2009年7月6日月曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺(夏淑琴さん)

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「日の丸」・「君が代」反対!!

東京都三鷹市で起こっていること

(転載)「慰安婦」展開催を妨害する団体の圧力に屈せず、
三鷹市と協同センターは、毅然とした対応を! 

フィリピン・元「慰安婦」支援ネット・三多摩 代表 ○○
事務局 ○○   ロラネット 一同
FAX: 
        E-mail:hatinoko@ba2.so-net.ne.jp

私たちロラネットは三多摩地域でフィリピンと国際協力や平和、人権などで交流してきた市民グループの集まりです。
2000年7月に発足以来、裁判支援や「戦争と女性を考えるワークショップ」や学習会、被害者との交流・証言集会やパネル展など、三鷹市、その他の地域で行ってきました。

昨年から、地元の市議会議員や多摩選出の国会議員の方々に、慰安婦問題を啓発するアンケートをお願いしました。今年は、三鷹市議会に請願を提出し、「日本軍慰安婦問題に政府は誠実に対応せよ」との意見書の採択に取り組んでいただき、6月23日に可決しました。
(野村羊子議員が意見書提案、公明、民主、共産、にじの会の賛成、17対、自民の反対10で可決)

私たちはまた、4月以来、日々、高齢と病気で亡くなる被害者のおばあさんたちに一刻も早い人権回復を!との思いで、下記のような「夏休み、親子で考えるパネル展」を企画しきました。


・・ 7/29~8/3;「中学生のための慰安婦展」+「慰安婦」DVD上映・・・・
・・ 8/1;講演「慰安婦」問題-世界と日本の今-講師 渡辺 美奈氏・・・


しかし、このパネル展の広報と、三鷹市議会意見書採択が重なった6/25 以降から、右翼的な団体「在日特権を許さない市民の会」(在特会)から、会場を提供している市民協働センターや、三鷹市に<反日極左によるポルノまがいの売春婦展を認めるのか>という意味の抗議メールやTELが連日押し寄せるようになりました。そして、<「サルでもわかる慰安婦(売春婦)展」なるものをぶつけてやろうか>とブログでつぶやいて間もない7月1日に「在特会」の桜井誠、西村修平氏、他4人の計6人が、三鷹市市民協働センターに押し寄せ、協働センター側の手続きの不備を突いて、あろうことか私たちの開催期間と同じ日時、同じ場所の会場使用申請を行い、登録団体申し込みなどをしていき、三鷹市にも押し寄せ、許可するよう圧力をかけていきました。
・協働センターは、この私たちの企画に当初からとても協力的でしたが、多数に脅されて、書類を受け付けてしまいました。(許可は保留中。決定ではない)
・手続き上の不備というのは、4月10日にロラネットが展示ホールを7/29~8/3まで申し込んだところOKと許可されたため、申請書を書かねばならないことを知らず(催促もされず)提出していなかった。この期間中の一日、WAMの渡辺美奈氏の講演会をその後企画したため、会議室使用の申請書を提出するよう言われ、それは提出しました。この間協働センター側はこちらの広報よりも先んじて、三鷹市のH・Pにのせてくれていました。


・7月1日に西村、桜井氏などの団体が、協働センターに脅しきた時点ではじめて申請書が提出されていなかったことにセンター側は気づき、その点を逆手にとられて上記の暴挙をされ、会場提供側-協同センターはそれを拒否できなかったということのようです。
・しかし、これは協働センター側の手続き上のミスであり、口頭ではあれ、許可したことを前提に4月以降、事が運び、広報も率先してセンター側がやっていたことを考えれば、充分に主催者のロラネット側を許可している上での行為のなにものでもありません。
・ロラネットは指摘されて同日の7月1日にロビー(展示室)の申請をしましたが、他とのダブル申請なので、保留という扱いを受けています。
・今まで私たち主催者側に協力してくれていた三鷹市と市民協働センター側が圧力に屈して、三鷹市議会の慰安婦問題に関する意見書の精神を踏みにじる、差別的、右翼的な団体を優先する行為は許されません。


これをみて下さっているみなさまにぜひ、三鷹市や協働センターが毅然とした対応をとり右翼的な団体の登録を認めず、ロラネットが従来どおり開催できるよう決断してほしい旨のTELやFAX、メールなどしていただければ幸いです。(抗議ではなく支援の方向)

(さきの団体の新規の登録手続きは1週間ですので7月1日~7月7日の間に市は判断をすることになります)締め切りが迫っていますので早急におねがいします。以下 案文です。
「慰安婦」展開催を妨害する団体の圧力に屈せず、
三鷹市と協同センターは、毅然とした対応を!


三鷹市長 様
三鷹市コミュニティ文化室 様
市民協働センター 様

緊急要請

・三鷹市市民協働センターは、ロラネットの予約の正当性、貸出申請の優先権を認めて下さい。
・三鷹市は市民との協働を推進するため、公平な正しい判断を下して下さい。
・三鷹市市民協働センターは自らの手続きミスを認めると同時に、市内の市民活動を支援すべく、毅然と対処して下さい。
・「中学生のための慰安婦展」は、人権を基本とし、事実に基づいた展示であり、既に全国各地で展示された実績のある内容です。
以上
_________________________________________


そのほか、良いアイデアがありましたら、ご提案下さい。

◇三鷹市(トップページにメール・フォームのリンクがあります)
http://www.city.mitaka.tokyo.jp/
fax 0422-76-2490(企画部秘書広報課)

◇三鷹市生活環境部コミュニティ文化室(コミュニティセンターなどを担当)
電話番号 0422-45-1151(代)
ファクス番号 0422-45-5291
Eメールアドレス komyunitei@ctiy.mitaka.tokyo.jp

◇ 三鷹市市民協働センター
TEL:0422-46-0048  FAX:0422-46-0148
E-mail: kyoudou@collabo-mitaka.jp

・・南京への道・史実を守る会・・・・・・・
URL:http://www.jijitu.com
ML_URLhttp://www.egroups.co.jp/group/honda_sien/
mail:honda_sien-owner@egroups.co.jp
FAX:020-4624-2381




●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊の足跡

中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より

731部隊の主な事項史

1939年
6月23日から9月の上旬
石井部隊がノモンハン戦争に参加し、碇常重をはじめとする「決死隊」がハラハ河に細菌投入。この戦いで石井部隊の40名近い隊員が命を落とした。
9月
日本関東軍憲兵隊司令部の命令に基づき、日本軍と傀儡軍、警察、憲兵隊、特務などが石井部隊に「特別移送」を始め、生きた人間を実験材料とした。

1940年
8月22日
石井部隊は表向きには「関東軍防疫給水部」という名を正式に使用し、本部の下に第一、第二、第三、第四、総務、教育、器材、診療の8つの部署を設け、東北の適した場所に支隊を置くことも企画。
7月から10月
石井部隊は南京「1644」部隊と共同で細菌戦計画を実施し、浙江省の寧波、金華、玉山、温州、麗水、衢県などで地区に10回にわたって細菌攻撃を行い、これらの地区ではペストが流行。
12月2日
「関作命甲第398号」令に基づき、石井部隊は牡丹江支隊、林口支隊、孫呉支隊とハイラル支隊を設立

1941年

石井部隊は太田澄をはじめとする40人から50人程度の第二次遠征部隊を編成し、常徳、温州に対し細菌攻撃させる。
8月
細菌戦の実施が明るみに出るのを恐れ、部隊名を変更。
本部を満州731部隊と改名
牡丹江支隊は満州第643部隊改名
林口支隊は満州第162部隊と改名
孫呉支隊は満州第673部隊と改名
ハイラル支隊は満州第543部隊と改名
 
11月
日本軍機が常徳の上空からまたも細菌を投下し、常徳とその付近の桃園、豊県ではペスト病が広い範囲で流行。

日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
化学兵器CAREみらい基金ブログ

  
大久野島(毒ガス島)

  
中国人戦争被害者の要求を支える会

  
中帰連

  
ハイナンネット
 
  
南京への道:史実を守る会

  
根津公子さんのページ
  

南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

本人の受けた害

王芝如(女、62歳)と夏淑琴(女、55歳)の証言

 王芝如:日本軍が入ってくる前は、家は小荷花巷でした。中国侵略日本軍が南京で大虐殺をやったときに、我が家で中華門の内新路口の家に留まっていた9人の内、7人殺害されました。小さい女の子が2人残りましたが、7歳のが刺されて傷し、3歳のがおびえておかしくなりました。刺されて傷したこの姪が今は中山門外の竹林新村にいる夏淑琴なのです。
 日本軍が南京を占領した時、私は夫について小さい子供2人を連れて難民区に避難しに行き、父と母と、夫の姉とその主人、それに姪5人とが家に留まっていました。難民区へ着いてから、家にいる者を迎えに夫に戻ってもらうつもりでいたのですが、何とそこに着いたら出て来れなくなったのです。20何日かして家に帰って見たら、、家には死体が7つ転がっていたのです。父と母と夫の姉の主人とが殺害されていて、1番上の姪(20歳)と2番目の姪(18歳)と夫の姉とが活きながら踏みつけ死されていて、7歳の姪が幾太刀か刺されて意識を無くしていて、3歳の姪が恐さに気が変になっていて、1番小さい姪が日本軍に突っつき殺されていたのです。その時の惨状は言葉ではとても形容できません。夫はそれらの死体を見て狂わんばかりに気忙しく走りまわり、とうとう棺桶を1つ見つけて来て、卍字会が板を4枚下さり、それに家の大きな戸棚を使って、草々に弔い事を片付けたのでした。
 夏淑琴:王芝如は私の叔母で、今言ったのはみんな事実です。
日本軍が中国を侵略した時、私たち大きな門の中に2軒の家で住んでいて、1軒が回族で、4人いて、我が家が9人で、合わせて13人でした。日本軍はほんの10何分かの内に、私たち2軒で11人;お隣の4人と我が家の7人(母方の祖父と祖母、父と母、1番上の姉と2番目の姉1番下の妹)を銃殺したのです。私と妹1人とだけが生き残ったのですが、その時私は7歳で、妹は3歳でした。
私は背中を2太刀突っつかれ、左腕を1太刀突っつかれて、今になっても傷痕が残っています。(孫宝珍と劉順河などが記録)


憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

考えてみよう、

日本の憲法9条のこれから。


日本が「9条を変えて、戦争に行ける国になるべきだ」と言う人たちがいます。誰が何のためにそう言っているのか、考えてみましょう。
 2001年の「9・11事件」以来、アメリカは「テロと戦う」といって、アフガニスタンやイラクなど世界のあちこちで戦争やその準備をしています。そしていろいろな国に「一緒に戦おう」と協力を求めています。日本の自衛隊はイラクに派遣されましたが、アメリカはこのような協力を、さらに本格的に日本に求めています。そこで邪魔になるのが、「戦争に参加してはならない」と定めた9条です。

 また、日本国内にも、戦争のためのミサイルやハイテク兵器をつくってもうけようという企業があります。彼らにとって邪魔になるのは、「武器を売ってはいけない」と定めた9条なのです。こうした理由から、アメリカ政府や日本の一部の大企業は、9条を変えたいと思っています。
 そうやって日本が「戦争できる国」になっていくことを、かつて日本に苦しめられたアジアの人々はどう感じるでしょうか。近隣の国々は、日本の軍事化をどう見るでしょうか。そして皆さんは、世界の中の日本のあり方を、どう考えるでしょうか。




第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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