2009年1月25日日曜日

1938年 南京 1月25日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月25日
外交部に設けられた病院で働く中国人の男女2人の看護人が、マギーに連れられて本部にやってきた。病院で働いていた苦力が一人、日本兵に刺し殺されたのだ。我々は詳しい事情を聞き、極秘文書に記録した。それと同時に、どうやらひどい状態らしい軍政部の病院について、何人かに報告してもらうことにした。
 我々が届けを出さなかった事件の一つにこういうのがある。ある中国人が日本人のために一日中働き、お金の代わりに米をもらった。疲れきって家族と共に食卓に着くと、テーブルには妻が今さっき置いたばかりの鉢がのっており、おかゆが少し入っていた。これが一家6人の夕食だった。そこへ通りかかった日本兵が面白がってその鉢に放尿し、笑いながら立ち去った。彼は何の罰も受けずに済んでしまった。
 この話を聞いた時、『奴隷となるよりは死を』というリーリエンクローンの詩が思い浮かんだ。だが中国人たちにあの自由人、リーリエンクローンのまねをしろといったところでどだい無理な話だ。これでもかとばかりに踏みつけにされ、中国人はもう長いことひたすら苛酷な運命に甘んじてきたのだ。前にも言ったように、これなどほとんど気にも留められないほどの小さな出来事なのだ。もし、強姦した人間が残らず仕返しに殴り殺されたら、進駐軍の部隊は多くはすでに全滅していることだろう。
 ドイツ大使館を通じて、たった今妻のドーラから手紙を受け取った。「今ならすぐに休暇でドイツへ帰れます。今逃げ出さないと、あと5年、待つことになりますよ」。まあ、そこまでひどくなることはもうないと思うが。
 3月1日までここに残ってもいいと会社が言ってくれるかどうか、とりあえず待つことにしよう。最もその時になってもまだ片付いていないかもしれないが。私としては、休暇は歓迎だ。実際のところ、今中国にはいいかげん嫌気がさしている。けれど、だからと言って逃げ出すわけにはいかないのだ!
 
22時10分
 ラジオ上海によると、クレーガーが日曜日の晩、1月23日に、屋根のない列車に12時間揺られた末、無事に上海に到着したそうだ。



「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月25日  火曜日
 私たちは、新しい状況に順応している。しばらくの間はすべての窓のカーテンをきちんと閉め、明かりにはすべて黒い覆いをかぶせていた。今では、人が住んでいることを示すためにむしろ明かりを点けておくほうが賢明だと考えている。
 昨夜、使用人2人が、愚かなことに、窓を全部閉め切った部屋で豆炭ストーブを使用したところ、今朝、2人は一酸化炭素中毒で意識不明に陥っていた。程先生、私、そのほかここにいる者みんなで2人の意識を呼び戻そうと努力した結果、夜にはかなりよくなった。
 9時から12時30分まで寧海路5号で難民収容所の所長会議が行われた。私たちが建設的に活動できるように各収容所の本部に、さまざまな必要事項について調査する経験豊かなソーシャルワーカーがいてくれたらよいのだが。各家庭の実態を把握するのは難しく、そして、自立心ではなく依存心を避難民に持たせるのは簡単だ。現在、それぞれの収容所は極貧家庭の調査に取り組んでいる。資金が増額されたとか、肝油のような薬が余分に入手できるといったような、元気の出る知らせが上海から届いた。
 長老派教会の奉仕者である呉愛徳は、感謝と明るい気持ちを持ってこのキャンパスで生活している避難民であるが、20人の少女を対象に、今朝発音教室を開設した。彼女は、午後の集会の手伝いもしている。もっと大勢の奉仕者と空き教室があれば聖書研究会を始めることができるのだが。
 午後、532人のデータカード用紙を福田氏の所へ持参し、アメリカ大使館にもそのことを報告した。また、「傀儡政府」-陳さんが南京自治政府につけた名称だがーの当局者のところにも行き、盗品を売る店を安全区から締め出せないかどうか打診した。寧海路や上海路の沿道に何百という小さな店がにわかに出現しているのは、貧窮者たちによる略奪が毎日増えていることを意味する。日本兵が率先して略奪をしなかったら、彼らはあえて店開きはしなかっただろう。
 私たちは、外国人から毎日寄せられる少しばかりの情報をどれほど貪り読んでいるかしれない。
彼らは、放送内容を労を惜しまずに書きとめて送ってくれる。漢口、武昌、長沙、重慶に避難した友人たちはどうしているのだろうか。放送によると、重慶も空襲されているようだ。友人たちの離散、学校の閉鎖、生命と財産のすさまじい破壊など、すべてがぞっとする悪夢のように思われる。いったい本当なのだろうか。
 人力車はどうしたのだろうか。12月12日ーたしか、この日だったと思うがー以来、通りで人力車を見かけたことがない。タイヤや車輪を取り外した人力車がたくさん隠されていたのは知っているが、通りを往来する人力車は見かけない。私たちは歩くか、さもなければ車で出かけている。
 午後、程先生と一緒にグレイス朱の家へ行った。といっても、お茶を飲みに行ったわけではない。彼女の家は難民でいっぱいだ。家の中の状態は想像を絶する。程先生は、ラジオや食器類などわずかに残っていた物をいくつか持ち帰った。朱さんの所有物は、その一部を兵士たちが、あとの残りを難民たちが持ち去り、ほとんど全部なくなっていた。


「Imagine9」解説【合同出版】より



ひとりひとりの安全を


大事にする世界



これまで多くの人々は、平和とは「国を守ること」と考え、国を守るためという目的で大きな軍隊がつくられ、国の中での争いが放置されてきました。しかし近年では、「国家の安全」だけではなく「人間の安全」という考え方を大切にしようという事が、世界的に言われ始めました。
 緒方貞子・元国連難民高等弁務官などが中心となった国際専門家委員会が、2003年に「今こそ"人間の安全保障”を」という報告書を発表し、国連に提出しました。そこには、「国どうしが国境を越えて相互依存を深めていく中、国家ではなく人々を中心とした安全保障の考え方が今こそ必要である」という事が述べられています。
 武力紛争下の人々、国境を越えて移動する移住労働者たち、国内外に逃れる難民たち、極度の貧困、HIV(エイズ)などの感染症との戦い、女性の性と生殖に関する健康といった問題は、「国家の安全」だけを考えていたら見落とされてしまいがちな、しかも深刻な「人間の安全」に関わる問題です。

 2005年の国連世界サミットでは、「人間の安全保障」という言葉が初めて最終文書に盛り込まれました。じつは、これを推進したのは日本政府でした。「人間の安全保障」という考え方は、「武力によらずに平和をつくる」という憲法9条の考え方と通じ合うものがあります。私たちは、こうした考え方をもっと世界の中で広めていく必要があるでしょう。



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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