2017年11月13日月曜日

「天皇制」を考える


●天皇制を考えよう!!(日中戦争時、人間ではなく「現人神」であった昭和天皇の戦争責任は重大だ!!)
政府が特例法案を閣議決定 6月中に成立へ 譲位は実現すれば光格天皇以来、約200年ぶり
昭和天皇の戦争責任を問わないでいいのだろうか??
象徴天皇制 自由で闊達な議論が必要!!加計問題!!


池上彰のニュースそうだったのか!! 2時間スペシャル 16 08 1


・上のビデオでは日本の戦時中の昭和天皇=現人神、国家神道のことについては全く触れられていない!!
戦時中は、御真影を拝み、宮城遥拝して、果ては大日本帝国の為に、自らのの命を捧げ、結果多くの国々に多大な加害を与え、又自国にも大きな犠牲を出し、大日本帝国は崩壊した!!
戦後、自ら犯した侵略戦争の反省が十分なされないまま、以前の大日本帝国の亡霊が、今現在、復活してきている!!

昭和天皇の戦争責任をメディアは全く触れないでいる!!国民もその状況に慣れ切っている!!
昭和天皇は、戦局を詳しく見て、重大な判断を下していた!!
明治憲法の「天皇は神聖にして侵すべからず」とか、国家無答責などの論理は働かないほど罪を犯したのではないか??

皇族も、戦争に積極的に関わった!!
伏見宮博恭(ふしみのみや ひろやす):対中強硬派・対米強硬派

1933年10月、軍令部条例を改正して、軍令部長を「軍令部総長」という権威ある名称に変更した。これは、陸軍の参謀総長は天皇を輔翼する帝国全軍の参謀総長と位置づけられ、戦時に設定される大本営において、陸海軍の大作戦を計画するとされてきたことに対抗しての名称変更であった。
・・・
伏見宮は、1932年、海軍軍令部長に就任。32年7月には元帥となり、東郷元帥と共に海軍の元老となった。33年10月には、軍令部長を軍令部総長より権威のある名称に変更、41年4月即ちアジア太平洋戦争開始の年まで、海軍史上異例の9年間もその座に君臨し、皇族の特権を盾にワンマンぶりを発揮しつつけた。日本の軍隊が天皇の軍隊であったがゆえにもった特質である。
伏見宮が長期にわたり軍令部総長として権勢をふるったため、海軍のトップには、実績や能力に関係なく、伏見宮に受けが良い人物(いわゆる寵臣)、別の言い方をすれば、伏見宮に逆らわずに取り入ろうとする人物が、抜擢されることになった。
第1の寵臣・・・嶋田繁太郎  第2の寵臣・・・永野修身’おさみ)    第3の寵臣・・・及川古志郎
※安倍のお友達内閣と似ていませんか?

天皇制ファシズムと「国家神道」、そして柳田國男が温存した「神道」のドグマとは? 岩上安身による島根大学名誉教授・井上寛司氏インタビュー3日目


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