2009年6月12日金曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

ノブの雑感のタグをクリックしてください!!

「日の丸」・「君が代」反対!!

●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!

731部隊の足跡
中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より

4、細菌兵器の研究開発

14世紀半ば、ペスト病が欧亜大陸を襲い、ヨーロッパでは4分の1近い人口の命が奪われた。そのため、細菌兵器の危険性は国際社会に広く知られ、ペスト菌を主剤とした細菌兵器の開発と生産は硬く禁じられていた。ヨーロッパ訪問後の石井四郎はこの事情を知っていたものの、彼の率いる731部隊はその禁令を破って細菌兵器の開発を続けた。彼は日本医学界の有能な学者を集めては細菌兵器の研究に従事させ、ペスト、コレラ、腸チフス、炭疽などの病菌を細密に研究し大量繁殖させた上、ペストウィルスを感染させたノミを用いて細菌戦を数多く行った。その他、ウィルスを持つ陶器爆弾など細菌使用兵器の設計にかかった。1940年、細菌の保存とその殺傷力増強のため、731部隊は粉末状の細菌の大量生産をはじめ、粉末状の炭疽菌とペスト菌を相次いで開発した。

1、細菌生産

●「石井式細菌培養箱」は石井四郎が「発明」した細菌生産用具の1つであり、731部隊で広く用いられた。細菌繁殖の際、まず補助材料を容器の内壁に沿って中に流し込み、そして菌株の付いた軽金属の薄板を中箱の間に差し込み細菌を繁殖させ、1生産周期を20時間とする。元731部隊隊員の田村良雄氏の記憶によれば、1つの細菌培養箱の20時間の細菌生産量は10グラムだが、731部隊は毎度1000個以上の細菌培養箱を使用していた。

●731部隊の細菌培養に使う培養基は3回使用できる。細菌生産で1周期が終えると、培養基の細菌を掻き出し、溶解釜で培養基を溶解させ、再び培養基に菌株を植入し、それを3回繰り返して培養基が培養能力を失うまで続ける。

●731部隊では物品消毒に、通常は乾熱滅菌器を使用する。まず、消毒する物品を乾熱滅菌器に入れて密封したあと、電気で加熱し、同時に最上部の通風孔を開く。そして、器内の温度が160℃に達した時、温度を下げて低温加熱に切り替えて30分から1時間続ける。最後に、器内の空気温度が170℃から180℃に達すると、加熱を止めて通風孔を閉じ、密封状態のままで自然冷却させる。



●日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   516部隊

   731部隊

  
  731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  化学兵器CAREみらい基金ブログ

  大久野島(毒ガス島)

  中国人戦争被害者の要求を支える会

  中帰連

  ハイナンネット
 
  南京への道:史実を守る会

  根津公子さんのページ
  

南京大虐殺 
   
「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺

 中華門外での集団虐殺

徐正陶(男)の証言

 1937年に、日本の軍隊が南京に攻め込みましたが、まだ南京に入らない前に、私達のこの村の近くでも、残忍非道な大虐殺が行われ、2万人以上が難に遭ったのです。
 その時、日本兵はここに駐屯していた中国の軍隊と付近の村民2万人余りを、今の寧蕪公路と古雄駅から梅山工程指揮部までの専用鉄道線路とが境を接する所(村人達は唐家沖と呼んでいた)に集めて集団的に大虐殺を行ないました。駆り立てていく間に、中国の軍人と無辜の民衆とがたくさん日本兵に軍刀で西瓜を割るような仕方で斬り殺されました。集め終えてから、日本兵が小高い所に機関銃を据え付け、窪地にいる2万人に向け気違いのように掃射するや、途端に、地が一面に横死体でびっしり敷き詰められ、血がそばを流れる小川を真っ赤に染め、そのすさまじさは見るに堪えないものでした。続いて、残酷な日本兵は死体の山の周りにたきぎを並べ、死体にガソリンをまき、野蛮にも燃やしてしまうという、その全く人間性を喪失した甚だしさたるや思わず髪が逆立つほどの怒りを覚えます。
 日本兵が去って行ってからも、まだ死に切れない被害者がたくさん苦しそうにうめいていて、間もなく恨みを抱きつつ死んでいき、ごく少数の者だけが九死に一生を得たのでした。
 それに、日本兵は至る所でホアクーニャン(花姑娘=若いきれいな女の子)を探していて、その時女の子が2人いたのが日本兵に踏みつけにされるのを恐れて、土窯に入り込んでいましたが、日本兵が2人に出て来いと命じても、肯じようとせず、とうとう日本兵が煙で活きながらに燻し(いぶし)殺してしまい、今に至るまで2人の墓がうちの村の東の丘に在ることとなりました。(石磊と王慧が記録)

憲法9条

 「Imagine9」【合同出版】より



9条をつかって、


戦争のない世界をつくる。


中米の国・コスタリカも平和憲法をもっています。コスタリカは1949年、軍隊を廃止しました。
軍隊の廃止によって、国は教育や医療などにお金を使うことができるようになりました。また、軍隊がないコスタリカに攻め入ろうと考える国はありません。
 ところが、2003年に、アメリカがイラクに対する戦争を始めると、コスタリカ政府はこれを「支持する」と表明しました。これに怒った大学生ロベルト・サモラさんは、裁判所に政府を訴えました。「イラクへの戦争を支持するなんて、平和憲法への違反だ!」
 裁判所はロベルトさんの訴えを認めました。そしてコスタリカ政府は、イラク戦争への支持を取り下げました。ロベルトさんは日本に来て言いました。
「憲法はただ単に守ればよいものではありません。平和憲法は人々のもの。人々が使うためにあるのです」

 ほかにも世界の多くの国が平和憲法をもっています。イタリアや韓国の憲法は侵略戦争をしないと定めています。フィリピンは核兵器をもたないという憲法をもっています。
 スイス、オーストリア、アイルランドなどの国々は、憲法で軍事対立のどちら側にも味方しないという中立をうたっています。
 こうした平和憲法を私たちが活用し、世界にゆきわたらせていけば、戦争を起こさない世界をつくる事ができます。「イマジン 9」は、そのような世界のつくり方を、9通りにわたって、皆さんと考えたいと思います。


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


ノブの雑感のタグをクリックしてください!!

0 件のコメント:

フォロワー

ブログ アーカイブ

自己紹介

新しい自分を発見中