2017年12月5日火曜日

『衛生学校記事』情報公開裁判


今までの流れ
原告の主張
1 はじめに一2016年1月と3月の街生学校見学について
私は、『衛生学校記事』のことで、陸上自衛隊衛生学校内の諸資料の保管状況を自分の目で確認したい、或は自分で探したいという思いを抱いていました。
それで、2016年の1月14日に、○○衆議院議員の衛生学校等への視察に同行させていただきました。こうして私は衛生学校図書室及び併設されている彰古館の書庫を直接自分の目で見学する機会を得ました。
また、その後、2016年の3月9日にも、衛生学校の彰古館を見学しました。
以下、上記2回の見学でわかったことを述べます。

2 衛生学校図書室を見学して判明したこと

(1)私が、見学した衛生学校図書室内の配置などを示す図面は、別紙1のとおりです。

(2) 図書室に入ると、直ぐ正面のロッカーの扉が開けてあるのが目につきました。それで私はロッカーに近寄って中を見ました。
すると、その中に季刊誌『ふかみどり』の合本が、昭和51年(1976年)第16巻から2009年の第49巻まで存在しているのを確認しました。
上記『ふかみどり』は、周知の通り、『衛生学校記事』が昭和50年(1975年) 10月発効号から名称を変更したもので、実質は『衛生学校記事』と同じ性質の雑誌です。
またロッカーの中には、『保安衛生』が、昭和29年(1954年)の第1巻から第4巻まで、及び、その後改名継続発行している 『防衛衛生』が1958年の第5巻から2014年の第61巻まで、きちんと番号順に並んで展示されているのを確認しました。
さらに、他にも衛生学校の発行物でない『富士学校記事』や『幹部学校記事』など1965年発行の物が合本された状態で展示されていました。

(3)このように『保安衛生』や『防衛衛生』は1954年の第1巻から、即ち60年以上前の発行物からずっと保管されています。
また自衛隊内の他の学校関係の発行物の『富士学校記事』や『幹部学校記事』まで保管されています。
さらに、私たちは今回は図書室で関覧できませんでしたが、衛生学校図書室の図書目録には、衛生学校が発行する各年度毎『衛生学校史』が昭26(1951)年から平成25(2013)年を図書室に保管されています。
これを一覧表したのが、別紙3の「衛生学校図書室所蔵一覧」です。

(4)上記のような一連の諸事実から見て、私は、防衛省が『衛生学校記事』を保管期間経過を理由に破棄しているという事実は全く存在しないと思います。


(5)図書室内部には、 隊員が参考文献等として使用する一般書物や衛生業務関連本が中心でしたが、他方、旧軍関係者が自費出版した回顧録などで寄贈された本類も沢山ありました。

(6)また、衛生学校から、「衛生学校等作成図書一覧」を頂きました。しかし、
『ふかみどり』 『保安衛生』 『防衛衛生』 『衛生学校史』を掲載しているにもかかわらず、『衛生学校記事』が入っていません。これは最初から『衛生学校記事』 を隠蔽しようとしているとしか考えられません。


(7)なお、関連したことなので次の点を若干付け加えておきます。
即ち、私たちが、隣りの書棚を見ようとすると、担当者から 「教範など内部資料ですから、お見せできません」 と拒否されました。
しかし、そもそも教範類を一律に非公開にして国民の目に触れさせないというやり方は、自衛隊という実力部隊を国民がチェックする機会を奪うものであり、危険な姿勢であり間違っていると感じました。本当に非公開にしなければならないものが何かについて厳密な基準を立てて国民に説明すべきではないでしょうか。


3 彰古館を見学して判明したこと

(1)私が、見学した彰古館内の配置などを示す図面は、別紙2のとおりです。

(2)彰古館には、展示コーナーには戦前の元軍医学校時代からの軍事医療の器具や史料を収集展示され、他方、書庫には明治、大正、昭和時代、日清、日露戦争から第一次大戦、日中戦争の陸軍衛生史や軍事史料が保管されていました。中には頁をめくる事も出来ない位、古く貴重な史料も保管されていました。

(3)私たちが彰古館を見学した目的は、『衛生学校記事』を探す事の他、元学校長・金原節三氏又は遺族が1977年に寄贈し、寄贈目録に掲載されている2028点の文献資料がどの様に保管されているかを確認する事でした。

(4)以前設けられていたという 「金原節三文庫」 は、もう既に存在せず、「A」 「B」 「C」 に区分けされている書棚から寄贈目録と一致する文献史_料には、文献番号が表紙に鉛筆で手書きされていたり、「金原」 「金原用」と書かれたもの、「金原」の印鑑が押されたものを探し一つ一つ確認しました。このようなものが多数ありました。


(5)史料は金原節三業務日誌の様なきちんとした小冊子から2、3枚程度の文献、 さらに二つの書類ケースの中には金原氏宛ての表彰状や任命書、信書や絵ハガキ、個人の名刺、通勤の為の定期券など多数が収納保管されていました。

(6)上記の様な状況を見ると、私には、金原節三氏の寄贈文献史料が廃棄されたとは到底思えません。
そもそも発行元であり、金原氏も多数寄贈している『衛生学校記事』が、衛生学校に一冊も存在しないなどと言われても絶対に納得いきません。
重要なことは、私たちが2回閲覧した中で、多くの金原氏所蔵の文献を探すことが出来たことです。


4 未調査の事実を認めた昨年11月の防街省の国会担当者の説明
実は、昨年11月、もう一つ重要なことが分かりました。
それは昨年11月に頂いた『彰古館所蔵資料一覧』の1615点に関連して、別紙4のとおり防衛省の国会担当者の○○氏が、「目録は衛生学校で所蔵している旧軍図書資料の全体の2割程度です」旨説明した事実です(甲156参照)。
上記の防衛省の国会担当者の説明からも、防衛省の探索が全く不十分であることは一目瞭然だと思います。


5金原資料は隠蔽されている。

私たちが本件裁判で公開を求めている『衛生学校記事』は、一昨年、その
一部が防衛医科大学校図書館等から発見されたとして公開されました。
しかし、そもそも裁判を起こされてから「防衛医科大学校図書館」を調べ直したら 『衛生学校記事』 の一部が発見されたという話し自体に私は強い疑いを抱いています。虚偽だと思います。また、元学校長の金原節三氏が『衛生学校記事』 を89冊も寄贈しているのに、防衛省は存在しないと主張し続けていますがこれも虚偽だと思います。


6 最後に一再度、徹底調査を実行して下さい。

防衛省がなすべきことは、衛生学校の彰古館及び図書室をはじめ、世田谷区池尻の陸上自衛隊三宿駐屯地内を徹底的な資料捜索です。
また寄贈目録、未整理史料一覧も調査し開示すべきです。
是非、真剣に探索して一日も早い公開をお願いします。
以上


●防衛省の対応

■「不存在」の「衛生学校記事」が防衛医大に存在(9月19日)毎日新聞
不開示決定:防衛省 2年半後「一部が見つかった」
毎日新聞 2014年09月19日 21時34分

防衛省は19日、情報公開請求に「存在しない」と不開示決定していた組織内雑誌が再調査した結果、防衛医科大学校(埼玉県所沢市)の図書館で一部が見つかったと発表した。請求者に謝罪するとともに、公開の手続きを進めている。

請求していたのは市民団体「731・細菌戦部隊の実態を明らかにする会」の○○さん(東京都小平市)。○○さんは1957~2009年に刊行され陸上自衛隊衛生科の教育や訓練に使用されていた雑誌「衛生学校記事」の公開を11年12月に請求したが、同省は見つからなかったとして翌12年2月に文書不存在を理由に不開示決定した。○○さんは昨年11月に決定の取り消しを求めて東京地裁に提訴した。

今回見つかったのは請求対象になった42号のうちの28号分。同省は「図書館の蔵書は行政文書にあたらないと、担当者が認識していたと推測される」と説明している。○○さんは「旧日本軍の731部隊関連の史料を探すために請求した。今回出てきたのはまだ一部。全て公開してほしい」と話している。【斎藤良太】


※防衛省で見つかった『衛生学校記事』28号分は以下の通り、
1、『衛生学校記事』№4、№8、№9.№14

衛生学校記事は、昭和32年7月から毎月発行された衛生学校の機関誌。
昭和34年(1959年)1月、19号で一旦休刊となった。

・創刊号によれば、寄稿文、衛生学に関する論文、外国文献の翻訳、衛生学校に於ける行事等を掲載。陸上自衛隊衛生課の教育、訓練における参考資料として1部95円で刊行された機関誌(月刊誌)であり、全国の陸上自衛隊衛生科幹部に個人配布されていた。
・休刊の理由:原稿収集の難航、予約購読者の激減、購読代金回収率の低下→資金運用の問題から休刊


2、『衛生学校記事』再刊1巻1号~3号 昭和36年(1961年)
再刊2巻(1962年)~再刊7巻1号(1967年)まで。
再刊は、季刊として発行された。2巻(1962年)から6巻(1966年)まで1年に4号出されている。


※金原節三は戦時中、1941年当時陸軍省医事課長として731部隊細菌戦に深く関与していた軍医大佐であり、戦後自衛隊衛生学校の校長にもなった。
※『衛生学校記事』は1957(昭和32)年7月~1959(昭和34)年まで月刊で19号出版され、その後、1961(昭和36)~1967(昭和42)年までは季刊本で24冊、出版された。
その後は、1975年10月の15巻4号から誌名を『ふかみどり』に変更し2009年度まで存在しているのを確認している。
見つかっていないのは、1967年の再刊7巻2号~1975年の15巻4号が見つかっていない。
1976年の16巻から2009年の49巻までは見つかっている。

※国会図書館で「衛生学校記事」を検索したら、所蔵情報に7巻2号(1967年2月)~14巻2号(1974年4月)までと会ったのに、あったのは7巻2号~8巻1号までと
1973年の13巻2号~14巻1号だけであった。「ふかみどり」は32巻1号~4号だけであった。




●その後の防衛省の対応
本件文書は、約2年間の休刊の後に昭和36年に三宿修親会によって復刊されることとなった以前の衛生学校発行・編集に係る「衛生学校記事」であるところ、以上の機関誌うちの第4号、 第8号、第9号及び第14号の4部(本件開示文書)については、防衛医科大学校図書館において散発的に発見されたことは事実である。 しかしながら、かたや本件不開示文書にあっては、本件開示文書が発見された防衛医科大学被図書館における再度の検索を踏まえても、なお発見できなかったものである。
このような状況をも踏まえると、復刊前の一連の「衛生学校記事」が防衛省において組識的に管理,保有されていたと考えることはなおさら困難でありむしろ、本件開示文書については何らかの事情によってたまたま防術医科大学校図書館において保管されていたと考えるほかないのである。

徽底的な探索によっても本件不開示文書はなお発見されなかったこと
しかも、本件訴訟に当たり, 防衛医科大学校での発見を受けて、防衛省内の全ての文書管理者5203名を対象として、平成26年8月l2日から同年9月30日までの間、本件不開示文書の探索が実施されたが,なお発見されなかった。さらに,防衛省は,平成29年4月にも、改めて,本件不開示文書を探索し、その状況を詳細に報告するために、探索場所の詳細,探索人数などを報告した。そして、防衛省内各部署において、紙媒体について延べ日数16,563日間にわたり職員98, 973名をじて、電磁的記録について延べ日数15, 909日間にわたり職員89,50 0名をして、網羅的かつ徹底的に探索が行われたが、 本件不開不文書が発見された旨の報告はなく、本件不開示文書の存在は確認できなかった。



●原告の反論


●参考:『衛生学校記事』目次(1部)



●参考
情報公開・個人情報保護審査会の答申
審査会の結論
「『化学学校記事』1号ないし最新号」につき、これを保有してしていないとして不開示として決定は、妥当である。

審査会の結論
「『衛生学校30年のあゆみ』衛生学校30年のあゆみ編さん委員会編(1982年10月)第4編の資料中の『研究の実績』の昭和55年度(265頁)の『衛生戦史資料の体系化』と題する論文」(以下「本件対象文書」という。) につき、これを保有していないとして不開示とした決定は、妥当である。


●今後の裁判

・次回情報公開裁判(「衛生学校記事」)第16回 12月21日(木)15:00~東京地裁419号法廷

・次回情報公開裁判(「化学学校記事」)第6回 2018年1月17日(水)11:00~東京地裁522号法廷


0 件のコメント:

フォロワー

ブログ アーカイブ

自己紹介

新しい自分を発見中