2010年4月8日木曜日

No More 化学兵器!!4月3日の集会(転載)

私は集会には行けなかったのですが、
以下は、Kさんからの集会の模様の報告です。

Kです。
4月3日に表参道のウイメンズプラザで「NO MORE化学兵器」、
チチハル裁判の集会があり、120名ほどが参加しました。

★講師の高遠菜穂子さんは、被害にあったイラク人の映像を次々に示しながら、
はっきりと、ゆるがぬ表情で、話をすすめられました。
米側が使った化学兵器とその犠牲者の映像。
クラスター爆弾、劣化ウラン弾、そして白燐弾によると思われる被害。
もうどれもむごたらしいとしか言いようがなく、どうしても目をふせてしまい
ます。
 本来何の関係もないはずのイラクの人達を、ここまでして死に追いやる
アメリカの「大義」は、とっくに破綻しているのに、日本政府はまだイラク戦争を
支持したままだ。政府の公式見解を出させる運動をすすめていこう、との呼びかけで終りました。

★そのあとは、来日したチチハルの被害者お二人の話がありました。
楊樹茂さんは、ひまわりの種の加工をしていた方で、自身の苦境を控えめに話されました。

牛海英さんは自身の廃品回収所に運ばれたドラム缶で、被毒した模様を、
つらさをきりっとこらえた表情で、話されました。時間がなくて途中で
切ったのが残念でした。

★他に、裁判の経過や、健診した医師の報告、被害者の映像などがあり、
最後に大谷さんから、5月24日の判決にむけて、5万人大署名運動を
くりひろげ、鳩山政権に解決をうながさせよう、との呼びかけがありました。
(各政党の国会議員24名のメッセージが寄せられました)

★さいごのあいさつで、牛さんが言いました。
「中国人とか、日本人とか言うが、愛に国境はなく、私達被害者は
みなさんの愛に精神的にも支えられて、生きていけます。これからも、
どうか、あたたかな支援をお願いします」
 自身の順調な人生にふりかかった大きな苦難をのりこえつつある、30代
の彼女の顔がとても美しかったです。

★私は友人3人(みなオバサン。一人は仕事で途中退席))と参加しましたが、
おわってからのお茶飲みで、
  「今日みたいな話は、日本中の人がしらなけりゃいけないねー」
  「まったくメデイアは何を伝えてるんだろ。国内のうちわもめばかり
  報道してさー」
  「判決はどうなるのかねえ。ここまで訴えても負けるんじゃ、被害者も
  生きる気力がなくなるよ」
  「署名はどれくらい集まっているのか、聞けばよかったね」
  「うちの会でやる大谷さんの講演会で、ばっちり署名をとっちまおう」
  「それにしても、女が強くなった。いいことだ」

ついついしゃべりすぎて、家へたどりついたのは夕飯時をすぎ、あわてて
スーパーでできあいの惣菜を買う始末でした。

★ みなさま
 どうかこのチチハル裁判のご支援をお願いします。署名などの問い合わせは

   ℡ 03-5379-2607   FAX 03-5379-2608
         化学兵器被害解決ネットワーク へ

☆☆小生からの蛇足☆☆
牛海英さんは自身の廃品回収所に運ばれたドラム缶で、被毒した模様を、つらさをきりっとこらえた表情で、話されました。時間がなくて途中で切ったのが残念でした。

数年前の牛海英さんの集会での証言とまるっきり人が変わったのでビックリしました。

以前の集会では、自分の不幸に打ちひしがれ、嘆いて泣き出すようでした。
(裁判所での証言陳述で心身ともに非常に疲れていたのでしょうが・・・)

しかし、不正義による苦しみが続くことから、その痛みから、人間は次第に変わり、
それに正面から向き合い、その不幸に意味付けをし生きていく道を進んでいく。
そのような姿勢を感じました。

「中国人とか、日本人とか言うが、愛に国境はなく、私達被害者は
みなさんの愛に精神的にも支えられて、生きていけます。これからも、
どうか、あたたかな支援をお願いします」
 自身の順調な人生にふりかかった大きな苦難をのりこえつつある、30代
の彼女の顔がとても美しかったです。

本当に美しかった。顔が輝いていました。

本当に、日本政府が、日本の誇りを傷付けないように、
間違いは間違いと認め、キチンと公正と正義ある態度をとって欲しいと思いました。

日中友好の真実は、このような場で試されます。

(なお、思い出したのですが、
広島で毒ガスを製造していた藤本さんが、わざわざ広島から駆けつけてくれ、
牛海英さんは最初は加害者には会いたくないとの態度だったそうですが、
その集会の場では、初めてこころを開いたとの報告もありました)

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