2009年8月3日月曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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「日の丸」・「君が代」反対!!
●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。

●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊

『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より

1,白地に紅く

(昨日の続き)戦わずして野戦病院へ
日本軍の敗北は明らかであった。とにかく、彼らとの戦力のの差異を徹底的に見せ付けられた戦闘であった。今思えば、この戦力の差異が731部隊の細菌戦準備に拍車をかけたのかも知れない。
 その後、私はチチハル野戦病院からハルピン陸軍病院、当時、7部隊と呼ばれている病院へ護送された。私が入った病室は4人部屋で、そこには、特務機関の幹部の人、憲兵隊の幹部でハルピンの立入禁止区域道外の分遣隊長をしていた人、そしてもう1人が731部隊(当時は石井隊長の出身地の地名をとって加茂部隊と呼ばれていた)の研究班にいた北海道出身の斉藤さんの3人がいた。
 私と斉藤さんとは気が合い、よく話をした。その中で、私の自動車免許は昭和9年以来のものであること、長野にいる頃知事専用車に保温器を考案したこと、などを話した。するとこの人は大変関心を寄せて「加茂部隊(石井部隊の前身)は技術者を集めているが、来ないか」と熱心に勧誘した。宿舎も与えられ、軍属という資格で入隊すると召集がないという。それを聞いて、私は大いに心が動いた。
 しかし、傷が快方に向かうと、南満州の遼陽の陸軍病院へ移されたので、斉藤さんとはそこで別れることになった。当時、陸軍では病状が快方に向かうにつれて暖かい方へ、より原隊に近い方へ移動させるのがならわしになっていた。 (明日に続く)


※ノモンハンでのソ連軍との戦闘は、日本軍に相当な打撃を与えたようだ。ノモンハンで石井部隊はいろいろと実践したが、あまりに関東軍の打撃が大きかったので、最新兵器の開発を急ピッチに進めたのだろう。もちろん、大元帥昭和天皇や軍部の了解の下に。

(ノブ)

日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
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南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

本人の受けた害

邵栄奎(男、63歳)の証言
 1937年の冬月11日に、日本軍の飛行機が南京城内にむやみに爆弾を落としたので、私は難を逃れて江心洲へ行きました。江心洲で私は日本軍が我が同胞を3百人余り機関銃で撃ち殺してから、、死体を長江に押し入れたのをこの目で見ました。やがて、私は日本兵に捕まって人夫にされましたが、途中で、私を連行している日本兵が鶏をつかまえに行ったので、その隙に私は逃げてしまいました。そのほかに、莫愁湖の東の池で、中国人が8人、日本軍に縛られ水の中に放り込まれ、8人とも活きながらに溺れ死んだのを、私はこの目で見ました。(童学華と○厚明と夏龍生が記録)

※日本軍の機関銃による集団虐殺と略奪の様子、中国人を人夫としてただ働きさせたこと、リンチの様子がわかる。日本軍の一方的な侵略戦争で行われたことだ!(ノブ)
 
憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

戦争にそなえるより


戦争をふせぐ世界


また、資源などを狙う外国が、その国の中の武力紛争を悪化させることも少なくありません。平和づくりはその国の人々が主人公になるべきであり、人々が自分たちの土地や資源に対してきちんとした権利を持つ事が重要です。貧しい国に「援助してあげる」のではなく、人々の権利を保障していく事が、平和の基盤をつくるのです。

 いわゆる「テロ問題」も同じです。テレビでは連日、イラクなどでの「自爆テロ」が報道されています。それに対して軍が投入されても、「テロ」はなくなるどころか、かえって増えていってしまいます。「テロリスト」と言う言葉が独り歩きしていますが、このような暴力をふるう人たちは、いったいどのような動機からそうしているのでしょうか。
 「貧困、不正義、苦痛、戦争をなくしていくことによって、テロを行おうとする者たちの口実となる状態を終わらせる事ができる」と、コフィ・アナン国連前事務総長は語っています。暴力に対してさらに大きな暴力で対処しようとすることは、結果的に暴力を拡大させ、人々の命を奪い、人々を大きな不安の中におとしいれます。どうすれば人々が暴力に走ることを予防できるのか考える事が大事です。
 そのための鍵は、軍隊の力にあるのではなく、市民どうしの対話と行動にあるのです。


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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