2009年4月16日木曜日

日中全面戦争

まもなく4月29日の「昭和の日」を迎える。これが、本当に国民の祝日であっていいのか、日本人は考えなければならないと思う。

 1930年代の中国における戦争は、日本の一方的な侵略戦争あった。
その当時の憲法は大日本帝国憲法であった。日本は大日本帝国と呼ばれていた。時の天皇は昭和天皇であった。その憲法には次のように書いてある。
第1条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第3条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
第11条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
第12条 天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム
第13条 天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス
・・・・・・

天皇が軍の最高責任者である。日中戦争に限らず、アジア・太平洋戦争の戦争を始めたのも終わりにしたのも昭和天皇である。その天皇の誕生日を祝日として祝うということはあの戦争で犠牲になった大勢のアジアの人々や日本の国民にとっていかがなものだろうか?


1931年(昭和6年)9月18日・・・柳条湖事件、満州事変に発展
1932年(昭和7年)3月・・・満州国の建国宣言発表
1933年(昭和8年)3月・・・日本は国際連盟を脱退する。

『未来をひらく歴史』(日・中・韓=共同編集 第2版 高文研)より

 日本の侵略戦争

1、日中全面戦争

満州(中国東北地方)を侵略した日本は、1937年から中国全土へ侵略戦争を開始しました。全面侵略戦争は、どのようにしてアジア太平洋戦争にまで発展したのでしょうか。

 中国への全面侵略の開始

長期泥沼の戦争へ

 南京は占領したものの、蒋介石(しょうかいせき)政府【中国国民政府】を屈服させることに失敗した日本は、翌38年1月16日、「爾後(じご)国民政府を対手(あいて)とせず」という近衛首相の声明を発表し、蒋介石政府を滅ぼすまで戦争をすることを宣言しました。
 国民政府が武漢に軍・政府機関を移して抗戦を続けると、日本は大軍を動員して武漢作戦を行ない、一方、香港・広東からの国民政府への物資補給を絶つために広東作戦も行いました。
 日本軍は38年10月に武漢と広東を占領しますが、蒋介石政府はさらに奥地の重慶に首都を移して、あくまでも対日抗戦をつらぬきました。日本が長期にわたり中国侵略戦争を行なうことになったため、植民地朝鮮も戦時体制に動員され、朝鮮人の苦痛が強まることになりました。

 
     
「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺
江辺、下関埠頭、挹江門、三汊河一帯での集団虐殺



 駱中洋(男、67歳)の証言

(昨日の続き)日本軍はそれにいたるところで略奪しました。大同小麦粉工場の唯一残った倉庫と、有恒小麦粉工場とに、小麦粉や小麦や米などの穀物が大量にしまってあり、そのほかの大商店にも大量の穀物が貯えられていたのですが、日本軍が難民キャンプの人たちに強制し、毎日日本軍のために穀物や物資を運ばせたのです。
 日本軍が南京で大虐殺をやったことによって、我が同胞の被害は30万以上に達しました。その頃南京の市内も市外も、いたるところみな死体で、多くの住民の家にも屍があるのでした。正に草生す屍が野にあまねく、水く屍で秦淮河が血に染まり、とりわけ三汊河、江東門、水西門、小営などでは、数万もの人々が殺害されたのです。三汊河の木橋から河が長江に注ぐ河口まで死体がうずたかくなり、水面には無数の屍が浮き沈みしていました。(ここでは虐殺は一昼夜にわたり、そこから私は生き残ったのです)。暴虐な日本軍は、世界の人々の耳目をくらまそうと、大急ぎで難民キャンプにやってきては青壮年を捕まえて、毎日死体を埋めに行かせ、私も駆り出され15日間死骸を片付けたのでした。人手が不足していて、こんなにもたくさんをどこに埋め尽くせるでしょうか?日本軍は強く命じて全ての死体を三汊河に投げ込ませ、長江へと押し流したのです。日本の軍国主義は中国人民のこの血による債務を負っており、その罪業のほどは筆紙に尽くせません。
 日本軍が南京で大虐殺をしていたときに、私が数々の危難を経巡って、命拾いをし、今日まで活きてこれたのは、容易なことではありませんでした。今や私たちは国家として既に独立し世界の国々に伍していますが、中国人は誰一人として過去を忘れることはできず、、誰しもが家を守り国を防衛し、わが国をして主権を持って独立し、領土を保全し、人民に自由で幸福な生活をさせ得る国家たらしめるよう努めねばなりません。(段月萍が駱中洋の1987年からの手紙に基づいて整理)
  

  
 
「Imagine9」【合同出版】より



世界は、


9条をえらび始めた。



・平和が武器によってつくられるものではないということに世界中の国が気づき、すべての国が憲法9条をもつようになることを願ってます。(オーストラリア、20代・女性)

・このグローバル9条キャンペーンに非常に感動しました。憲法9条を維持しようというこの草の根運動には、日本がアジアとの関係に誠意を持って向かっている姿勢がうかがえます。このキャンペーンに多くの日本人が賛同し、成功することを望みます。がんばってください!(韓国、30代・男性)

・憲法9条に賛同します。このような憲法があることで、私たちは、戦争のもついかなる攻撃性に対して共に、立ち上がるような地域社会の結びつきを強くしていくことができると思います。私たち一人ひとりのの協力こそが、最高の平和の武器だと思います。(ベルギー、50代・男性)

・日本のような歴史を持つ国が、憲法9条を広めようという行動をとることは、世界のほかの国々にとっての模範です。ほかの国々もそれに続くことを祈って。私たちに必要なことは平和への挑戦です。
(コスタリカ、20代・女性)

・日本国憲法第9条の改定に反対です。(ロシア、20代・男性)



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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