2009年8月10日月曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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「日の丸」・「君が代」反対!!
●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。

●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊

『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より

1,白地に紅く

(昨日の続き)私の仕事は、ペスト米づくり
しかし、平房本部隊には第3部運輸班の総務部付分遣隊があるにもかかわらず、最初入れられたのは第4部細菌班であった。私の仕事は、なんとペスト米づくり、米にペスト菌をまぜる仕事であった。 まず、3時間ほど水に漬けた米をビール瓶に入れ、その中に、あらかじめシャーレの中の寒天で培養されたペスト菌を、ヘラですくって入れるのだが、これは専門家がやってくれた。新人者の私の仕事は、それを攪拌調合する仕事である。瓶をたくさん差し込んだ円筒形のものを、電気でガラガラ廻したり、止めたりして調節するのである。ペスト菌は眼に見えない上に強力な菌で、予防装備は大変なものであった。作業衣は、ゴムのつなぎ服をチャックで締め付け、それにゴム長靴・マスクなどをつけるものだから、作業が終ると汗でびしょぬれになった。(明日に続く)

※戦争に勝つことを目的にすると、手段を選ばなくなりますね。それがたとえ国際法に違反していても何でもやる。天皇の命令で建てられた施設内での出来事である。天皇の軍隊の実態である。(ノブ)

日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
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南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

本人の受けた害

張孝山(男、76歳)の証言
(昨日の続き)何日かして、日本軍が難民区に捜査に来ました。およそ手にたこができていたり、頭に帽子のあとがあるのは、みんな兵隊だったとみなされ、一斉に捕まって行き虐殺されたのです。私は漢中門外の河の岸から河の中まで、死体が山のように積まれ、血が河のように流れたのをこの眼で見たのです。私は手にずっと娘を抱いていたのと、妻もはらんでいたのとで、私は捕まりませんでした。
 日本軍が入って来て13日目に、私は難民区から薪や穀類を見つけに家へ帰ろうとし、日本軍に捕まって行きました。明くる日、天秤を担がされ、ずっと江寧県の淳化鎮まで担いで行き、やっと放たれ家に帰ったのですが、私たち一緒に行った人夫8人は日本軍が出した通行証を1枚貰いました。私たち8人がこの眼で見たのは淳化鎮で、日本軍がもう1人の人夫を針金で電信柱にくくりつけ、ガソリンをかけ、火をつけて活きたまま焼き、その人がずっと叫びわめいているところでした。その人がまだ完全には死なずにいる時に、日本軍が私たちに縛ってあるのを緩めろと命じました。8人は結び目を解き、その人を医者の看板がかかっている家の戸口まで抱えて行き、医者に治療してもらおうとしましたが、日本軍が許さず、私たちを追い立てました。(許亜洲が記録)


憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

世界は、


9条をえらび始めた。


・ある国が戦争放棄を掲げるということは、世界のほかの国々への力強いメッセージになると思います。
(イギリス、30代・男性)

・第二次世界大戦の悪夢を経験した一人として、私は、力ではなく正義と社会秩序による国際紛争の解決手段があること、そしてそれに基づいた国際平和と理解が達成できることを信じています。紛争解決は、交戦ではなく平和的な方法でなされるべきだと思います。(フィリピン、60代・男性)

・僕の国はベトナムで戦争をして、何百万人ものベトナム人と何万人もの自国の兵士を犠牲にし、何も得ませんでした。それなのに、今も戦争をしています。アメリカは根本的に反省しなかったんです。こういう国に従って日本が憲法を変えようとするのは、非常に残念です。
(アメリカ、50代・男性)

・武器でいっぱいの世の中に暮らすことは、自分の墓を掘っているようなものだと思います。現実には、世界の指導者たちが行っていること、特に軍事力を増強していくことは、私にとって全く無益なことだと思います。お金をこうして無駄にするのではなく、教育の拡大と貧困の撲滅のために利用した方がよっぽど有効だと思います。
(フィリピン、60代・男性)

・私は第二次世界大戦の経験者として、日本国憲法第9条をいかなる手段でもっても排除すべきでないと思います。戦争は、人の命を奪い、人びとを苦しめました。武器はこの世に必要ではありません。世界に脅威を与えるべきではありません。過去の過ちを繰り返さないで下さい。(ロシア、60代・男性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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