2009年3月18日水曜日

南京大虐殺

「南京事件」(笠原著:岩波新書)より
南京事件の全貌
 犠牲者の数について1
 南京事件において犠牲にされた中国軍民の数を正確に算定することは、今となっては、まず不可能である。日中の双方とも南京事件発生時および直後に本格的な被害調査をしなかったからだ。(金陵大学のスマイスらの「南京地区における戦争被害」調査が唯一であった)。南京はその後およそ7年間、日本の占領下に置かれたため、中国当局が直接調査することはできなかった。いっぽう、南京を占領統治した日本当局が、犠牲者数を調査することなどありえなかった。したがって、関連した諸資料を収集し、整理・検討して犠牲者総数を推定していくことになるが、その資料も、日本軍側の資料の公開が少ないことが最大の障害になっている。※

 ※藤原彰氏の調べによれば、中支那方面軍の全連隊の中で、これまで戦闘詳報や陣中日記の類の公式資料を公刊・公表している部隊はおよそ3分の1にすぎない。多くは敗戦前後に連合軍の追及を恐れて証拠湮滅(しょうこいんめつ)のため焼却されている。また、南京攻略戦に参加した元兵士が残虐行為を証言したり、それらを記録した陣中日記を公表したりすると、戦友会や右翼勢力から証言封じの圧力が加えられることも日本側の資料が少ない原因になっている。


 犠牲者総数の解明は、南京事件の全貌をより厳密に理解するために必要であって、その逆、つまり、正確な総数が確定できないから南京事件は「まぼろし」であるということにはならない。犠牲者数の問題は、今後さらに資料が発掘されていけば、より実数に迫っていけることも事実である。ここでは、本書で引用してきた資料を整理・総合して推定できる概数を述べてみたい。それは概数であっても、相当程度南京事件の全貌をイメージできると思うからである。


 
  
「この事実を・・・・」(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編
            加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺
漢中門外、江東門、上新河一帯での集団虐殺

 邢久発(男、72歳)の証言
 1937年の暮れに、日本兵が南京で大虐殺をやり、その蛮刀の下に数限りない人々が惨死しました。水西門から上新河まで、死者がうずたかく山をなし、河いっぱいに血が流れたのです。とりわけ江東門の橋が爆破されていたのを、日本軍が屍をうずたかく積んで、車が通るようにしたのです。

 何玉峰(男、59歳)の証言
 南京が陥落したとき、私は郊外の沙洲圩に避難していました。長さ5,6キロにも及ぶ水西門から上新河までの道に、日本軍に殺害された人々が、まさに死屍累々として野に遍しの状態だったのを、目撃しました。紅卍字会の埋葬作業で、この道には、2,30メートル置きくらいに1つずつ、屍が丘のようにうずたかくなったのを、覚えています。
 江東門の江東橋が爆破されていて、日本軍が死体で河を埋め、上に戸板や葦ずなどを敷いて、臨時の橋にしました。人がその橋の上を歩くと、そこが上下に浮き沈みして、まったく見るに耐えないむごたらしさでした。(習守清と呉建野が記録)

 
 

「Imagine9」【合同出版】より



想像してごらん、


武器をつくったり


売ったりしない世界を。


Imagine,


A world that doesn't


make or sell weapons.



紛争が続くアフリカでは、子どもたちまで武器を持ち、命を落としています。
その武器はヨーロッパやアメリカから売りつけられています。
アフリカの私たちは、殺しあう必要もないのに買わされているのです。
 だから、9条はアフリカにこそ必要だと思います。
9条があれば、これ以上アフリカに武器を持ち込ませないようにできるのです。(ケニア/男性)



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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