2009年6月9日火曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

ノブの雑感のタグをクリックしてください!!

「日の丸」・「君が代」反対!!
●民主党の相原久美子議員が平頂山事件の現場に行き、国会議員24人の署名のある謝罪状を手渡しました。中国通信社の記事
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より


  「特別移送」の実施、生体実験の進行

 1932年から、石井部隊は背蔭河の「中馬城」にて生体実験を始めた。被験者は「マルタ」、つまり「丸太」と呼ばれた。1935年末、731部隊は平房区域に移転し、実験材料への需要が大幅に増え、世界で唯一の同じ人間に対する大規模な生体実験という残忍非道な研究計画を実施した。731部隊の生体実験の中心部ー「四方楼」の中心部には「特設監獄」が設けられ、彼らは実験材料となる者たちを特設監獄に入れ、名前代わりに3桁の数字をつけた。《細菌兵器の準備及び使用容疑による旧日本陸軍軍人の裁判史料》にある元731部隊隊員の述懐によれば、1939年から1945年までの間だけでも、731部隊は少なくとも3000人以上の中国や外国の人々を各実験によって殺害している。

2、生体を利用した各実験


細菌感染実験

●731部隊による生体実験の種類は数多く、細菌の感染実験だけでも4,5種類あり、細菌の注射、内服、皮下埋入の3種類が常用され、この3つの方法で比較実験が行われた。彼らは15人の被験者を3組に分け、それぞれ上述の3つの方法で0.1、0.2と0.3グラムの細菌を注入し、被験者の反応を観察した結果注射法が最も効果があるとの結論に至った。
●2000年に、731部隊の「四方楼」の旧跡発掘の際、注射実験に使用した注射器が発見された。

凍傷実験

●凍傷実験は731部隊の重要かつ残忍な実験であり、その目的は極寒地区の作戦における凍傷治療問題の研究と解決である。最初、凍傷実験は冬に行われ、彼らはハルピンの寒冷気候を利用し、被験者達を室外にて縛り上げ凍傷を負わせた。のちに凍傷実験を年中実施するため、凍傷実験室を建てた。実験室は吉村寿人が担当することから、この凍傷実験班は「吉村班」という別名を得た。

毒ガス実験

●毒ガス実験とは毒ガスの人間に対する殺傷効果の研究を専門とした実験。731部隊の毒ガス実験は、常にチチハル駐屯の第516毒ガス部隊と共同で行い、また毒ガス実験に使われる被験者のほとんどは凍傷実験を受けた後の人間である。毒ガス実験は通常大きさの異なる2つの部屋を毒ガスパイプでつなげ、大きい部屋で発生した毒ガスはパイプを伝って小さい部屋へ流れ込む。この小さい部屋が被験者が実験される現場となっており、実験者は外から観察し、被験者の状態を随時正確に記録するため、小さな部屋の壁は通常透明なガラスでできている。

解剖実験

●かつて生体解剖を行った胡桃沢正邦氏は亡くなる4ヶ月前、ついに真実を明かし、「生体実験は被験者を手術台に固定し、その意識があるかないかの状態で解剖を行う。昏睡状態での解剖で、被験者が激しくけいれんするが、意識がはっきりした状態での解剖では、被験者は大声で叫びだす。一度、私は中国の妊婦を解剖したが、手術の前、彼女は赤ん坊だけは助けて欲しいと願ったが、??私は・・・・・・・・」と苦しそうに話した。

死体焼却炉

被験者は各種細菌実験を受けたあげく、生きながらも解剖室で解剖され、内臓はすべて取り出されて標本にされ、残った価値の無い身体は最終的には死体焼却炉に放り込まれて、その存在を完全に隠滅された。731部隊には3つの焼却炉があり、「四方楼」に一番近いのが被験者の死体焼却炉で、この焼却炉はのち撤退間際に廃棄された。現在は北岡焼却炉(遺跡)と北窪地焼却炉(遺跡)だけが残り、この2つの焼却炉は当時小動物の死体と細菌の研究開発過程で中毒死した731部隊の隊員の死体を焼却するものであった。


 ●日本軍細菌戦部隊
日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   516部隊

   731部隊

  
  731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  化学兵器CAREみらい基金ブログ

  大久野島(毒ガス島)

  中国人戦争被害者の要求を支える会

  中帰連

  ハイナンネット
 
  南京への道:史実を守る会

  根津公子さんのページ
  


     
   「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺

 中華門外での集団虐殺

 皇甫澤生(男、73歳)の証言

 私は山西省の左権県の者で、73歳ですが、今は太原市に住んでいます。
 1937年に私は南京を防衛する兵隊の1人でしたが、日本の侵略者の軍が城下に迫った時、南京防衛の責任を負う指導者に組織力が無かったことから、撤退する時に極度の混乱を引き起こしました。挹江門を出た時、各部隊とも既にばらばらになっていました。下関(シャーカン)に来た時には、長江には大きい船も無く小さいのも無く、無組織の散り散りになったあまたの兵が上新河の方へ流れて行った時には、兵に指揮者がいないのと、挹江門を出る押し合いでほとんどが銃を失っていたのとで、日本兵と戦うわけにはいかない状態になっていたため、前後して数百人が日本軍に捕らえられて捕虜になったのですが、私もその1人でした。
 私達は板橋鎮のある谷間まで連れて行かれて、集団で日本軍に機関銃で射殺されました。私はその時は死ぬしかないんだと思っていました。日本兵は銃で射殺し終わってから、傷してまだ死んでいない仲間たちを、銃剣で刺殺しました。その時私は死体の下に押し付けられていて、まだ生きているんで死んでないんだと分かりました。私がまだ生きているのを日本軍に気付かれないためには、ほんのちょっと動くことも出来ませんでした。およそ1時間余りして、あたりがもう何の物音もしなくなった頃に、傷を受けた仲間が1人泣いているのが聞こえただけで、私は顔を上げてあたりを見回すと、現場から遠く離れた東山の山頂で、一般市民が、見渡しているのが見えたので、それで私は日本軍がもう行ってしまっていないのだと確認しました。そこで起きだして座り、身体中を調べてみると、どこも傷していなくて、密集した銃弾の下で、自分が死ななかっただけでなく、小さな傷1つ受けなかったというのは、今になってもまだ私には1場の夢としか思えないのです。
 その時その傷を受けた遭難仲間が、身体中いっぱい負傷していて、出血しすぎたためなのでしょう、のどが渇いてたまらなく、水を少し汲んできて飲ませて欲しいと頼まれましたが、私はその人に傷したら水を飲んではいけないんで、自分が手助けして一緒にここから逃げてもいいからと勧めました。その人は、自分はもう動けない、堪えられない渇きを止めるのには水をちょっと飲むんだ、と言いました。その人は長くは生きられないと自分で感じていて、とにかく水を少し探してきてくれと頼むので、どうしようもなく私は軍用の水筒で田んぼの脇の沼から水を1杯汲んできてあげて、その患難仲間に別れを告げたのですが、それは又永久の別れでもあったでしょう。私は物悲しい思いを抱いて、この災難で死んだ何百人もの人たちと、この気息奄々(きそくえんえん)たる哀れな患難仲間とを後にし、東の山の端の方へ走って行ったのですが、数多くの土地の方々のお世話やお導きによって、安徽省(あんきしょう)南部の南稜などの地を経、やっと日本の侵略者たちの占領区から逃げ出て、生き残って来られたのです。(段月萍が皇甫澤生の1987年の手紙によって整理) 
  
           「Imagine9」【合同出版】より



想像してごらん、



ひとりひとりの安全を



大事にする世界を。



Imagine,


A world that values


the safety of each and



every human.



政府と政府とのあいだにではなく、人と人とのあいだに平和をつくる事が
大切だと思います。人と人とのあいだには、文化があり文明があります。
政府が変わっても、人間の文化や文明は変わりません。
私はイラク人として、日本の人たちとイラクの人たちの間に
平和をつくりたい。それが私の理想です。
(イラク/男性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


ノブの雑感のタグをクリックしてください!!

0 件のコメント:

フォロワー

ブログ アーカイブ

自己紹介

新しい自分を発見中