2017年3月23日木曜日

細菌戦の系譜!!

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●731部隊(1)
●731部隊(2)
●731部隊(3)
●731部隊(4)
●陸軍軍医学校50周年記念行事について
●南京大虐殺
●昭和天皇
●教科書問題
●陸軍登戸研究所
●日航123便の怪
●日本とドイツの違い
●原発・水俣病にみる学会の原因隠蔽の構図!!
●あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか?
●731部隊展
●マレーシアの旅
●九大生体解剖事件



●お知らせ
<森友学園>疑惑解明どこまで 籠池氏23日証人喚問

森友学園の怪 48 真相究明は「近畿財務局と大阪府」から


森友学園の怪 47 あす証人喚問「疑惑の維新の質問とポジションに注目!」


<クロ現+>追跡「森友学園問題」~国と大阪府の責任


<森友学園>松井知事「国が売却見通し伝達」 財務省は否定

【大谷昭宏】森友学園・証人喚問「籠池さんを呼ぶなら、首相夫人・昭恵さんも呼ぶべき!?」<2017年3月20日>【報道二郎・保守論NEWS】


《森友学園 安倍総理が100万円?》柚木道義・民進党【国会中継 衆議院 厚生労働委員会】平成29年3月17日


日報“廃棄” 防衛相らも調査対象にと要求

PKO日報、一貫して陸自で保管…隠蔽か

・全自動忖度機が回っている!!
安倍晋三記念小学校の便宜を図ったのはこの3人:松井大阪府知事、迫田理財局長(当時)、吉本課長(大阪府私学課)
緊急抗議集会!「安倍晋三記念小学校はいらない!!菅野完(すがのたもつ)さんの講演 :2017年3月14日参議院議員会館


安倍晋三記念小学校はいらない!!緊急集会!!


【森友学園】「閣僚が籠池氏に数百万円の現金」の証言。


森友学園との関係を追及されて、なみだ目で声をふるわせる安倍総理


安倍首相 森友学園「私が関わっていたら、総理大臣を辞める!」



永田町「首相が窮地に陥ると北朝鮮からミサイル」


重慶の人たちは、侵略日本軍と敢然と戦った!!
苦干(1937年~1943年頃の重慶、その他)


無差別爆撃 重慶爆撃


九七式重爆撃機 (三菱重工)重慶等、無差別空爆


一式陸上攻撃機(三菱重工) 日本の侵略!!


3月17日のチラシ






司法の場も安倍政権への完全自動忖度機が回っている!!
日本には三権分立は無いのか??
・3月17日(金)重慶大爆撃裁判控訴審第2回
永野厚郎裁判長は、重慶大爆撃の専門家証人の採用を認めず、結審を告げた!!
即、原告側弁護士が忌避(きひ)を申し立てた!!
全く、戦争の加害を直視しようしない裁判所の態度に、法廷内は騒然となった!!



・安倍晋三のおじいさんは岸信介
岸信介という人
以下「日本の右傾化・ファシズム化に危惧するブログ」より

岸信介の最初の実績の満州国で実業部総務司長に就任して訪満し、満州国の事実上の責任者として5ヵ年計画の中心者でした。
国家全体主義に燃え、あらゆる悪事を振舞うことになります。

岸信介は大日本帝国の侵略に果たした役割においては非常に優秀だったといえるかもしれません。

岸信介は満州国の現地の中国人らの生き血やアヘンで稼いだ資金をバックに、東條内閣の商工大臣として戦時統制経済を推進していきました。
岸信介は、東條内閣でも中国に深く関わっていくことにあります。戦時中の労働力不足として、中国人の労働力をも使おうとします。
そのために出されたのが、1942年11月27日、東條内閣による「華人労務者内地移入に関する件」の閣議決定でした。
このときの商工大臣は岸信介であり、「華人労務者」強制連行・強制労働政策遂行の最高責任者でした。
戦犯を逃れて、戦後首相に上り詰めた岸信介はそのことを追及されたのだが、責任者であったにも関わらず、白を切り続けました。


強制連行の決定


・3月2日 東京地裁でビザ発給拒否裁判がありました。
中国人細菌戦被害者遺族が日本の集会で細菌戦のことを報告しようと、ビザの申請をしたところ、外務省がビザの発給を拒否しました。そんなことが2度ありました。2度目は裁判の原告して証言しようしたら、これも拒否です。明らかに日本国政府は細菌戦の事実を闇に葬ろうとしている暴挙です!!なぜ、日本政府は、加害の事実を明かにしないで、消し去るのか!!

ビザ発給は外務省の自由裁量でできる?外務省の課長が処理した案件であるから、政治的な意図はないなどと、被告国側は主張している!!おかしい!!

当時の集会の模様
中国人細菌戦被害者遺族は、なぜいない?

ビザ発給拒否・集会妨害裁判について



・2月28日と3月1日には同じく東京地裁で、「衛生学校記事」「化学学校記事」の公開を求める情報公開裁判がありました。2月28日には、防衛省が、きちんと内部の調査結果を報告する予定になっていたのですが、全く調査が不十分でいい加減でしたので、裁判長がもっときちんと調べるように、叱責しました!!防衛省の態度には、本当に誠実さがなく、これでは隠す意図が見え見えです!!裁判が長期化し過ぎています!!司法は、しっかりと裁定して欲しい!!
一体、今の自衛隊の中では、生物兵器の研究、化学兵器、核兵器、どんな研究が日米の軍事同盟の中で行われているのか、これでは国民は全く知ることができないではないか!!恐ろしい世の中だ!!
『化学学校記事』の創刊号の目次には、「小型核兵器ときれいな核兵器」「米軍の特殊武器戦術について」「残留放射能強度の減衰及び滞留時間の修正要領のヒント」「原子力平和利用と日本」「原子力潜水艦の意義」「CBR寸感」「放射線障害予防薬」「原子武器の損害一覧表」「原子戦下の味覚」等なんと原子力の項目がなんと多いことか!!化学学校では原子力(核兵器)の研究を強力に進めている???




●2017年「戦争の加害」のパネル展:2月21日~28日 (於)かながわ県民センター
2017年2月横浜パネル展

・2月22日講演「南京大虐殺を考える」大谷猛夫

・2月25日講演「731部隊の細菌戦」奈須重雄

・2月26日講演日本軍の毒ガス戦と企業責任

感想
・このような真実を知らせる催しが国家の圧力でできなくなることを恐れています。ぜひ負けないで続けてください。
40代女性

●731の実態
終戦の年の約2ヶ月前ですね、私とそれから中山軍曹と2人でもって、マルタの受領に行ったんですね。40本ですから、40人ですね。今の領事館から持ってきたマルタはね。全員ロシア人です・・・・
22歳から43歳まで戦争と捕虜の生活をしてきた。一体自分の青春は何であったか??・・・・


731(4)


悪魔の飽食:復号731



・特移扱(とくいあつかい)資料
原美臻の特移扱い資料6



●今、731を問う!!
特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
一 戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表

4、ドイツではどのように向き合ったのか

■二ュルンぺルクにおける訴追
―ところで、医学の戦争への加担とぃうことでは、世界で、とりわけドイツではどのように向き合ったのでしょうか。

1970年代頃からはベルリンの医師たち自身が、かれらの職能団体にたいして、 ナチズムの中で医師層が果たした役割に批判的立場を示すことを要求しました。1988年にはベルリン医師会が圧倒的多数で「ナチズムの中で医師層が果たした役割と忘れることのできない犠牲者の苦しみを思い起こす」という声明を出し、1989年にベルリンで開かれたドイツ医師会年次大会では、 「ワイマール共和国時代とナチズム時代の医学」というテーマで展示会が行われ、『人間の価値―1918年から1945年までのドイツの医学』(邦文版、風行社、1993年)が刊行されました。

以上(月刊『前衛』より)

●731部隊本部(平房)
周囲8キロ四方のこの広大な設備で、医学者たちは人体実験と細菌戦研究をし、細菌兵器を作り、中国各地で細菌戦を実践した!!大元帥昭和天皇の責任は??

731勿忘
731遺跡は日本軍国主義が細菌戦を行ったことの証しであり、
また、日本軍国主義がその犯罪行為の証拠を隠滅しようとしたことの証しでもある。
ー金成民(侵華日軍第731部隊罪証陳列館館長)

侵華日軍第731部隊本部遺跡CG復元映像



●福沢諭吉
福澤諭吉は民主主義者ではなく軍国主義者だった 雁屋哲〈週刊朝日〉


「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」。人間の自由平等を説いた福澤諭吉。明治の偉人だが、その実体は超国家主義者だとしたら……。『マンガまさかの福澤諭吉』(遊幻舎)の作者・雁屋哲氏が、検証した福澤のウラの顔を本誌に語った。

──日本会議は皇室を敬愛する国民の心が日本の伝統にあるといいます。でも明治時代前の日本人は、殿様は知っていても天皇は知らなかった時代が長かったのでは?

日本会議の言う日本の伝統とは討幕後の明治時代に意図的につくられたもの。大日本帝国時代のわずか80年の歴史だけをもって、日本の伝統ということ自体がおかしいのです。



●南京大虐殺80周年!!
ハルキ世界の満漢全席『騎士団長殺し』を全世界が待ちわびた
・辺見庸さんは、地下鉄サリン事件の後遺症と闘いながら、今の右傾化する世間に警鐘を鳴らし続けている!!
辺見庸 1★9★3★7(征く皆 イクミナ)


2015年 南京大虐殺世界記憶遺産に登録される!!
安倍晋三は、南京に行くべきだ!!
かつて、石原慎太郎、稲田朋美は南京大虐殺を否定した!!今も否定している!!

戦争の反省の無い頭!!
稲田防衛大臣を即刻罷免すべきである

7、松井石根の任務
「上海派遣軍司令官は、海軍と協力して上海付近の敵を掃滅し、上海ならびに北方地区の要線を占領し、帝国臣民を保護すべし」に限定されていた。
ところが、松井はこの命令を墨守するつもりは最初からなかった。8 月19 日に東京駅を出発する時にも、見送りに来た杉山元陸相に対して、「どうしても南京まで進撃しなければならない」と力説した。


※また海軍は、南京陥落時、軍艦で揚子江を巡視しながら、揚子江上の敗残兵を掃射した。


南京事件を調査せよ!!
南京事件 兵士たちの遺言



南京大虐殺:侵華日軍南京大屠殺 南京電影制片庁 21分



パナイ号撃沈


安倍首相は、なぜ中国へ行って謝罪しない??パールハーバーよりも先ではないか!!

当時、南京にいたアメリカ人牧師マギーがとらえた南京虐殺
フィルムは見ていた!検証「南京大虐殺」


マギーフィルム(日本語訳付き)





●昭和天皇と731部隊(細菌戦、毒ガス戦、核開発)
日本政府は、証拠(井本日誌、731返還史料、防疫研究報告Ⅰ部等)をことごとく隠蔽し、731部隊での人体実験、また中国各地で行った細菌戦を闇に葬っている!!それだけではない、毒ガスのデータ、原爆開発のデータもアメリカに引き渡し、戦後はアメリカと共同で、極秘裏にCBR兵器の開発を進めている。国民にはその事実を隠蔽し続けている!!核兵器開発の為、原発を手放せないのではないか!!原発と自衛隊との関係はどうなっているのだろうか?〔C(化学兵器=毒ガス)、B(生物兵器)、R(放射能兵器)〕


・『昭和天皇』(下)(ハーバード・ビックス著:講談社学術文庫)より

中国の最初の原爆やその後のミサイル発射についての天皇個人の意見は明らかではない。しかし中国が核ミサイルの開発に乗り出した状況でも、天皇や佐藤がアメリカの「核の傘」の有効性を疑ったとは思われない。佐藤によれば天皇の懸念は、アメリカとの間で増大する経済紛争に向けられていた。繊維問題のような場合には、佐藤はその進展の具合を天皇に逐一伝えている。また彼らはベトナム戦争の行方佐藤内閣の学生運動対策ジョンソンやもっと意図のわかりにくいニクソンの政策などについても話し合った。天皇は佐藤の外交・内政の手腕を評価する一方、自民党の議員や閣僚による汚職に不満を示すことがあった。


日本の史料が公開されれば細菌戦の全貌が解明される!!
「日本軍の細菌戦による被害者は9085人」、中国の研究チームが発表―中国メディア

井本日誌(井本日誌は業務日誌であって、私文書ではないはずだが。)も最初公開していたが、いろいろと報道されると、私文書だとか、御遺族の意思だとかを口実に、今は厳重に保管し非公開にしている。史実を明らかにしようとする意思は国には全くなく、隠蔽に走っている。731部隊の人体実験・細菌戦に関しては、政府は“知らぬ、存ぜぬ”を繰り返すばかり。(一部の教科書には載っている)

※井本熊男
・1935年(昭和10年)12月:大本営参謀本部作戦課に配属され、以降、一貫して、細菌戦に関して731部隊等の細菌戦部隊と陸軍中央側で連絡をとる担当となる
・1939年(昭和14年):支那派遣軍総参謀(作戦主任参謀)



寧波(ニンポー)細菌戦




地底からの叫び声が聞こえませんか??(「八紘一宇」のスローガンのもと行われた残虐行為!!)
・三原じゅん子の歴史の事実を無視した国会での発言!!
【国会】三原じゅん子『【八紘一宇】を語る? 2016年年3月16日


常徳細菌戦



闇に消された虐殺~731部隊・細菌戦の真実(テレビ朝日「ザ・スクープ」、1997年8月放送)



細菌戦裁判(1997年~2007年)



終戦50周年731部隊



細菌戦被害の人々




(毒ガス戦)
原爆被害の重い苦しみを負いながら、学徒動員で毒ガス製造に関わった体験から自らの加害責任を語り伝える女性がいる。「戦争で受けた苦しみを知るからこそ、加害者としての責任も語り継がなければならない」。8月15日は終戦記念日。【高田房二郎】
<終戦記念日>ヒロシマの加害語る 学徒動員され毒ガス製造

日本鬼子のおきみやげ(毒ガス)



暴かれる毒ガス戦の真実



(毒ガス戦)
さらに昭和天皇は毒ガスの使用について直接的な責任がある。毒ガス兵器は多くの中国やモンゴルの戦闘員・非戦闘員を死に至らしめた。「日華事変」が全面戦争となる前、すでに天皇は化学兵器の要員と装備を中国に送ることを裁可していた。ベルサイユ条約第171条ならびに、第1次世界大戦後、日本が調印した国際的な協定は、催涙ガスを含め毒ガスの使用を禁止していた。しかし、軍事技術の面で劣った敵に対してはこの禁止を守らなくても問題はないと陸軍は考えていた。昭和天皇も明らかに同じ考えであった。天皇が化学兵器使用を最初に許可したのは、1937年7月28日のことであり、それは閑院宮参謀総長により発令された。北京-通州地区の掃討について、「適時催涙筒を使用することを得」と書かれていた命令である。天皇の2度目の命令は、1937年9月11日に出され、このときも閑院宮参謀総長により発令された。いくつかの特別な化学兵器部隊を上海に配備することを許可したものである。当初は実験的で、非常に小さな規模でこれらの命令が許可されたが、1938年の春・夏になると、中国、モンゴルの主要な戦闘地域で大規模に毒ガスが使用されることとなった。 (ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)



(細菌戦)
昭和天皇はまた、1940年中国で最初の細菌兵器の実験的な使用を許可した。現存する文書史料で、昭和天皇を細菌兵器と直接、結びつけるものはない。しかし、科学者の側面を持ち几帳面で、よく分からないことには質問し事前に吟味することなく御璽(ぎょじ)を押すことは拒絶する性格から見て昭和天皇は、おそらく自らが裁可した命令の意味を理解していただろう。細菌戦を担当した関東軍731部隊に参謀総長が発令した大本営の指令の詳細は、原則として天皇も見ていた。そして、このような指令、すなわち「大陸指」の根拠となった「大陸命」に天皇は常に目を通していた。中国での細菌兵器の使用は1942年まで続いたが、日本がこの細菌戦化学戦に依存したことは、第2次世界大戦が終了すると、アメリカにとって、にわかに重大な意味を持つこととなった。まず、トルーマン政権は大規模な細菌戦・化学戦の計画に予算を支出したが、それは日本の細菌・化学研究の発見と技術に基づいていた。次いで、それはベトナム戦争でアメリカが大量の化学兵器を使用することへとつながった。 (ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)


天皇は知っていた!!



澤田茂司令官は細菌戦に反対だった!!

『「澤田日誌」からみた浙贛(せっかん)作戦における日本軍の細菌戦』
松野誠也(明治大学大学院)【当時】より
・・・・・・(略)
澤田日誌には6月25日に再び関連する記述が登場します。
これは非常に重要な内容でありまして、支那派遣軍の反対意見が参謀本部によって握り潰されるということが記されています。内容は次の通りです。



石井部隊の使用総軍〔支那派遣軍〕よりも反対意見を開陳せしも大本営の容る処とならす大陸命〔大陸指の誤りか〕を拝したりと。命令ならは致方なきも作戦ハ密なるを要す。若き作戦課の人達を抑へる□に総長〔参謀総長・杉山元大将〕の力なからさるへからす。遺憾なり。ペスト防疫の為 一部家屋ハ焼却の命令を出す。


これを見ますと、陸軍中央と現地軍が一致して細菌戦に賛成していたのではなく、現地軍は反対していたが、大本営から指示なり命令がきて、それに従わざるえなくなったという構図が描けるわけです。しかも、トツプに立っている参謀総長は、幕僚たちがいろいろ意見を突き上げてくることを「抑へる」ことができない。それは非常に遺憾なことであると書いているのも非常に注目されます。澤田将軍は参謀次長を務めた経験があるので、参謀本部の下僚を「抑へる」ことの重要性と難しさをよく知っていたのでしょう。



次に澤田日誌に細菌戦関係の記事が出てくるのが7月11日です。石井四郎が戦線の第13軍司令部にやってきたという記述が出てきます。



石井少将連絡の為来着す。其の報告を聞きても余り効果を期待し得ざるが如し。効果なく弊害多き本作戦を何故強行せんとするや諒解に苦しむ。堂々王者の戦をなせば可なり。
何故こんな手段を執るや予には不可解なり。何れとも既に命令を受けたる以上実施せさるへからす。
仍(よ)つて次の三点に就て特に注意せしむ。/1、秘密の絶対保持/2、□□の予防/3、飛行場に攻撃を向くる事。


石井四郎の報告を聞いても、細菌戦の「効果」に対する疑問と「弊害」に対する認識は変わらず、命令だから嫌々ながらもやらざるを得ないという、澤田中将の参謀本部にたいする不満がよく伝わる一文です。あげくの果てに「何故こんな手段を執るや予には不可解なり」とまで書いています。・・・・・・(略)

東京初空襲・浙かん作戦

一般に中国軍の飛行場破壊を目的とした侵攻と言われるが、恒久的に占領できる目処もない状態で飛行場破壊のみ行っても効果は薄く12万人もの兵力を動員する目的としては疑問が残る。実際の目的は飛行場破壊よりもむしろ、それを名目とした浙江省東部一帯の蛍石産地の占領にあったと言える。財界と軍部が連携して利権獲得に動いた作戦である。

蛍石・・・・用途・加工法・・・古くから製鉄などにおいて融剤として用いられてきた。現在では望遠鏡や写真レンズ(特に望遠レンズ)などで、高性能化のための特殊材料としてキーパーツとなっている。フッ素の貯蔵に用いられることもある。

蛍石を採掘するのも、山東省、河南省、安徽省、江蘇省、浙江省などから強制連行された中国人だった。(約1700人)



1944年疫病がはやり、病気になったものは、隔離され食べ物も与えられず、餓死した。





蛍石の彫り物




赤坂離宮内の生物学研究所【1925(大正14)年】
・昭和天皇は生物に関心があった!!勿論、細菌にも関心はあっただろう!!
・日本は富国強兵を目指した!!

1921年昭和天皇フランス視察

1929年11月7日陸軍軍医学校(731部隊に指令を出していた防疫研究室はこの中に1932年に開設される)視察


??A氏(731部隊幹部)の言うには、今事実関係を明らかにすると、それは戦争中の犯罪行為を暴露するだけにとどまらす、戦後の重大な犯罪事実までズルズル数珠つなぎに明らかになってしまうから、だから話が出来ない、ということなのです。??


・731と天皇の戦争犯罪
同じように、おそらく日本政府が恐れているのは、戦争中の日本軍の戦争犯罪が暴かれて賠償の問題になることだけではなく、暴露によって戦後の重大事実が明かになることなのではないかという疑いが大きくあります。
それと同時にもう1つ大きな問題は、天皇の戦争犯罪の問題です。私も鑑定書で書きましたが、中国・浙江省寧波で細菌作戦の時、昭和15年の11月に発令された「大陸指」というのがあります。杉山参謀総長名で出ているものです。その781号によると、大陸指690号によって目下実施中の特殊ガスの試験を大陸命第439号に基づく大陸指第781号を以って終わりにすると、11月末日で終了せよという命令が出ています。特殊ガス試験というのは細菌兵器の実施使用のことです。これは明かに細菌戦の命令指示です。
「大陸命」というのは大本営陸軍部命令の略ですが、天皇が発する命令です。
当時は普通御前会議で昭和天皇と陸軍部の参謀総長、海軍の軍令部長とそれと大体原則的には侍従武官長が列席して、お上に作戦を上奏します。それでOKということになると「大陸命」を作成するわけです。陸軍部がやるわけですが、その「大陸命」を作るとそれに基づき「大陸指」を作成してこれでよろしいかと、お上にお見せするのが慣例でした。いつも必ず見せていた。それでこの通りにというと「大陸指」という参謀総長の発する命令、指令が出るわけです。作戦によっては担当の大本営の担当者、参謀が直接天皇の前へ行って作戦を事細かに上奏、説明します。・・・・・・(中略)・・・・・
瀬島龍三という元大本営の参謀も、「陸軍は大陸命、海軍は大海命といいますが、それがないと軍の用兵は何1つ出来ない、参謀総長や軍令部総長といえども、そういう厳密な手続きを経なければ勝手に軍を動かすことは一切出来なかった」と言っています。ですから「大陸命」に基づいてというところが一番肝心なのですが、その内容はすべて昭和天皇の耳に入っていたということです。ここに731を何としてでも隠蔽しなければならなかった理由があります。・・・・(『戦後の犯罪につながる細菌戦の隠蔽』近藤昭二著より)




・日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか?
医の倫理は、向上すると思う!!

中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!!


聞け、この沈黙の慟哭を
平房の涙、地底の叫びを
見よ、この虐げられた大地を
名も知れぬ鳥たちが番人のように私を見下ろしている
記憶は人間の地底を永劫に流れ続ける
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より


日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア


混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)


細菌戦資料発掘の旅(1)
近藤昭二(本会共同代表、ジャーナリスト)

731部隊・細菌戦関連の資料を発掘する旅の報告。まずはロシアに残されている資料のレポートから始めることにする。

日本語版も出回ったハバロフスク細菌戦裁判の公判記録

冒頭に、調書の目次があり、続いて日付順に調書が並べられている。
どういった様式になっていたのか、ここに実例を挙げてみる。
『公判書類』は、1950年出版の後、1973年12月に全日本医学生連合・刊行委員会から、1982年7月には海燕書房と不二出版で復刻されているが、いずれも残念なことに捜査段階の調書は「抄録」になっている。特に川島清の1949年10月24日付け調書は省略が多く、そこには安達演習場での実験の模様や中国中部での細菌戦実施についての重要な事実が語られているので、川島分の3通全文をまずここであげてみる(宇都宮亜紀訳 英語版を参照して筆者監修)。
大括弧[ ]でくくった太字の部分が省略された部分。二重括弧《 》は欄外余白の記入、文中の下線は原文のママで、タイプ後に記入されているもの。

川島清尋問調書
1949年10月24日 ハバロフスク市
[尋問時間:12時00分 尋問終了:2時45分
休憩:17時-19時
川島証人はロシア連邦共和国刑法第95条による偽証罪の警告を受けている。

尋問は、ロシア連邦共和国第95条による偽証罪の警告を受けた、通訳プリャチェンコを介して日本語で行われる。       (プリャチェンコ)

質問:関東軍ではどの組織が家畜の流行病分野での細菌兵器の研究を行っていたか?

答え:関東軍の獣医部が、いわゆる100部隊という部隊を指揮していて、私が聞いたところでは(誰から聞いたかは覚えていない)細菌兵器の研究を行っていたがそれは家畜に対してだけということだった。100部隊についてその他のことは知らない。

質問:関東軍の731部隊と100部隊はどんな関係だったか?

答え:731部隊と100部隊はどちらも細菌学の分野で研究をしていたが、その関係性については一度も聞いたことがない。



※日本人も731部隊で細菌などを扱っていたので、細菌に感染することがあった。時には日本人も、生体解剖された!!

プライム10「731細菌戦部隊」






1938年国家総動員法が制定され医学界も戦争に全面協力した。
1942年の東大安田講堂前での医学者たちの記念写真、隊長を務めた石井四朗、北野政次、そして右腕の増田知貞の姿が見える。
731部隊の影響が医学界全体に及んでいた。医学者は陸軍軍医学校の嘱託として協力した!!


戦後も731で研究された論文が、日本の大学で審査され、博士号が授与されている!!


小泉親彦(ちかひこ)



※小泉親彦(ちかひこ)・・・陸軍軍医学校校長、陸軍軍医総監、陸軍医務局長、厚生大臣を歴任、毒ガス戦、細菌戦を積極的に推し進めた人物
1945年9月、自決。





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