2009年10月22日木曜日

遺棄毒ガス訴訟!!

日本軍は中国に敗戦直後大量の毒ガス弾を遺棄して撤退した。
最近、その遺棄された毒ガス弾が、都市の再開発で工事現場などから出てきて、多くの中国市民を苦しめている。日本軍の罪業はまだまだ続いている。日本政府はこの問題に関してほとんど無視し続けている!!国側弁護士の態度にもあきれ返る!!

 その中国の被害者が日本で裁判を起こし、闘っている。


 以下は裁判を傍聴した方の報告です。(メールで着ていたので勝手に転載させていただきました。あしからず)。

倉橋です。
 昨日東京地裁で、チチハルの毒ガス被害裁判の傍聴に参加しました。
 実に多くのことを感じた1日で、皆さんの熱気に元気をもらいました。
 70名あまりの参加で、若いかたも多かったです。

午前11時から、原告被害者の楊樹茂さん(45歳)に、富永弁護士の質問が続きました。

 楊さんは(父が元地主であったため)、子どもの頃文革で迫害され、貧しい生活に耐えてきました。職を転々としながら、次第に豊かになり、ひまわりの種を精選販売する会社を設立、どこよりもいい物を販売し、大きく発展したところでした。

 2003年8月4日、自宅の庭用にトラック5台分の土を買い、11日に整地作業をしたため、両足に水泡ができ、やがて203病院に入院、3ヵ月後に治らなくとも退院となりました。
 体に無理して、200キロのひまわりの種を精選、得意先40軒の店などに出向きましたが、感染を恐れ一つも売れませんでした。

以来、会社はつぶれ、だるい体で働けず、イライラ(悶胸・胸が苦しい)で、家族との仲が壊れ、薬代で借金がかさみ、年取った父親までがゴミ拾いでわずかな金をかせぐようになった。
(このとき、思い余って楊さんは泣かれました)

最後に、もう、生きていたくないが、家族のために死ねない。なんとか、医療費が出ないだろうか。

公正な裁判を望む、との言葉でした。

楊さんへの尋問が終ったとたん、ベテランの小野寺弁護士がいきなり立ち上がり、大声で向かい側の国側弁護団の一人に向かって言われました。

「以前からあなたについては傍聴人から苦情が出ていた。
 原告の話をまともに聞こうという姿勢はなく、居眠りをしている。
今日もまた、○時○分から○分まで、さらに、2回、居眠りをしていたのを確認した。目の前で原告が泣いているのに、なんたる態度だ。

 被害者の苦しみを真摯に受け止めてほしい。

新政権は弱者にやさしくすると言っているが、あなたはその国が指定した代理人なのだから、まともな態度を取りなさい!」

見事な一撃を、裁判官も会場も固唾を飲んで見守り、言われた人はたじたじとなり、一言もありませんでした。

午後1時20分から2時間ほど、今度は原告らを検診した橘田亜由美医師に対し、
佐藤弁護士が証人尋問をおこないました。
(神経内科とは、神経の機能や器質の異常を対象とする科であり、毒ガス被害者に対し、神経内科からの検証は世界で初めてとのことです。)

橘田医師は、当初は皮膚の糜爛(びらん)がある周辺に神経痛がおこるのではと思っていたが、そうではなく、神経全体にまで、末梢神経から大脳に至るまでえいきょうしていることがわかった、と証言されました。

 感覚障害、運動障害、自律神経障害自覚症状、高次機能障害など、いくつもの分野についての、テストなどをもとに、証言されました。

膨大な資料に対し、国側代理人の質問は実に瑣末なことばかりでした。

また、小野寺弁護士から注意を受けた人は、今度は起きていたようです。

最後に、福井さんという若者がチチハルまで出かけて、被害女性の、う・景芝さんの日常生活を撮影した記録を大きなスクリーンで見ました。

 一日中咳に苦しめられ、寝ているだけの生活。彼女の薬代のために、息子は1年出稼ぎに行き、5部屋のうち3部屋を売っても、まだ足りない。
暗がりにたたずむ夫のやせた横顔が映し出されました。
彼女も、生きていたくないとつぶやきました。

法廷は4時に終了、そのあと皆で熱気ある報告集会をやり、1日が暮れました。
今日の尋問のために奮闘された弁護士さんたち、橘田医師、福井さん、そしてぎっくり腰を押して司会もされた大谷さん初め、支援会のスタッフの方々、本当にお疲れ様でした。

次回は11月16日、3人の原告が来日されます。11時より103法廷。

どうか一人でも多くのかたが傍聴されますように。

(大久野島の藤本さんはみえませんでしたが、病状悪化でしょうか。心配です。)
 
以上

(参考ホームページ)

516部隊

大久野島(毒ガス島)

化学兵器CAREみらい基金ブログ

中国人戦争被害者の要求を支える会

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