2008年12月24日水曜日

1937年 南京 12月24日

「南京事件」(笠原著:岩波新書)より
12月24日から日本軍による「査問工作」(敗残兵狩り)がはじまる。(~38年1月5日)
日本の憲兵隊が市民と難民の登録をおこない、身体検査をして民間人と判定した場合は「居住証明書」(中国語で安居証といった)を交付した。

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
12月24日
 昨夜灯をともした赤いアドヴェントシュテルン(クリスマスに使う星型のロウソク立て)を今朝もう一度念入りに箱に詰め、ジーメンスのカレンダーと一緒に鼓楼病院へもっていった。女性たちへのクリスマスプレゼントだ。
 この機会にと、ウィルソン先生が患者を見せてくれた。顔中銃剣の傷だらけの婦人は、流産はしたものの、まあまあ元気だった。下あごに一発銃撃を受け、全身にやけどを負った男性もいた。ガソリンをかけられて、火をつけられたのだ。この人はサンパンをいくつか持っている。まだ二言三言口がきけるが、明日までもつまい。体の三分の二が焼けただれている。
 地下の遺体安置室にも入った。昨夜運ばれたばかりの遺体がいくつかあり、それぞれ、くるんでいた布をとってもらう。なかには、両眼が燃え尽き、頭部が完全に焼けこげた死体があった。
 銃剣の傷が四つ。一つは胃のあたりで、指の長さくらいだった。痛みを訴える力すらなく、病院に運ばれてから二日後に死んだという。

 この一週間、おびただしい数の死体を見なくてはならなかった。だから、こういうむごたらしい姿をみても、もはや目をそむけはしない。クリスマス気分どころではないが、この残虐さを是非この目で確かめておきたいのだ。いつの日か目撃者として語ることができるように。これほどの残忍な行為をこのままや闇にほうむってなるものか!

 私が病院に出かけているあいだ、フィッチがわが家の見張りをしてくれた。まだ当分は兵隊たちにおそわれる心配があるので、難民だけにしておくわけにはいかない。うちの難民は350人から400人くらいだとばかり思っていた。だが、韓によると今では全部で602人。なんとこれだけの人間が庭(たった500平方メートル)と事務所に寝泊りしているのだ。男302人、女300人とのこと。そのうち10歳以下の子どもが126人。ひとりは、やっと二歳になったばかりだ。14人いるジーメンスの従業員や使用人、またその一族はこれには入っていないので、全部入れると650人くらいになるのではないだろうか。・・・
・・・・
・・・・・この二週間、ただ苦しみしか味わわなかったのだから。私もおまえたちのために心で祈っている。世にも恐ろしい光景を目にして、私たちはふたたび子どものころの無垢な信仰へと立ち返った。神、ただ神だけが、この恥ずべき輩、人を辱め、殺し、火を放っている無法集団から私をお守りくださるのだ。

 神よ守りたまえ。私たちが今味わっている苦しみを、いつの日かおまえたちが味わうことのないように!この祈りを胸に、今日の日記を終えよう。ここに残った事を悔いてはいない。そのために、多くの人命が救われたのだから。だが、それでも、この苦しみはとうてい言葉につくせはしない。

「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
12月24日 金曜日
 明日はクリスマス。10時ごろ私の執務室に呼び出されて、-師団の高級軍事顧問と会見することになった。さいわい、大使館付の年配の中国人通訳を同伴してきた。ここの避難民一万人のなかから売春婦100人を選別させてもらいたいというのが日本軍側の要求であった。彼らの考えでは、兵士が利用するための正規の許可慰安所を開設することができれば、何の罪もない慎みある女性にみだらな行為を働くことはなくなるだろう、というのだ。以後は女性を連行しないことを彼らが約束したので、物色を始めることを承知した。その間、軍事顧問は私の執務室で腰をかけて待っていた。かなりの時間が経過してから、彼らはようやく21人を確保した。こうした物色が行われたことを聞きつけて逃げ出した女性や、いまなお身を隠している女性もいると彼らは考えている。大勢の少女が次々に私のところにやってきて、残りの79人は品行正しい少女の中から選ぶのか、とただしたが、私としては、私が言って阻止できるのであれば、そういうことにはならないはずだ、と答えるのが精一杯だ。・・・・・
・・・・・・・・
 何人かの女性が涙ながらに話してくれた報告を確認するため、4時30分、金陵大学に出向いた。
避難民の中から何人かの男性が選別されたが、彼らは、すぐに身分が確認されない場合は殺される運命にある、というのだ。
 多くの女性が恐ろしい窮地に直面している。夫と一緒に家にとどまれば、夫は銃剣を突きつけられて家から追い出され、妻は兵士に強姦される。夫を家に残して金陵女子文理学院にくればきたで、夫は連行されて殺害される危険にさらされる。
 校門に警備隊や警邏隊を配置してからは、うろうろ入ってくる兵士のグループはほとんどなくなった。おかげで精神的負担が大いに減った。
 大きな火災がいまだに南と東の空を照らし出している。どうやら、どの商店も徹底的に略奪され、焼き払われたようだ。南京を見たいとは思わない。荒れ果てた街になっているに違いないからだ。
 城内の状況はいくらかよくなっているそうだ。今日アメリカ大使館を訪れてわかったが、外界との接触は依然として断たれている。

「Imagine9」【合同出版】より


世界は、

9条をえらび始めた。



・憲法9条はまるで、神が私たち人類に送ってくれた宝物のようです。(中国、40代・男性)

・9条は、明らかに戦後の東北アジア地域のパワーバランスを保ってきた一要因です。 (モンゴル、60代・男性)

・9条は、日本が多くの残虐行為をおこし、侵略戦争を行った反省から制定されたものです。その9条をなくすことに賛成できません。(韓国、60代・女性)

・9条の平和主義は、私たちの世代だけでなく、次の、その次の世代の平和にも重要です。 (中国、40代・男性)

・すべての国が憲法9条を持つようになり、平和が最後の手段としてではなく、唯一の手段となる日が来ることを願っています。(イギリス、20代・女性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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