2008年11月30日日曜日

南京事件前夜:日本軍の空襲とイマジン9

ラーベの日記を読んでいると、日本軍の南京攻略戦における空襲の様子がよく分かる。

ジョン・H・D・ラーべ(1882年ハンブルク生まれ。1911年にドイツの世界的コンツェルン、ジーメンス社に入社。ナチ党員。日中戦争が深刻化し、首都南京が陥落したときは当地支社長だった。日本軍占領下の南京で、国際安全委員会の代表となって中国人を救おうと奔走する。1950年、ベルリンにて死去する。)が、南京攻略戦前夜から陥落後の様子を日記に書いていた。
[「南京の真実」(ジョン・ラーベ著):講談社]より引用

1937年9月21日
裕福な中国人はとうに船で漢口へ避難し始めていた。農場という農場、庭という庭、さらに公共の広場や通りには大車輪で防空壕が作られた。とはいっても、19,20日と、続けて4度の空襲にみまわれるまでは、ごく平凡な毎日が続いた。
 アメリカ人やドイツ人の多くがすでに南京を去っていった。これからいったいどうなるのか。昨晩、じっくり考えてみた。・・・・・・

10月3日
政府高官筋の人々、とりわけ蒋介石夫人の宋美麗はドイツにあまり好感を持っていないという噂だ。
ドイツが日本と防共協定を結んでおり、ソビエトと同席したくないという理由から、ブリュッセル会議への出席を拒否したからだ。
「私たちの味方でない者はすなわち敵」と夫人は言ったという。それなら、ドイツ人顧問はどうなんだ?いまや中国人があんなに誇りにしている高射砲部隊、つまり防空隊を導入したのはいったいどこの誰だ?ドイツ人の軍事顧問じゃないか!北部ではろくに訓練されていない兵士が逃げ出しているというのに、上海付近の軍隊は勇敢に戦っている。だれが訓練したと思ってるんだ?ドイツ人の軍事顧問だろうが!南京から逃げずにがんばっているのは?ドイツ人の軍事顧問と我々会社員じゃないか!こっちに言わせれば、南京に残るのはまさに犠牲的行為以外の何ものでもないんだ。それなのにやつらにはそれがどうしてもわからない!なんせ自分の国にいるんだからな。・・・・・

 薬がなくなりそうだ。天生薬房(薬局)は、このあいだの爆撃で派手にやられて店を閉めてしまった。
・・・・・・・・
 
けが人を大ぜい乗せたトラックが毎日到着する。大したけがではないが、どの人も痛々しい。汚れた包帯をまいて、泥がこびりついている。まるでたったいま塹壕(ざんごう)から出てきたみたいだ。医師のヒルシュベルクさんがいてくれるのがせめてもの救いだ。彼の家族もまだ残っている。・・・・・

10月6日
18時から19時まで、トラウトマン大使(駐華ドイツ大使)がお茶を飲みに来ていた。一時間ほど一般的な情勢について話し合った。お互い少々悲観的になっている。北部は陥落してしまった。これはどうにもならない。だが、南京は上海に守られているために、中国人は戦争の中心は上海だと思っているようだ。だが、いつまでこれが続くだろうか?

10月13日
薄曇り。不穏な日だ。だが、このあたりは無事だった。8時に空襲警報。だが、15分後に解除された。警報のたびに男も女も子どももみな、貧しい人たちが大ぜいわが家のそばを通り抜け、五台山へと、逃げていく。かなり大きな防空壕があるのだ。これだけでも悲惨きわまりないというのに、小さい子どもを抱いた母親たちのおびえようといったら!見ていられない。今日はそういう人たちが4回もここを通り過ぎていった。
 
 防空壕を広げよう。ドイツ語の話せる沈(セン)さんと馮(フォン)さんが、わが家の近くの支局に転勤してきた。空襲警報が鳴ると二人ともここに避難してくる。いつも郵便物を配達してくれる二人も常連だ。そのうちに泊めてくれといってくるだろうが、場所があるだろうか。私自身はここのところまったく防空壕に出入りしていない。・・・・・


(IMAGINE 9)【合同出版】より

想像してごらん、
武器を使わせない世界を。


Imagine,
A world that doesn’t
let weapons be used.


憲法9条はどんな軍隊より、どんな核兵器よりも大きな力をもっています。
なぜなら、核兵器はけっして平和をもたらさないからです。
それはこれまでの歴史が証明しています。
核兵器はこれまでに何十万人もの人々の命を奪い、国を破壊してきましたが、
世界はまだ暴力と戦争だらけです。
(アメリカ/男性)


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