2009年6月1日月曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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「日の丸」・「君が代」反対!!

●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる。!!



中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より


  膨大な細菌戦部隊の設立

2、731部隊の編成

●731部隊部隊長:石井四郎
1932年に石井部隊(731部隊の前進)を創立。1942年7月に初任部隊長。軍事費乱用容疑で軍部に検挙され部隊長解任。1945年3月、部隊長に再任し、731部隊の崩壊と逃亡までに至る。
●第二任部隊長:北野政次
1894年に日本の兵庫県に生まれる。1920年に東京帝国大学医学部を卒業。1932年に石井四郎と共に軍医少佐として中国の東北に。1936年から1942年にかけて「満州医科大学」細菌研究室の教授、主任を担当。1942年7月には731部隊の第二任部隊長を引き継ぎ、1945年3月に石井四郎と交替。
●731部隊の高等官の大部分は日本の医学界から集められた医学専門家である。
●判任官は731部隊の文職であり、そのほとんどが731部隊では中堅的存在。
●731部隊の女子軍属たちは文職を担当し、軍籍を持っていた。
●石井四郎の兄、石井剛男:特別班班長を担当(特別監獄を管理した。)
●石井四郎の兄、石井三男:動物班班長
●731部隊は特殊部隊であったため、一切の活動は機密で、隊員の外出は変装が要求された。当時ハルピン駅の近くに白樺寮という建物があり、ここは731部隊隊員たちがハルピン市内に出るための連絡所であり、隊員たちは平房から車で白樺寮まで行き、そこで民間人を装い、車のナンバーも変えた。
●※日本関東軍は1940年に石井部隊4支隊の設立と分布に関する命令を出した。その内容は孫呉673支隊、牡丹江643支隊、林口162支隊、ハイラル543支隊及び大連319支隊衛生研究所を直属とすることが含まれている。設立に時期、駐屯の地点や定員数などは日本陸軍参謀本部に厳しく要求され、各支隊の定員は300人とされた。

※この『中国侵略日本軍731部隊』(日本語版)には、かなり間違った記述があるように思われます。ページの前後で、書かれていることに矛盾する点があったので、私が訂正を試みましたが、事実と違っていることもあるかも知れません。あしからず!!

●日本軍細菌戦部隊
日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   516部隊

   731部隊

  
  731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  化学兵器CAREみらい基金ブログ

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  南京への道:史実を守る会

  根津公子さんのページ
  


     
   「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺

 中山門外の東側郊外一帯での集団虐殺

  陸玉華(女、61歳)の証言
 1937年には、私の家は中山陵でした。家には8人いて、父の陸松林が62歳、母の陸朱氏が49歳で上の兄の陸同興と、兄嫁の尚美華とに、次兄の陸順宝、上の弟の陸順項、下の弟の陸少武と私でした。
 日本軍が南京を占領する前に、情勢が緊張してきたので、家族が分散して避難しました。私は上の兄と兄嫁とについて淮安県に避難しました。母は上の弟と下の弟とを連れて沈挙人巷の難民区に避難しました。父は家を離れ難くて、家に留まり留守番していました。
 日本軍が入ってきた時、中山稜からやって来て、父が家の入口にいたので、日本軍に捕まえられて行き銃殺されました。母は難民区にいて、父が殺されたと聞いたもので、すぐに父の死体を引き取って葬ろうと叔父と一緒に家に駆け戻って行きましたが、途中で日本兵に発見され、強かんされてしまい、母はこの事で神経の病気になり恨みを抱いて死んでいきました。2番目の兄と3番目の弟も日本軍に捕まっていって銃殺されました。日本兵が私の一家4人に死をもたらし、家中にむごい苦しみを引き起こしてくれたので、この恨みは永遠に忘れられません。その頃私の家みたいなのはまだ良い方で、生き残れた者もいたのですが、私のお隣の家の人たち6,7人は、みんな日本軍にガソリンで生きたまま焼き殺されたのですから、ほんとに残酷の極みです!(曹義富と陳小敏と呂郎坤が記録)

         「Imagine9」【合同出版】より




想像してごらん


世界から戦争のなくなった


平和な世界を。



Imagine,



A peaceful world 



without war.




でも、どうやったら


そんな世界がやってくるのか




一つひとつ考えてみよう。


But,how can such a 


world be made?


let's think about it.







第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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