2009年2月2日月曜日

1938年 南京 2月2日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
2月2日
 韓の調べによると、うちの難民は600人を超え、世帯数は135だと言う。そのうち、24家族は家を焼かれ、帰る所がない。昨日、泣きながら出て行った人もいた。誰も日本軍を信頼していない。当たり前だ。2つの収容所の報告から、まだ安全でないことがよくわかった。
 昨日、本間少将到着。南京の混乱を鎮めるため、日本政府から全権を与えられているそうだ。ここには2日しかいないというが、それで足りるのだろうか。ローゼンは、1月30日付けの私の手紙をもとに、難民がどんなに困っているかを詳しく説明した結果、あまり本間には期待できないだろうという意見だ。
 今日、上海日本大使館の日高信六郎参事官と、ローゼン宅で昼食。我々が記録した日本兵の暴行はこの3日間だけでなんと88件もある。これはこの種のものとしては、今までで一番ひどかった12月を上回っている。報告書を渡すと、日高氏は全く困ったものだとつぶやいて、部隊が交代するときには往々にしてこういう事件が起きがちだと言い訳した。
「前の部隊は評判が悪く、1月28日に離任させられたんですが、撤退前にもう一度けしからぬ振る舞いに及んだという話です」
 この手の逃げ口上は先刻承知だ。けれども我々は、いま報告されている強姦などの事件が実は新しい部隊のしわざだという証拠をつかんでいる。難民が2月4日に力ずくで追い立てられるというのは本当かと聞くと、自分が知る限りでは、絶対にそんなことはないと日高氏は言った。「それに、2月4日以前に収容所を出れば、元の家に戻るにあたって多少補償があるはずです。つまり、家が焼けている場合は別の家を与えられることになっています。今までにもう、8万人以上が戻るといってきましたよ」
 私は念を押した。「近いうちに我々も収容所を解散したいと考えています。ですからなおのこと、いくども難民に家に帰るようすすめました。けれどもそのために、一にも二にも安全であることが条件になります」
 日高氏は、強制執行しないということは中国人には黙っていてくれといった。すんなりいかないと困るというのだ。私は約束した。・・・・・・・


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
2月2日 水曜日
 今朝は薄暗くて寒い朝だったが、たくさんの飛行機が西北部に死と損壊をもたらした。
 アーネスト・フォスター、ジェームズ・マッカラムと一緒に10時、最初に城南にあるキリスト教伝道館へ、そのあとアメリカ教会伝道本部へ行った。インディアナビルディングは、外側はそれほどひどく損壊していなかったが、とくに最上階の部屋は徹底的な略奪をこうむっていた。西地区の校舎は焼け落ちていた。中華路では、最高級の建物の80パーセントが焼けてしまったようだった。キリスト教青年会は、真っ先に焼かれた建物の一つだった。日本軍入城直後の数日間、火災はそれほど多くなかったが、1週間と経たないうちに、計画的に略奪した上で放火するという方針がとられ、何日間もそれが続けられた。結果は、今朝私が見たとおりだ。撤退するさいに中国軍は、金銭を奪う以外はほとんど略奪を働かなかった。全く奇妙な話だが、私たちとしては、こんなことになるとは思ってもみなかった。私たちの多くは、(日本軍の)長期にわたる包囲攻撃と、中国軍兵士による略奪を恐れていた。いやむしろ、日本軍はきわめてよく訓練されているから略奪や放火はしないと確信していた。アメリカ教会伝道本部も、ほぼ同じような状態だった。伝道施設はアメリカ側と日本側の声明によって十分に保護されていたはずであるにもかかわらず、徹底的な略奪をこうむっていた。学校はほとんどの部分が爆弾で破壊されていたが、教会はそれほどひどい損害を受けていなかった。
 太平路では商店がほとんど軒並み焼かれてしまった。徹底的な略奪の証拠を隠蔽するためだ。軍のトラックが略奪品を運び出した。後日、かりに日本人実業家が南京市に居住しようとしても、必要な建物を建てるには巨額な資金がいるだろう。商店は、日本人が開設した少数の店以外は一軒も残っていなかった。
 上海からついさっき帰ってきた福田氏に会うため、11時15分、日本大使館へ行った。彼は、私が提供した、658人の行方不明者ー私たちの収容所にいる避難民女性の夫や息子ーの資料を受け取った。大多数の者は12月16日に連行された。福田氏は、できることはするつもりだ、と言ってくれたが、私は、それは誠実な言葉だったと思う。というのも、夫のいなくなったそうした女性たちが社会に頼っていることを彼は認識していたからだ。だが、そのような社会など存在しないのだ。すべての避難民に帰宅を強制する命令が出されていることについて彼に手短に話し、また、最近三日間に発生した何件かの強姦のことを伝えた。彼は、もっと多くの事実を知りたい、と言った。この訪問のあと私は紅卍字会本部へ行き、キャンパスの西隣に放置された死体ーとりわけ、二つの池の岸に放置された焼け焦げ死体のことを伝えた。(南京)占拠以来、紅卍字会は1000体を超える死体を棺に納めてきたのだ。
 3時から5時30分まで執務室にいた。といっても、仕事をするためではない。数人の女性がやってきて、彼女たちのこうむった悲劇的事件ー信じがたいほど残酷残忍に思われる事件ーについて語った。いつかそのうち、日本の女性たちにこうした何とも悲しい話を知ってもらいたいものだ。・・・・・・
・・・・・・・・
 明日午後の集会の参加券を郭江(音訳)と私が配っていたら、若い女性たちが、2月4日に強制的に帰宅させられることのないよう、精一杯努力してほしい、と哀願した。彼女たちは、退去を強制されるくらいならキャンパスで餓死したい、と言った。


Imagine9」【合同出版】より



考えてみよう、

日本の憲法9条のこれから。



「日本の憲法9条をあたりまえのものだとどうか思わないでください。それは、ある日突然なくなってしまうかも知れません。憲法9条があるからこそ、みなさんは戦争に行くことなく暮らせてきました。しかし、憲法9条が救っているのは、日本人の命だけではありません。世界中の人々が救われています。9条がなければ、皆さんはアメリカが第二次大戦後に攻撃してきたすべての国、つまり、朝鮮半島、ベトナム、パナマ、グラナダ、イラク、アフガニスタンなどへ戦争に行かされていたのです。 これは、アメリカの元海兵隊員で、今では世界的に平和活動を行っているアレン・ネルソンさんの言葉です。


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。



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