2008年12月28日日曜日

1937年 南京 12月28日

「南京事件」(笠原著:岩波新書)より
【江浦県】12月27日、日本軍40人が村々を捜索してまわり、農民や難民17人を殺害、婦女6人を強姦(『江浦県誌』)


「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
12月28日
 あいも変わらず、放火がくりかえされる!
 まるで重い病にでもかかっているようだ。おそるおそる時計の針に目をやるが、針は遅々として進まない。難民はだれしも新年のお祝いを恐れている。酔った勢いで、日本兵がますます乱暴を働くに決まっているからだ。心配するな、といいながらも、今ひとつ力がこもらない。それはそうだろう、そういう我々自身、自分の言葉を信じていないのだから!
 誰だか知らないが、今日が登録の最終日だといううわさを広めた人がいるらしい。そのため何万人もの人が登録所に詰めかけた。安全区の道路は人で埋まり、歩くこともできない。
 私はドイツ国旗のおかげでかろうじて前へ進める。ここではハーゲンクロイツのついた私の車を知らない者はない。何とかして道を開けようとして、ぶつかり、押し合い、へし合いしている。・・・・・

 今日、方々から新たな報告が入った。あまりの恐ろしさに身の毛がよだつ。こうして文字にするのさえ、ためらわれるほどだ。難民はいくつかの学校に収容されている。登録前、元兵士がまぎれていたら申し出るように、との通告があった。保護してやるという約束だった。ただ、労働班に組み入れたいだけだ、と。何人か進み出た。ある所では、50人くらいだったという。
彼らは直ちに連れ去られた。生き延びた人の話によると、空き家に連れて行かれ、貴重品を奪われたあと素裸にされ、5人ずつしばられた。それから日本兵は中庭で薪に火をつけ、一組ずつ引きずり出して銃剣で刺したあと、生きたまま火の中に投げ込んだというのだ。そのうちの10人が逃げ延びて塀を飛び越え、群衆の中にまぎれこんだ。人々は喜んで服をくれたという。
 これと同じ内容の報告が3方面からあった。
もう一つの例。これはさっきより人数が多い。こちらは市の西部にある古代の墓地跡で突き刺されたらしい。ベイツはいまこれについても詳しく調べている。ただ、いざ報告する時には、誰から聞いたか分からないよう、よくよく気をつけなければならない。知らしてきた人にもしものことがあったら大変だ。
 フィッチが上海から手紙を受け取った。委員会に3万5千ドルの寄付が集まったというロータリークラブからの報告だ。金をもらっても仕方がない。必要なのは、人間、それもこちらに来て協力してくれる外国人なのだ。だが、日本軍は誰も南京に入れようとしない。
 日本大使館の役人は我々の立場をもう少しましなものにしたいと思っているようだ。
だが同じ日本人同士でも、こと軍部が相手だと歯が立たないらしい。すでに我々の耳に入っていることだが、軍部は日本=中国委員会を認めようとしない。これは、日本大使館が設けたもので、ちょうど我々の委員会のような性格のものだ。初めてここへ来た時、いみじくも福田氏が言っていた「軍部は南京を踏みにじろうとしています。けれども、我々は何とかしてそれを防ぎたいと考えています!」

 残念ながら福田、田中、福井の誰一人、軍部の考えを変えさせることはできなかった!



「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
12月28日 火曜日
 現在、登録期間という新しい段階を迎えようとしている。午前八時、女子学院が安全区第5地区の登録所になった。男性が先に登録されることになるらしい。キャンパスにいる男性を集めた。まず最初に、通訳を介して彼らに訓示があり、そのあと、以前兵士だった者は正直に申し出ること、その場合、危害を加えられることはないが、労働隊に入れられると説明があった。最近まで兵士であったという意味なのか、かつて兵士であったという意味なのか、私にははっきりはわからない。
最初に申し出た男は、Y.H.陳の奉仕者仲間の一人だった。彼が兵士だったのは最近のことではないということがその後わかったので、解放してもらうよう目下努力しているところだ。男性は4列縦隊に並び、登録票を渡されたあと、登録場所になっている陳春芳の家(キャンパスの北東隅にある)へ向かって行進した。私は興味があったので、男性の顔つきをしげしげと観察した。概して、彼らは、老人か大怪我をした人か、そうでなければ、足の不自由な人たちだった。なぜなら、登録に行かれるような若者たちは、みな死んでしまっていないからだ。

 そうこうしているうちに岡中佐が来訪した。彼は、すべてのアメリカ人を保護することを上海で約束してきたと強調したあと、私たちが一ヶ所にまとまって生活することを要求した。私たちとしては、責任ある各自の部署を離れるわけにはいかない、と彼に伝えた。中佐も私も、お互いに穏やかに丁重に振舞いながらも、きちんと主張し合い、ここまでのところでは、私の方がこの戦いに勝利した。
・・・・・・・・・・・・

 午後、ミルズが来訪した。彼の報告によれば、中国人の財産だけでなくあらゆる外国人の財産が、程度の差こそあれ、ほとんどすべて略奪されたそうだ。私たちの住宅に関しては被害は軽い方だ。もしも私が一度に4ヶ所ほどまわることができたなら、多分それらも持ち去られなかったろう。私たちが略奪をこうむったその責任は、すべて私にある。私の行動がのろすぎたからだ。・・・・・・・

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      赤字、アンダーラインは引用者ノブがしました。

[Imagine9」【合同出版】より

考えてみよう、

日本の憲法9条のこれから。


「日本の憲法9条をあたりまえのものだとどうか思わないでください。それは、ある日突然なくなってしまうかも知れません。憲法9条があるからこそ、みなさんは戦争に行くことなく暮らせてきました。しかし、憲法9条が救っているのは、日本人の命だけではありません。世界中の人々が救われています。9条がなければ、皆さんはアメリカが第二次大戦後に攻撃してきたすべての国、つまり、朝鮮半島、ベトナム、パナマ、グラナダ、イラク、アフガニスタンなどへ戦争に行かされていたのです。 これは、アメリカの元海兵隊員で、今では世界的に平和活動を行っているアレン・ネルソンさんの言葉です。

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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