2009年4月14日火曜日

上海「義挙」とユンボンギル

まもなく4月29日の「昭和の日」を迎える。これが、本当に国民の祝日であっていいのか、日本人は考えなければならないと思う。

 1930年代の中国における戦争は、日本の一方的な侵略戦争あった。
その当時の憲法は大日本帝国憲法であった。日本は大日本帝国と呼ばれていた。時の天皇は昭和天皇であった。その憲法には次のように書いてある。
第1条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第3条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
第11条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
第12条 天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム
第13条 天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス
・・・・・・

天皇が軍の最高責任者である。日中戦争に限らず、アジア・太平洋戦争の戦争を始めたのも終わりにしたのも昭和天皇である。その天皇の誕生日を祝日として祝うということはあの戦争で犠牲になった大勢のアジアの人々や日本の国民にとっていかがなものだろうか?


1931年(昭和6年)9月18日・・・柳条湖事件、満州事変に発展
1932年(昭和7年)3月・・・満州国の建国宣言発表
1933年(昭和8年)3月・・・日本は国際連盟を脱退する。

『未来をひらく歴史』(日・中・韓=共同編集 第2版 高文研)より

 日本の中国東北地方への侵略

 上海「義挙」と尹奉吉(ユンボンギル・・・1908-1932)

 1932年4月29日、尹奉吉は韓人愛国団長である金九(キムグ)と朝食を終えた後、誓いの言葉を読み上げました。
 「私は、誠心誠意、祖国の独立と自由を回復するために、韓人愛国団の一員となり、敵軍の将校を殺害することを誓います」
 その日の午後1時ごろ、上海虹口(ホンキュ)公園で天地を揺るがす爆発音がとどろきました。爆発が起こったのは、上海を占領した日本軍が開催した天皇誕生日の祝賀会場でした。壇上に座っていた軍司令官・白川義則をはじめとする高官らが死傷しました。修羅場となった会場で、声を張り上げ「大韓独立万歳」と叫ぶ青年がいました。その日の朝、「敵の将軍を殺害する」と固く誓った尹奉吉でした。
 その場で逮捕された尹奉吉は軍法会議で死刑宣告を受け、同年12月19日に処刑されました。死を前にした彼は、2人の息子に遺言を残しました。

■お前たちにも血が流れ、骨があるのなら
きっと朝鮮のために勇敢な闘士となれ
太極(たいきょく)の旗(韓国の国旗)を高く掲げ
私のなきがらのない墓を訪ね
一杯の酒を注いでおくれ
お前たちは父がいないことを嘆くなかれ
愛する母がいるのだから

 一身をなげうっての尹奉吉の「義挙」に、中国民衆と国民党政府は感動し、朝鮮の独立運動を積極的に支持するようになりました。世界の人々も朝鮮の人々が日本の侵略にどれほど憤っているかを知るようになりました。

    
「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺
江辺、下関埠頭、挹江門、三汊河一帯での集団虐殺



 駱中洋(男、67歳)の証言

(昨日の続き)私たちは大急ぎで紅卍字会の人を探しに行き、難民証を2枚発行してくれるように頼みました。あんたたちはどこの人か、と聞かれたので、広東人だとそのままに答えました。自分たちは江蘇省の人と南京人にだけ出せるので、広東人には出せない、と会の人は肯ぜず、私たちはその人にずっとぴったり引っ付いて、助けてくれと要求したのですが、応えてくれませんでした。私たちはほかにも多くの人に当たったのですが、難民証のことは解決できず、紅卍字会の人に頼んではじめて出してもらえるのだと誰もが言うので、私たちはうろうろするばかりで、万策尽きてしまい、初めに戻って又あの紅卍字会の人に会いに行きました。その人が又「あんたたちはどこの地方の人か」と聞くので、「江蘇の人間です」と答えると、「あんたたちは初め広東人だと言い、今は又江蘇人だと言い直している、やはりあんたたちに難民証は出せない」と言うのです。難民証がなければいつ何時日本軍に銃殺されるか分からないのが私たちには分かっているので、その人に付いて歩いて、その人が行く所はどこにでもくっついて行きました。歩いているうちにその紅卍字会の人が、地べたから難民証を一枚拾ってくれたのですが、これが人の命に関ることなもので、私たち2人が互いに奪い合うこととなり、結局その男に持っていかれてしまいました。私は焦って心臓をばくばくさせながら、ずっとその人の後ろにくっついて行ったのですが、その人の前方百メートルの所に、又もや実弾入りの銃を担ぎ、銃に剣をつけた日本兵が数人やってきて、真正面からこっちに歩いてきた、その正に差し迫った危機に、不意に又その紅卍字会の人が地べたから南京難民証を一枚拾ってわたしにくれたのです。どんな風だったか私には見えなかったのですが、私にはその人が私の命を救おうとしてくれたのだと思われます。服につける針と糸が無かったので、左手で難民証を左胸の前に押し付けるしかありませんでした。すぐにも日本兵が私たちの目の前にやってきて、私たちが難民証を付けているのを見、紅卍字会の人に「良民か」と聞いて、「良民です」と答えてくれました。それで日本軍が「よし、よし、行け、行け」となり、すぐに私は難民キャンプに入ったのです。(続く)
  

  
 
「Imagine9」【合同出版】より



9条がゆきわたった世界



「武力によらずに平和をつくる」という日本国憲法9条の考え方は、国家や人種、民族の壁を越えて「地球市民」として生きていくための共通の鍵となります。
 「世界中の国が憲法9条をもてば、すべての国は戦争ができなくなる」、それは無理なのでしょうか。いいえ。奴隷制に苦しんだ黒人の人々が、人間として生きる権利を獲得したように、長いあいだ社会から排除されてきた女性たちが参政権を得たように、戦争も、私たちが働きかければなくせるものなのです。
 第2次世界大戦を経験した人類は、「もう2度と悲惨な戦争を繰り返してはならない」という思いで、国連をつくりました。国連憲章は、「武力行使をしない」「軍事費は最小限にする」ことを定めました。しかしその国連憲章がつくられたあとに、広島と長崎に原爆が落とされ、戦争は終わりました。そして、日本の憲法9条が生まれました。
 国連憲章も日本の9条も、目標は同じ「戦争をなくす」ということです。
同じ目標のもとで、日本の9条は、国連憲章よりもさらに一歩前に踏み出しました。9条は、戦争につながるような軍隊をもつことを否定したのです。9条が一歩踏み出したその先に続くのは、私たちです。9条から見えてくる世界の創り手は、私たち一人ひとりなのです。



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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