月25日 - )。ベトナム戦争時に米軍が大量に散布した枯葉剤の被害者の可能性があると報道された。ベトが急性脳症となったことを契機として手術で分離した。
この分離手術は日本で行なわれたが、皮肉にもその枯葉剤の基礎研究みたいなものが731部隊で行なわれていて、それをアメリカが引きついで研究し、枯葉剤を製造し、ベトナム戦争で使った。
また、枯葉剤を搭載した爆撃機は沖縄から飛び立ったのかもしれない。
ベトナム戦争にも、戦後の日米同盟の中で、日本は間接的ではあるが、大きくかかわってしまった!!


「731部隊と帝銀事件の真相」を書き起こしてみたいと思う。(長いですが)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
731細菌部隊と帝銀事件との真相1

エイズウィルスは研究所で人工的に作られた?(731部隊のデータも利用されて?)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2

(参考)
がんセンターについて 内海聡先生 船瀬俊介先生


・・・・・・
1948年1月26日、帝国銀行椎名町支店で行員12人が毒殺され、現金と小切手が奪われる強盗殺人事件が発生した。世に言う「帝銀事件」である。しかし、なぜ一時に12人の人々が殺されたのか?手口はこうである。
その男が銀行に現れたのは午後3時、閉店直後、男はこう切り出す。
「近くで集団赤痢が発生しました。予防薬をみなさんに飲んでいただかなくてはなりません。占領軍の命令です。」腕には東京都の防疫班の腕章。行員たちは疑うことなく男を銀行内に招き入れた。
男はおもむろにカバンから予防薬を取り出すと集めた湯のみ茶碗に注いだ。そして行員たちを前に静かにこう言ったのである。「さあ、どうぞ。」だが、しばらくすると突然行員たちは苦しみ出す。
そう、飲まされたのは予防薬ではなく毒薬だったのダ。鑑識の結果使われた毒薬は青酸ニトリールと言われている。青酸ニトリールとは飲むと数分後に症状が出始め、ゆっくりと確実に死に至るという特殊な毒薬だったのである。
戦後のまだ何もなかった時代。こんな特殊な毒物を使える人物とはいったい誰なのか。
帝銀事件を捜査した刑事のメモが残っている。そこには警察が容疑者として強い疑いを抱いたある集団の名が記されている。それは731部隊。
731部隊とは旧日本軍の秘密特殊部隊である。任務は生物化学兵器の開発。
彼らの活動内容を知る者は、一部の政治家と軍・警察関係者だけ。
終戦後もその存在を知る国民はほとんどいなかったという。
隊長は、石井四郎中将。
彼らは様々な生物兵器開発のため、中国人など3000人以上の人々に人体実験を行い、命を奪ったと言われている。
「できるだけ少ない量の細菌でできるだけ広い地域をできるだけ多くの人たちを傷つけるにはどうしたらいいかと、効き目を測るのには人体実験をできると(開発の)スピードが早くなるわけですね。その為にやった。」(常石敬一)
そんな731部隊には人体実験で毒薬を飲ます時、相手を安心させる決まり文句があったという。
「近くで伝染病が発生した。予防のために薬を飲むように。」
そう、帝銀事件で犯人が口にした言葉も
「近くで集団赤痢が発生しました。予防薬を皆さんに。」
事件発生当時かつて731部隊の隊長だった石井はこう発言している。
「(犯人は)俺の部下にいるような気がする。」
事態を重く見た捜査当局は731部隊の旧隊員たちをしらみつぶしに捜査。追い詰めていった。
しかし、「即刻 731部隊に関する捜査を中止せよ。」命令を出したのは占領軍最高司令部(GHQ)、警察は黙って従うしかなかった。
・・・・・・・・・・
事件の真相は未だ謎のままなのだ。
謎を解く鍵はアメリカ、サンフランシスコにあった。
ここに、731部隊と当時の占領軍に関する重要書類を持つ男がいたのである。
長年731部隊を調べ続けてきたジョン・パウエル氏。
彼が見せてくれたのは、終戦直後旧日本軍の戦争犯罪を調査に当たったGHQの戦争犯罪調査報告書。
そこには恐るべき記述があった。
なぜアメリカは731部隊の捜査を中止させたのか?
「731部隊関係者を戦争犯罪の裁判にかけ、公にすることは貴重なデータの流出につながる。731部隊のデータの最大の価値は動物ではなく人間を実験材料にしたことです。それは生物兵器開発を始めたばかりのアメリカにとって是が非でも欲しいものでした。当時アメリカが最も恐れたのは敵対していたソ連に731部隊のデータが渡ってしまうこと。その為にアメリカはある決断をしたと言う。それは密約したんですよ。」
アメリカと731部隊が交わした密約とは!?
一体何だったのか?
「アメリカは人体実験のデータと引き換えに731部隊の戦争犯罪は問わないという約束をね。」
事実731部隊幹部は全員戦犯として裁かれていない。
・・・・・・・・・
帝銀事件から2年後、アメリカは朝鮮戦争に突入。この時早くもアメリカは731部隊の知識を活かした生物兵器を使用した疑いを持たれている。
さらに続くベトナム戦争(1960年から75年)でもアメリカは生物兵器を使ったと言われているのだ。
それまでベトナムでは一度も発生したことのないペストが流行したと言うのである。
・・・・・
フォート・デトリック基地
パウエル氏によれば731部隊から入手したデータはこの生物化学兵器研究所に持ち込まれ、その結果アメリカの生物兵器開発は急速に発展したと言う。
そして、1972年、時のアメリカ大統領ニクソンはある国家プロジェクトを発表する。「ガン撲滅プロジェクト」である。この時ニクソンがプロジェクトの本部を置いたのがなぜか生物化学研究所だったという。
そして実にこのプロジェクトの真の目的はガン撲滅ではなく、ウィルス実験だったと言う男がいる。・・・医学博士アラン・キャンドウェル氏である。
「ウィルスをある種の生物から別の種の生物に入れ替えるととても危険なウィルスに生まれ変わることがあります。当時生物化学研究所ではガン研究の名に隠れてそうした実験が連日繰りかえされていました。そして実はその過程で生み出されたのがあの恐ろしいエイズ・ウィルスなのです。」
なんとエイズ・ウィルスは生物化学研究所で生み出されたと言うのだ。
それが意図して作られたのか、偶然の産物か定かでない。
しかし、注目すべき発言がある。1969年、軍の生物兵器担当者のアメリカ議会公聴会での発言。
「我々はヒト免疫システムを破壊する新しいウィルスを作る計画を持っています。」それは、正にエイズ・ウィルスそのものではないか。
そして、さらに驚くべき主張をする男がサンフランシスコにいた。ジャーナリストのディブ・エモリー氏。
「エイズ・ウィルスはアメリカの生物兵器開発計画の中で人工的に作られてものです。恐らく731部隊のデータも利用したと考えられます。」
もし、本当だとしたら・・・・
時は過ぎ、1985年日本で起きたのが薬害エイズ事件である。
血友病患者が非加熱製剤を輸血したことでエイズ・ウィルスに感染。この事件にも驚愕の裏舞台が存在した。
この非加熱製剤をアメリカから輸入し続けたのは製薬会社ミドリ十字。この会社は昭和25年、日本で民間初の血液銀行「日本ブラッドバンク」の名で創立された。その創立者の男には驚くべき過去があった。それは、なんと731部隊に所属していたのだ。戦犯から免れたその男は、朝鮮戦争で傷ついた米兵の輸血のために、会社を作り成功を収めた。創立から14年、昭和39年日本ブラッドバンクは社名をミドリ十字に変更、そして1980年代ミドリ十字は非加熱製剤を輸入し販売し続けた。85年アメリカでは非加熱製剤の危険性を危惧し、製造を禁止した後もである。それが戦後最悪の薬害事件を起こす原因となったのだ。今から、66年前に起きた帝銀事件、アメリカによりその捜査対象から外され、研究データと引き換えに戦争犯罪を免責されたという731部隊、その旧隊員らが作った会社がエイズ・ウィルスに汚染された非加熱製剤を輸入し、販売したのである。
「帝銀事件と薬害エイズ」2つの大事件の背後に浮かぶのは旧日本軍の亡霊731部隊、果たしてこれは偶然なのだろうか?


731部隊!!

「問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。」
【「荒れ野の40年」ワイツゼッカー連邦大統領演説全文(1985年5月8日) より】
ヴァイツゼッカーの演説【独語】1/4




問われる戦争責任!!戦後責任!!
戦争遺跡!「731部隊」

聞こえませんか?「マルタ」の叫びが!!
不帰の門


象徴的な事例をあげてみたい。今はもう無くなったが、数年前には731部隊遺跡の本部楼から「ロ号棟」を結ぶ回廊の一部が残されていて(それは現在も確認できるが)、「煉獄門」(「不帰の門」)と書かれた文章が壁の金網越しに中国語、そして英語、日本語、韓国語の訳が添えられてあった。
これは誰が考えた文章か、筆者は確認することができない。以下、原文のままを再掲する。

これは731部隊が設立した人生の「不帰の門」である。当時たくさんの被実験者は此処を経由して生命の終点に行った。そして生還者が1人もいない。この門の中で飽くことを知らない野心と喪失した人間性とを無情な殺戮が充満したことがある。ただ「人間」として自分の罪を反省する事だけ発見できない。「煉獄門」の前に立って誰かが何かを述べているような感じがする。誰かが悲惨な歴史と未来の平和を述べているような感じがする。

決して正確ではない日本語がここではよけいに現実的な情景として見る者に訴えかける。「被実験者」とは通称マルタのことで、ここを通ったが最後、生きて帰ることはなかった。「飽くことを知らない野心」と「人間性を喪失した無情な殺戮」とは当時の医学の倫理的破綻であろうか。彼らは人道を、罪という自覚を失した集団であった。「煉獄門」の前に立てば、そこから人間の叫びが聞こえる。私もまた耳をそば立ててみた。未来の平和ではなく、憎しみばかりが募った。・・・・・
(『戦争遺跡と歴史認識」』ー「731部隊」遺跡保存活動を通して私が学んだことー田中 寛著より)



「731部隊展   終わりに」

中国が世界文化遺産登録を目指す45件の中に、731部隊の跡地が加えられた。
同様の遺産として、1996年に広島の原爆ドーム、1997年にポーランドのアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所等が登録されている。決して忘れてはならない、繰り返してはならない人類の経験であり、平和のための遺産である。

原爆ドーム

アウシュビッツ強制収容所

イギリス人ジャーナリストワインマンの『悪魔の飽食』の書評
「『悪魔の飽食』を通じて731部隊の事を知ると、ナチスの強制収容所で行われたことは、よりヒューマン、より人間的であったと見える」(松村講演1 22分経過したあたりより)
731細菌戦部隊と現在 1 慶大 松村高夫




731部隊ボイラー室

日本は、かつて侵略戦争によって、中国やアジアの人々に多大な犠牲を強いた。現在も、731部隊の被害者を含めて、戦争の被害者や遺族は日本に責任を取るように訴えているが、日本政府は無視し続けている。
731部隊が戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きい。
医学者が協力して設定した、原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの被害者を切り捨てるための基準となっている。医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いている。
731部隊跡地は、間もなく世界遺産に登録されるであろう。日中戦争中に、日本が中国に造った部隊施設が、なぜ世界遺産に値するか、731部隊を知らない人には不思議なことかもしれない。外国からも多くの人々が見学し、その眼で日本人を見るだろう。
「日本と日本の市民には歴史に関する記憶喪失があるとの国際的風評がある」という。日本人にとって、731部隊跡地の世界遺産登録は、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会になる。

日本の2医療団体代表団、731部隊遺跡を見学=被害者名記された通路に献花―中国メディア

2014年5月4日、新華網によると、日本の全国保険医団体連合会と全日本民主医療機関連合会による訪中団26人が、黒竜江省ハルビン市の旧日本軍731部隊遺跡を見学した。

日本の医療従事者や大学の教員で組織された訪中団は、陳列館を見学したあと、人体実験の被害者の名前が書かれた通路に献花した。メンバーの多くが、「15年戦争と日本の医学医療研究会」の会員だという。

京都民医連中央病院の吉中丈志院長は、訪問の目的について、「過去の戦争医学犯罪について実地調査し、来年に開催される日本医学総会に提案書を提出するため」と話した。

吉中氏は「日本の医学界は731部隊が行った細菌戦に否定的態度を持つべきではない。歴史を正しく認識し、将来に向かい、細菌戦の歴史を認め、勇気を持って過去の傷跡を明らかにすべきだ」と指摘した。

代表団の加藤擁一団長によると、今回の代表団メンバーは医学論理を研究すると同時に、戦争中の医学犯罪の課題を共同研究することで、日本の軍国主義の台頭と戦争での化学兵器使用に反対することを主張している。

15年戦争と日本の医学医療研究会は、1931年から45年までの中国との15年間の戦争をめぐる日本の医学医療問題を研究する民間団体。旧日本軍が医学的手段で中国人を迫害した事実を重点的に研究している。

旧日本軍731部隊は1932年にハルビン市に開設された生物兵器の研究・開発機関。ペストやコレラなどを用いた生体実験を行い、中国やソ連、朝鮮、モンゴルなどの戦争捕虜や健康な市民ら1万人余りを死に至らしめた。(翻訳・編集/NY)

2013シンポ731吉中講演



731部隊旧趾、「世界遺産に」専門家が呼び掛け―仏メディア

2014年4月30日、仏ラジオ放送ラジオ・フランス・アンテルナショナル(RFI)中国語サイトによれば、中国黒竜江省にある旧日本軍細菌兵器部隊・731部隊旧趾のユネスコ世界文化遺産申請を加速させるべきだと専門家が呼び掛けている。

日本は第2次大戦時代における神風特攻隊員の遺書を世界記憶遺産への申請を決定したばかり。731部隊旧趾の世界文化遺産申請に向けた動きは1990年代から始まったが、遺棄毒ガス問題や地理的な問題から申請が先送りになっていた。しかし、先日開催された両会(全国人民代表大会と全国政治協商会議)で再び世界遺産申請が議題として取り上げられ、ポーランドのアウシュビッツ強制収容所や日本の広島原爆ドームがすでに世界遺産に登録されていることから、専門家の間では731部隊旧趾の遺産申請を加速すべきだとの声が出ていると、中国国内のメディアは伝えている。

しかし、世界遺産申請を推進している731部隊罪証陳列館(展示館)の責任者は、旧趾の真実性、完全性は申し分ないが、周辺には他の建築物も多いため、申請のスケジュールは現時点では決められないと指摘している。(翻訳・編集/岡田)

30日、中国黒竜江省にある旧日本軍細菌兵器部隊・731部隊旧趾のユネスコ世界文化遺産申請を早めるべきだと専門家が呼び掛けている。写真は731部隊旧趾。


安倍さん!!歴史を捏造するな!!
あなたののおじいさんの岸信介は、満州国の役人だったとき、果たしてどんな仕事をしたのですか?

岸信介・東条英機は、満州にいた時代、天皇の命を受けて、731部隊の設立・認可に関与していませんでしたか?

この「強制連行」を策定した岸信介(当時、商工大臣、A級戦犯)は戦後首相になったが、この国の意識レベルを示している。


高杉晋吾 国策としての731部隊と原発

安倍、生体実験部隊の名前‘731’が書かれた飛行機に乗りサムズアップ
戦後も精神病院や乳児院で人体実験は行われていた!!
日本は、全く731部隊を反省していない!!



「満州国」・華北・華中の万人坑と中国人強制連行

大 同 炭 鉱 万 人 坑

万 人 坑 を 知 る 旅

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