2017年6月25日日曜日

細菌戦の系譜!!

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●731部隊(1)
●731部隊(2)
●731部隊(3)
●731部隊(4)
●陸軍軍医学校50周年記念行事について
●南京大虐殺
●昭和天皇
●教科書問題
●陸軍登戸研究所
●日航123便の怪
●日本とドイツの違い
●原発・水俣病にみる学会の原因隠蔽の構図!!
●あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか?
●731部隊展
●マレーシアの旅
●九大生体解剖事件



●情報公開!! 特定秘密保護法撤廃!!
防衛省は、6日の『衛生学校記事』の情報公開裁判で、こんなに長く裁判をしているのに、全然資料の提示をしなかった!!なんでこうも長く隠す!!調査をしていないのではないか?時間稼ぎだ!!裁判長はもっと強く防衛省に提示を要求して欲しい!!防衛省は、何をしているか、国民の前にきちんと情報を提示しろ!!

7月12日(水)11:30~『化学学校記事』情報公開裁判   東京地裁522号室




天皇制を考えよう!!
政府が特例法案を閣議決定 6月中に成立へ 譲位は実現すれば光格天皇以来、約200年ぶり
象徴天皇制 自由で闊達な議論が必要!!加計問題!!


・ニュース
情報公開!!
「私物化」を危惧 前川前次官が“政権御用メディア”を牽制

長崎)被爆者団体など安倍首相の退陣求め緊急声明

「最初に取材し放送されないまま」前川氏、NHKに疑義

ザ・記者会見!!(世界を変える!!)


信なくば立たず!!(世界を変える!!)



日本獣医師会「特区制度に基づく対応はなじまない」

萩生田の指示は明かだ!!






萩生田副長官 広域的に 修正指示か


大竹まこと×光浦靖子:国会死亡なのか?共謀罪法案成立、来月施行


共謀罪のゆくえ


古賀茂明 メディアと安倍政権の裏側を語る






前川氏インタビュー


内閣府「18年度開学」指示 本紙に前川前次官が証言


文科省前次官 当時の内閣官房参与から「決定に従えばよい」

開学要請複数ルート 前川氏「別のOBも」


<加計学園>「千葉科学大学」を誘致した銚子市の実態


誰が見ても明らか!!安倍首相と加計理事長はこんなズブズブの関係だ!!安倍首相辞任!!
昭恵夫人はこの飲み会について「クリスマスイブ。男たちの悪巧み・・・(?)」などと意味深なコメントをしています。

写真にはお酒を飲みながら笑顔になっている安倍晋三首相や加計学園の加計孝太郎、三井住友銀行副頭取・高橋精一郎氏、鉄鋼ビルディング専務・増岡聡一郎氏などが写っています。

「特区の議論はすべて『加計ありき』」









日本獣医師会顧問、北村直人氏が語る加計学園問題!!
獣医師会が反対していた!!
ご夫人のフェイスブックに{え!こんなの載せていいの?」っていうのを見ました。
・・・・
2015年12月24日
まさしく国家戦略特区で獣医学部を認める土俵が出来て、そして24日に乾杯したんだと思いますよ!!・・・
【石破から山本へ交替!!】
(2016年1月ー山本幸三、衆議院地方創生特別委員長、8月ー内閣府特命担当大臣(地方創生、規制改革担当、第3次安倍内閣以降、国家戦略特区は、地方創生担当)
裏ですべて書類を書いて、資料を作ってきたのは加計学園です。・・・構想を練っていたのは加計学園。・・・こういうような構想を持ってこいと言ったのは政府でしょ!!官邸でしょ。それこそ忖度ですよ!!今井さんを先頭に・・・誰も責任を取らない!!
「昔陸軍(大本営)、今官邸(内閣府)」、この戦略特区が失敗したら誰が責任を取る??
あの戦争では、大本営作戦参謀や昭和天皇は誰も責任を取らなかった!!
この回の森友・加計学園問題でも、内閣府の補佐官・安倍首相は誰1人責任を取らない!!
獣医師はもう足りています!!
銚子市や今治市が、夕張のように財政破綻しなければいいが!!



加計学園とのつながり

安倍首相・・・首相の長年の友人で「腹心の友」と呼ぶ加計孝太郎氏が理事長を務める学園。2人の出会いは安倍首相が米国に留学していた時代にまで遡る。それ以降、ゴルフや会食などの付き合いが続いており、別荘もすぐ近く。かつて安倍首相は関係者に「加計さんは俺のビッグスポンサーなんだよ。学校経営者では一番の資産家だ」と語っていたという。
過去に加計役員「報酬、1年で14万円」

昭恵夫人・・安倍昭恵首相夫人も加計孝太郎氏とは関係が深い。2人はたびたびワシントンやロサンゼルスを訪問して現地の学校法人などを視察している。昭恵夫人が力を注ぐミャンマー支援も加計氏が現地まで同行してサポートした。昭恵夫人は加計学園が神戸市で運営する認可外保育施設「御影インターナショナルこども園」の名誉園長を務めており、15年9月には政府職員2人を連れて施設のイベントに参加している(朝日新聞 5月17日)。

ちなみに、山本幸三内閣府特命担当大臣は、日本・ミャンマー友好議員連盟幹事長。

萩生田光一・・・落選中に学校法人加計学園で客員教授を務め、報酬を得ていたと明らかにした。今でも名誉客員教授。萩生田氏は安倍晋三首相の側近の衆院議員。内閣官房副長官。

木曽功・・・元文科省の官僚で、前川氏の3期先輩にあたり、14年4月から内閣官房参与に任命されていた。一方、16年4月からは加計学園理事兼千葉科学大学学長にも就任しており、加計学園の利害関係者でもあった。

<報道特集>前川前次官と共に検証「加計学園選定プロセス」



加戸守行・・・元文部官僚、愛媛県元知事、2013年1月より教育再生実行会議の委員を務めた。(79歳の時に、なぜか首相の肝いりで委員になる)
第2の森友疑惑 安倍首相“お友達”大学に公有地36億円を無償譲渡
・・・・同会議の今治市分科会には前愛媛県知事の加戸守行氏が出席。同氏は「日本会議」関連の行事に出席し、安倍首相が本部長の「教育再生実行会議」の有識者メンバーを八木秀次氏、曽野綾子氏らとともに務めたこともある、首相の「右派人脈」のお仲間である。

竹中平蔵・・・内閣府国家戦略特別区域諮問会議(有識者)議員等を務める。
国家戦略特区の発案者であり、安倍晋三首相に提言した竹中平蔵氏(国家戦略特区諮問会議・有識者議員)が加計学園問題にコメントしました。
メディアの取材インタビューに応じた竹中平蔵氏は「総理が役員だとは知らなかった」と述べ、特区で加計学園が選ばれたのは偶然だと強調。
その上で、国家戦略特区の選定作業について、「個人的な関係があってもなくてもプロジェクトの選定とは全く関係ありません。国のためになるかで選んでいます」などと発言を繰り返していました。

また、加計学園を選ぶ時には「客観的な4条件」で入念に審査をしたと明言し、獣医学部の新設は問題が無かったと断定しています。
このインタビューを行ったテレビ番組はその後に国家戦略特区の議事録を精査しますが、「4条件の記載は無かった」と報じていました。
他にも竹中平蔵氏の発言とは矛盾するようなやり取りが発見され、逆に今回のインタビューで疑念は深まったと言えるでしょう。(竹中氏が加計理事長と安倍首相の関係を知らなかったというのは、安倍・竹中の関係から言って、全く信じられない)


パソナ会長の竹中平蔵と安倍晋三の間にはどん

よくわかる竹中平蔵-その2(金融犯罪編)


安倍・竹中の行った売国政策の一覧。余りの闇の深さに驚きます。

安倍政権と癒着状態だった加計学園!連日のように安倍首相が食事会、ゴルフ等でもトップ交流!

【銚子発・アベ友疑獄】 加計学園のスキーム教えます 元財政当局者「第2の夕張にしてはならない」

【「市民の多くは『第二の夕張になってほしくない』と思っている」。
銚子市の一般会計予算は241億円(2016年度)。財政規模の3分の1を大学誘致に充てたのである。元財政当局者が「第2の夕張」を危惧する理由だ。
今治とよく似たスキームである。市が土地を準備し、補助金を差し出して大学に“おいで頂く”。】

文科省現役証言 今治市民の怒り







・森友問題
大阪地検は、安倍昭恵夫人、迫田国税庁長官、松井大阪府知事をなぜ徹底調査しない??

何故のり弁???情報公開をきちんとせいよ!!
報道ステーション 森友・加計問題 2017.6.20


籠池氏 100万円 返しに来た


【森友問題】忖度して当然?「安倍晋三記念小学校」設立趣意書に記載か―昭恵夫人の積極的な関与も

財務省・大阪府・防衛省その他の国の機関は、きちんとデータ出しなさい!!まずい資料はすべて隠蔽!!

松井一郎大阪府知事と籠池理事長の面識は本当に無かったのか?(松井知事と塚本幼稚園児の遭遇)



安倍首相 森友学園「私が関わっていたら、総理大臣を辞める!」




・安倍首相靖国参拝違憲訴訟(安倍首相忖度判決!!)
裁判官は、戦前・戦中の靖国神社の果たした役割を知っているのか?
「安倍総理大臣が参拝後に出した談話を素直に読めば、恒久平和への誓いを立てたものと理解され、軍事的衝突の可能性が高まると理解するのは困難で、平和に暮らす権利が侵害されたという主張は認められない」
安倍首相の靖国参拝訴訟で原告敗訴


・侵略戦争!!
無差別爆撃、空襲はこうして始まった!!日本軍の重慶大爆撃!!
空襲のはじまり、日本軍の重慶大爆撃



重慶の人たちは、侵略日本軍と敢然と戦った!!
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・安倍晋三のおじいさんは岸信介
岸信介という人
以下「日本の右傾化・ファシズム化に危惧するブログ」より

岸信介の最初の実績の満州国で実業部総務司長に就任して訪満し、満州国の事実上の責任者として5ヵ年計画の中心者でした。
国家全体主義に燃え、あらゆる悪事を振舞うことになります。

岸信介は大日本帝国の侵略に果たした役割においては非常に優秀だったといえるかもしれません。

岸信介は満州国の現地の中国人らの生き血やアヘンで稼いだ資金をバックに、東條内閣の商工大臣として戦時統制経済を推進していきました。
岸信介は、東條内閣でも中国に深く関わっていくことにあります。戦時中の労働力不足として、中国人の労働力をも使おうとします。
そのために出されたのが、1942年11月27日、東條内閣による「華人労務者内地移入に関する件」の閣議決定でした。
このときの商工大臣は岸信介であり、「華人労務者」強制連行・強制労働政策遂行の最高責任者でした。
戦犯を逃れて、戦後首相に上り詰めた岸信介はそのことを追及されたのだが、責任者であったにも関わらず、白を切り続けました。


強制連行の決定


・3月2日 東京地裁でビザ発給拒否裁判がありました。
中国人細菌戦被害者遺族が日本の集会で細菌戦のことを報告しようと、ビザの申請をしたところ、外務省がビザの発給を拒否しました。そんなことが2度ありました。2度目は裁判の原告して証言しようしたら、これも拒否です。明らかに日本国政府は細菌戦の事実を闇に葬ろうとしている暴挙です!!なぜ、日本政府は、加害の事実を明かにしないで、消し去るのか!!

ビザ発給は外務省の自由裁量でできる?外務省の課長が処理した案件であるから、政治的な意図はないなどと、被告国側は主張している!!おかしい!!

外務省が集会参加予定の中国人12人にビザ発給せず――細菌戦被害者ら入国拒否

当時の集会の模様
中国人細菌戦被害者遺族は、なぜいない?




●2017年「戦争の加害」のパネル展:2月21日~28日 (於)かながわ県民センター
2017年2月パネル展


南京大虐殺を考える


731部隊の細菌戦


日本軍の毒ガス戦と企業責任


感想
・正直苦しくなりました。もっとみんなに知ってもらいたい。50代女性

●731の実態
こっちで双眼鏡で見ているとき、大体4㎞ぐらい離れた所から見ていると、バーっと煙だけ立つだけで、ほとんど音はしないですよね。当たるところは、こんなところしか当たらない、当たってもここは鉄板ですからね。そうしているうちにペスト菌の体内の変化を見たりして・・・・爆薬でもってペスト菌が死ぬことはないんですよね。風上でやらないと汚染したペスト菌がこっちへ来ますからね。こういう実験には、何回ぐらい立ち会ったのですか。実験なんかは1回、2回じゃないですよ。何十回ですよ。・・・・

731(3)


第4回 日本軍による人体実験

闇に消された虐殺~731部隊


731部隊のドキュメンタリー



・中国には、細菌戦の影響と思われる、原因不明の病気に悩んでいる人々が今も数多くいる!!

悪魔の飽食:復号731


・お知らせ
5月25日発売



・特移扱(とくいあつかい)資料
特移扱い被害者李厚彬の資料2




●今、731を問う!!
日本の平和団体が731部隊によって実験材料にされた犠牲者を4月に慰霊した。14



中国では、今年3月に731の展示会が開かれた。




特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
一 戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表


3、戦後、日本の戦争医学犯罪は裁かれなかったのか

■隠蔽・極秘取引・タブー・無視と検証・克服
―これらのことについて、戦後の医学界・医療界、医学者・医師はどのように向き合ってきたのでしょうか。団体の動きや、個人の発言などもふくめて紹介してください。

ソ連では、捕虜とした731部隊員たちに対して独自に裁判(ハバロフスク裁判、1949年12月)が行われ、その公判書類の日本語版は1950年には日本でも入手できました。日本の国会でも、1950年3月1日の衆議院外務委員会における聴涛克己議員のハバロフスク裁判に関わる質問がなされましたが、当時の法務大臣は「さような事実があったといたしましても、 ただいま申し上げました通り、それは連合国で処置されるのでありまして、日本国みずからが自分の戦争犯罪について判断することも処置することもできないのであります」などと答弁し、真摯に向き合いはしませんでした。中国でも、1956年に捕虜の731部隊員に対する特別軍事法延での裁判が行われました。しかし、これにも日本の医学界・医療界、政府は向き合いはしませんでした。
以上(月刊『前衛』より)

●731部隊本部(平房)
周囲8キロ四方のこの広大な設備で、医学者たちは人体実験と細菌戦研究をし、細菌兵器を作り、中国各地で細菌戦を実践した!!大元帥昭和天皇の責任は??

731勿忘
731遺跡は日本軍国主義が細菌戦を行ったことの証しであり、
また、日本軍国主義がその犯罪行為の証拠を隠滅しようとしたことの証しでもある。
ー金成民(侵華日軍第731部隊罪証陳列館館長)

侵華日軍第731部隊本部遺跡CG復元映像



●福沢諭吉
福澤諭吉は民主主義者ではなく軍国主義者だった 雁屋哲〈週刊朝日〉


「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」。人間の自由平等を説いた福澤諭吉。明治の偉人だが、その実体は超国家主義者だとしたら……。『マンガまさかの福澤諭吉』(遊幻舎)の作者・雁屋哲氏が、検証した福澤のウラの顔を本誌に語った。

──いま福澤を知る意味はなんでしょうか。

 日本がなぜこうなってしまったのか。まずそれを考えるには、その大本の思想をつくりだし、日本人を洗脳した福澤を正しく理解することが必要です。そのうえで真の日本のあるべき姿を議論できると考えています。(構成 桐島 瞬)
※週刊朝日  2017年1月27日号


※週刊朝日  2017年1月27日号



●『1★9★3★7★』(イクミナ、辺見庸著)より
以下の文を読んでいて、籠池理事長と安倍首相の関係を想起してしまった。

23、抜き打ちに切り捨てる
・・・・近年になって私はこんなものを読んだ。
▲支那の老婆が部隊長のところに来て云う〈自分の娘が日本のあなたの部下に姦された〉
部隊長〈何か証拠でもあるのか)老婆 布を差し出す。
〈全員集合〉部隊長は一同を集めて布を出し〈この布に見覚えあるか〉〈ありません〉〈次〉〈ありません〉一人ずつ聞いて回る。最後の1人まで聞き終わると静に老婆に歩み寄り〈この部隊には御覧の通りいない〉老婆 うなずく。
抜き打ちに老婆を切り捨てる。おもむろに刀を拭い鞘に納める。全員に分れ。
(これは小津が戦場で書いていた「撮影についての≪ノオト≫」であり、田中真澄著『小津安二郎と戦争』(みすず書房のⅡ「小津安二郎陣中日誌」に収載されている。)
泡を食った。とても泡を食った。・・・・・

辺見庸1937

山下清1937年の作品





●南京大虐殺80周年!!
日本政府の今までの全く誠意のない対応!!
ハルキ世界の満漢全席『騎士団長殺し』を全世界が待ちわびた


2015年 南京大虐殺世界記憶遺産に登録される!!
安倍晋三は、南京に行くべきだ!!
かつて、石原慎太郎、稲田朋美は南京大虐殺を否定した!!今も否定している!!

戦争の反省の無い頭!!
稲田防衛大臣を即刻罷免すべきである

29、東京裁判でどう裁かれたか。(7人の死刑囚のうち3人が南京大虐殺に関わる)

松井は昭和23年(1948年)12月9日巣鴨拘置所において、戦犯教誨師花山信勝に次の言葉を残した。

南京事件ではお恥ずかしい限りです。南京入城の後、慰霊祭のときに、支那人の死者もいっしょにと私が申したところ、参謀長以下、何も分からんから、日本軍の士気に関するでしょうといって、師団長はじめ、あんなことをしたのだ。私は日露戦争のとき、大尉として従軍したが、その当時の師団長と、今度の師団長などと比べてみると、問題にならんほど悪いですね。日露戦争のときは、支那人に対してはもちろんだが、ロシア人に対しても、俘虜の取り扱い、その他よくいっていた。今度はそうはいかなかった。政府当局ではそう考えたわけではなかったろうが、武士道とか人道とかいう点では、当時とはまったく変わっておった。慰霊祭の直後、私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った。そのときは朝香宮もおられ、柳川中将も方面軍司令官だったが、せっかく皇威を輝かしたのに、あの兵の暴行によって一挙にしてそれを落としてしまった。ところが、そのことのあとで、みなが笑った。はなはだしいのは、ある師団長のごときは、当たり前ですよ、とさえいった。したがって、私だけでも、こういう結果になるということは、当時の軍人たちに一人でも多く、深い反省をあたえるという意味で大変に嬉しい。せっかくこうなったのだから、このまま往生したい、と思っている。
         昭和23年(1948年)12月23日に巣鴨プリズン内で処刑(絞首刑)が執行された。




「御言葉」



※また海軍は、南京陥落時、軍艦で揚子江を巡視しながら、揚子江上の敗残兵を掃射した。



南京大虐殺:侵華日軍南京大屠殺 南京電影制片庁 21分


南京大虐殺の真相


マギーフィルム(字幕付き)


フィルムは見ていた!検証「南京大虐殺」


南京大虐殺



南京事件を調査せよ!!
南京事件 兵士たちの遺言



教科書検定で南京事件の犠牲者数「未確定」、中国が反発

※また海軍は、南京陥落時、軍艦で揚子江を巡視しながら、揚子江上の敗残兵を掃射した。

●慰安婦と南京レイプ(松岡環)
5月30日(火)『日本軍「慰安婦」制度と「日韓合意」問題』『南京レイプ加害兵士と被害者の映像』の集会は、平日でしたが、6:30の開会前から沢山の参加者が集まり、開会前には実行委員のほとんどが立って椅子を提供することになりました。

集会の為の集会をするのではなく、口だけで「被害者の為に」ではなく、自分の足で資料を集め証言を皆さんに伝える運動は、この日始まったばかりでした。
  皆さんこの次にも積極的に参加してください。
次は9月23日(土)ドーンセンターで『80年目の南京』立ち上げ集会・記念講演は「教科書から消される南京大虐殺」「教育勅語や道徳問題」【講師:大阪教科書シンポの相可文代さん】を予定しています。
 その前の準備の為の会議があります。一緒に歴史認識活動のうねりを作り上げていきませんか?団体でも個人でも一緒に歴史認識活動をして行きましょう。今問題にある根底は全て歴史認識問題とつながっています。
―8月18日(金)午後6:00から「80年目の南京」立ち上げ会のご相談、
内容:9月23日を盛り上げ成功させるために、11月26日の『80年目の南京』の計画
場所:大阪駅前第二ビル5階生涯学習、第6研修室(北新地駅の真上、大阪駅から南へ5分)

5月30日の「慰安婦」と「南京レイプ」集会の報告
& 次回8月18日の準備会のお知らせ。



●昭和天皇と731部隊(細菌戦、毒ガス戦、核開発)
天皇の権限は絶大であった!!
日本政府は、証拠(井本日誌、731返還史料、防疫研究報告Ⅰ部等)をことごとく隠蔽し、731部隊での人体実験、また中国各地で行った細菌戦を闇に葬っている!!それだけではない、毒ガスのデータ、原爆開発のデータもアメリカに引き渡し、戦後はアメリカと共同で、極秘裏にCBR兵器の開発を進めている。国民にはその事実を隠蔽し続けている!!核兵器開発の為、原発を手放せないのではないか!!原発と自衛隊との関係はどうなっているのだろうか?〔C(化学兵器=毒ガス)、B(生物兵器)、R(放射能兵器)〕


・『昭和天皇』(上)(ハーバード・ビックス著:講談社学術文庫)より

第1部 皇太子の教育
1901(明治34)年―1921 (大正10)年

第一章少年と家族と明治の遺産

明治天皇は孫たちとの接触を極端に控え、彼らの誕生日以外にはめったに会うことがなかった。その場合もわずか2、3分にすぎず、祖父と孫のなごやかな出会いというより、君主の謁見のようなものだった。軍服姿の天皇は机の前に立ち、幼児たちのお辞儀にうなずく、そして彼らはただちに退出するのである。彼らに愛情を示す場合は、おもちゃを贈るのだった。だから裕仁が慕ったのは、おそらく結局は知りえなかった現実の祖父ではなく、理想化された天皇「明治大帝」だったといえよう。こうした不自然な情緒環境に育つなかで、彼は自分の父親に対しては相反する感情を抱いても、明治天皇に対してはそれが少なかったと思われる。


戦争の記憶は消えない!!
英仏では昭和天皇がトップだった。

※大元帥昭和天皇は、好戦的であり、戦争の作戦に深くかかわった!!決して平和を願い、側近や輔弼の言いなりの天皇ではなかった!!その責任は重い!!


日本の史料が公開されれば細菌戦の全貌が解明される!!
「日本軍の細菌戦による被害者は9085人」、中国の研究チームが発表―中国メディア

井本日誌(井本日誌は業務日誌であって、私文書ではないはずだが。)も最初公開していたが、いろいろと報道されると、私文書だとか、御遺族の意思だとかを口実に、今は厳重に保管し非公開にしている。史実を明らかにしようとする意思は国には全くなく、隠蔽に走っている。731部隊の人体実験・細菌戦に関しては、政府は“知らぬ、存ぜぬ”を繰り返すばかり。(一部の教科書には載っている)

※井本熊男
・1935年(昭和10年)12月:大本営参謀本部作戦課に配属され、以降、一貫して、細菌戦に関して731部隊等の細菌戦部隊と陸軍中央側で連絡をとる担当となる
・1939年(昭和14年):支那派遣軍総参謀(作戦主任参謀)




寧波(ニンポー)細菌戦



(毒ガス戦)
原爆被害の重い苦しみを負いながら、学徒動員で毒ガス製造に関わった体験から自らの加害責任を語り伝える女性がいる。「戦争で受けた苦しみを知るからこそ、加害者としての責任も語り継がなければならない」。8月15日は終戦記念日。【高田房二郎】
<終戦記念日>ヒロシマの加害語る 学徒動員され毒ガス製造




(毒ガス戦)
さらに昭和天皇は毒ガスの使用について直接的な責任がある。毒ガス兵器は多くの中国やモンゴルの戦闘員・非戦闘員を死に至らしめた。「日華事変」が全面戦争となる前、すでに天皇は化学兵器の要員と装備を中国に送ることを裁可していた。ベルサイユ条約第171条ならびに、第1次世界大戦後、日本が調印した国際的な協定は、催涙ガスを含め毒ガスの使用を禁止していた。しかし、軍事技術の面で劣った敵に対してはこの禁止を守らなくても問題はないと陸軍は考えていた。昭和天皇も明らかに同じ考えであった。天皇が化学兵器使用を最初に許可したのは、1937年7月28日のことであり、それは閑院宮参謀総長により発令された。北京-通州地区の掃討について、「適時催涙筒を使用することを得」と書かれていた命令である。天皇の2度目の命令は、1937年9月11日に出され、このときも閑院宮参謀総長により発令された。いくつかの特別な化学兵器部隊を上海に配備することを許可したものである。当初は実験的で、非常に小さな規模でこれらの命令が許可されたが、1938年の春・夏になると、中国、モンゴルの主要な戦闘地域で大規模に毒ガスが使用されることとなった。 (ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)


日本鬼子のおきみやげ


初めて知った戦争(毒ガス)



(細菌戦)
昭和天皇はまた、1940年中国で最初の細菌兵器の実験的な使用を許可した。現存する文書史料で、昭和天皇を細菌兵器と直接、結びつけるものはない。しかし、科学者の側面を持ち几帳面で、よく分からないことには質問し事前に吟味することなく御璽(ぎょじ)を押すことは拒絶する性格から見て昭和天皇は、おそらく自らが裁可した命令の意味を理解していただろう。細菌戦を担当した関東軍731部隊に参謀総長が発令した大本営の指令の詳細は、原則として天皇も見ていた。そして、このような指令、すなわち「大陸指」の根拠となった「大陸命」に天皇は常に目を通していた。中国での細菌兵器の使用は1942年まで続いたが、日本がこの細菌戦化学戦に依存したことは、第2次世界大戦が終了すると、アメリカにとって、にわかに重大な意味を持つこととなった。まず、トルーマン政権は大規模な細菌戦・化学戦の計画に予算を支出したが、それは日本の細菌・化学研究の発見と技術に基づいていた。次いで、それはベトナム戦争でアメリカが大量の化学兵器を使用することへとつながった。 (ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)


初めて知った戦争731



澤田茂司令官は細菌戦に反対だった!!

『「澤田日誌」からみた浙贛(せっかん)作戦における日本軍の細菌戦』
松野誠也(明治大学大学院)【当時】より
・・・・・・(略)
澤田日誌には6月25日に再び関連する記述が登場します。
これは非常に重要な内容でありまして、支那派遣軍の反対意見が参謀本部によって握り潰されるということが記されています。内容は次の通りです。



石井部隊の使用総軍〔支那派遣軍〕よりも反対意見を開陳せしも大本営の容る処とならす大陸命〔大陸指の誤りか〕を拝したりと。命令ならは致方なきも作戦ハ密なるを要す。若き作戦課の人達を抑へる□に総長〔参謀総長・杉山元大将〕の力なからさるへからす。遺憾なり。ペスト防疫の為 一部家屋ハ焼却の命令を出す。


これを見ますと、陸軍中央と現地軍が一致して細菌戦に賛成していたのではなく、現地軍は反対していたが、大本営から指示なり命令がきて、それに従わざるえなくなったという構図が描けるわけです。しかも、トツプに立っている参謀総長は、幕僚たちがいろいろ意見を突き上げてくることを「抑へる」ことができない。それは非常に遺憾なことであると書いているのも非常に注目されます。澤田将軍は参謀次長を務めた経験があるので、参謀本部の下僚を「抑へる」ことの重要性と難しさをよく知っていたのでしょう。



次に澤田日誌に細菌戦関係の記事が出てくるのが7月11日です。石井四郎が戦線の第13軍司令部にやってきたという記述が出てきます。



石井少将連絡の為来着す。其の報告を聞きても余り効果を期待し得ざるが如し。効果なく弊害多き本作戦を何故強行せんとするや諒解に苦しむ。堂々王者の戦をなせば可なり。
何故こんな手段を執るや予には不可解なり。何れとも既に命令を受けたる以上実施せさるへからす。
仍(よ)つて次の三点に就て特に注意せしむ。/1、秘密の絶対保持/2、□□の予防/3、飛行場に攻撃を向くる事。


石井四郎の報告を聞いても、細菌戦の「効果」に対する疑問と「弊害」に対する認識は変わらず、命令だから嫌々ながらもやらざるを得ないという、澤田中将の参謀本部にたいする不満がよく伝わる一文です。あげくの果てに「何故こんな手段を執るや予には不可解なり」とまで書いています。・・・・・・(略)

東京初空襲・浙かん作戦

一般に中国軍の飛行場破壊を目的とした侵攻と言われるが、恒久的に占領できる目処もない状態で飛行場破壊のみ行っても効果は薄く12万人もの兵力を動員する目的としては疑問が残る。実際の目的は飛行場破壊よりもむしろ、それを名目とした浙江省東部一帯の蛍石産地の占領にあったと言える。財界と軍部が連携して利権獲得に動いた作戦である。

蛍石・・・・用途・加工法・・・古くから製鉄などにおいて融剤として用いられてきた。現在では望遠鏡や写真レンズ(特に望遠レンズ)などで、高性能化のための特殊材料としてキーパーツとなっている。フッ素の貯蔵に用いられることもある。

蛍石を採掘するのも、山東省、河南省、安徽省、江蘇省、浙江省などから強制連行された中国人だった。(約1700人)



1944年疫病がはやり、病気になったものは、隔離され食べ物も与えられず、餓死した。





蛍石の彫り物




赤坂離宮内の生物学研究所【1925(大正14)年】
・昭和天皇は生物に関心があった!!勿論、細菌にも関心はあっただろう!!
・日本は富国強兵を目指した!!

1921年昭和天皇フランス視察

1929年11月7日陸軍軍医学校(731部隊に指令を出していた防疫研究室はこの中に1932年に開設される)視察


??A氏(731部隊幹部)の言うには、今事実関係を明らかにすると、それは戦争中の犯罪行為を暴露するだけにとどまらす、戦後の重大な犯罪事実までズルズル数珠つなぎに明らかになってしまうから、だから話が出来ない、ということなのです。??


・731と天皇の戦争犯罪
同じように、おそらく日本政府が恐れているのは、戦争中の日本軍の戦争犯罪が暴かれて賠償の問題になることだけではなく、暴露によって戦後の重大事実が明かになることなのではないかという疑いが大きくあります。
それと同時にもう1つ大きな問題は、天皇の戦争犯罪の問題です。私も鑑定書で書きましたが、中国・浙江省寧波で細菌作戦の時、昭和15年の11月に発令された「大陸指」というのがあります。杉山参謀総長名で出ているものです。その781号によると、大陸指690号によって目下実施中の特殊ガスの試験を大陸命第439号に基づく大陸指第781号を以って終わりにすると、11月末日で終了せよという命令が出ています。特殊ガス試験というのは細菌兵器の実施使用のことです。これは明かに細菌戦の命令指示です。
「大陸命」というのは大本営陸軍部命令の略ですが、天皇が発する命令です。
当時は普通御前会議で昭和天皇と陸軍部の参謀総長、海軍の軍令部長とそれと大体原則的には侍従武官長が列席して、お上に作戦を上奏します。それでOKということになると「大陸命」を作成するわけです。陸軍部がやるわけですが、その「大陸命」を作るとそれに基づき「大陸指」を作成してこれでよろしいかと、お上にお見せするのが慣例でした。いつも必ず見せていた。それでこの通りにというと「大陸指」という参謀総長の発する命令、指令が出るわけです。作戦によっては担当の大本営の担当者、参謀が直接天皇の前へ行って作戦を事細かに上奏、説明します。・・・・・・(中略)・・・・・
瀬島龍三という元大本営の参謀も、「陸軍は大陸命、海軍は大海命といいますが、それがないと軍の用兵は何1つ出来ない、参謀総長や軍令部総長といえども、そういう厳密な手続きを経なければ勝手に軍を動かすことは一切出来なかった」と言っています。ですから「大陸命」に基づいてというところが一番肝心なのですが、その内容はすべて昭和天皇の耳に入っていたということです。ここに731を何としてでも隠蔽しなければならなかった理由があります。・・・・(『戦後の犯罪につながる細菌戦の隠蔽』近藤昭二著より)




・日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか?
医の倫理は、向上すると思う!!

中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!!


夏草をふみしめ引込み線を歩いた
視界が不意に三角形に切り取られ
やがて歴史の暗渠(あんきょ)に足を踏み入れる
見上げれば天を突く巨大な残骸
ただれ崩れ落ち、悲しみの肉塊のように
灰色の空の下で泣いている
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より



日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア


混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)



長春・農安調査雑感
西里扶甬子(ジャーナリスト)
1980年代のはじめ、ミステリー作家森村誠一がノンフィクション・レポートとして世に出した「悪魔の飽食」シリーズが大ベストセラーとなり、海外のメディアも一斉に取り上げた。私は東京で、海外メディア(主にテレビ)の日本取材のコーディネーターとして仕事をスタートさせていたが、偶然の巡り合せから海外初の細菌戦部隊731に関するドキュメンタリー番組の仕事をすることになった。3年近くの取材と編集の末、この番組が英国ITVで放映されたのは1985年だった。この時点では、当時「赤旗」の特報部部長だった下里正樹氏が作家森村誠一の片腕として、取材活動を続けており、シリーズ3作目の「悪魔の飽食第3部」(1983年 角川書店)を世に出すにあたっては2人そろって中国にも取材に出かけていた。その時点でも731部隊が事実上細菌戦を実行したかどうかについては、確証を見出せず、戦後の米軍の尋問・調査で731部隊幹部達が、懸命の口裏合わせで印象づけようとした、「人体実験・生体解剖を繰り返して、細菌兵器の開発、屋外実験(安達実験場などでの)はやったが、実戦使用はしていない。」という説に傾いていたように見える。
 私自身が731部隊の調査・研究に深入りするきっかけとなったのは、「悪魔の飽食」であり、英国のITVのドキュメンタリー番組であったから、まず日本の関係者、そして戦後戦犯免責取引に至るまでの4次に渡る米軍の調査尋問調書などを中心に取材していた。このドキュメンタリーでは、John Powellとの絡みで、上に述べた戦後の尋問・調査文書、そして、奉天捕虜収容所の英米軍元捕虜の証言、ワシントンの国立公文書館の綿密なリサーチなどに時間をかけた。そして、日本での取材現場はすべて私が中心になっていた。結局この場合すっぽりと抜け落ちていたのは、中国現地での取材だった。ここで中国というのは、後に出たこのドキュメンタリーの収集資料集とも言うべき本“Unit 731”で50ページを割いた【朝鮮戦争】の現場も含まれていた。


※日本人も731部隊で細菌などを扱っていたので、細菌に感染することがあった。時には日本人も、生体解剖された!!

プライム10「731細菌戦部隊」






1938年国家総動員法が制定され医学界も戦争に全面協力した。
1942年の東大安田講堂前での医学者たちの記念写真、隊長を務めた石井四朗、北野政次、そして右腕の増田知貞の姿が見える。
731部隊の影響が医学界全体に及んでいた。医学者は陸軍軍医学校の嘱託として協力した!!


戦後も731で研究された論文が、日本の大学で審査され、博士号が授与されている!!


小泉親彦(ちかひこ)



※小泉親彦(ちかひこ)・・・陸軍軍医学校校長、陸軍軍医総監、陸軍医務局長、厚生大臣を歴任、毒ガス戦、細菌戦を積極的に推し進めた人物
1945年9月、自決。










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