2018年4月13日金曜日

細菌戦の系譜!!

ブログ王ランキングに参加中!

※Internet Explorer よりグーグルクローム(Google Chrome)で見るとスムーズに画面が動きます。
●731部隊の実態
●『陸軍軍医学校50年史』(1936年)より
●あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか?
●731部隊展
●「重慶大爆撃」を描く!!「日本は恥じるべき加害国」
●自衛隊と日航機墜落事故の関係は??
●サリン事件と自衛隊の関係は??
●不二越強制連行問題!!
●「福島の今」
●結核予防接種と人体実験
●731部隊(2)
●731部隊(3)

中国・北朝鮮脅威論を超えて 2018.3.28 緊急市民集会
731部隊将校の学位の取消しを!!
●情報公開!! 特定秘密保護法撤廃!!
“日報”1年分以上新たに発見 小野寺防衛相「不適切な対応」

命がけの活動の記録、「日報」の廃棄などあり得ない

・次回情報公開裁判(「化学学校記事」)第6回 2018年4月18日(水)11:30~東京地裁522号法廷
・今、憲法9条の第2項:「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。)が大きな問題になっている。
自衛隊の化学学校が、防護を前面に出して、毒ガス兵器の開発。研究をしているのではないかと考えてしまいます。
自衛隊の化学学校で、発行されていた『化学学校記事』ついて、防衛省は、いつまで発行していたのかが分からないという。全くおかしな話だ。作っている防衛省が、いつまで作っていたのか、分らないというのだ。
国民の税金をつぎ込んで作った化学学校の中で行われている研究がどんなものなのか、国民には、全く分からないのである。
最近、テレビなどでテロ対策として毒物の処理をする防毒マスクを付けた自衛隊員の光景を見るが、新たな毒物・毒ガスの研究は進められていないのだろうか?

1957年・・・化学学校創立
1959年12月・・・『化学学校記事』創刊。
1964年・・・サリンの製造に成功
1968年・・・『化学学校史』の中に、この年まで『化学学校記事』の記載があり、その後は確認できないと防衛省は、言っている。
1970年・・・『化学学校記事16号』が発行されている。
1977年・・・化学学校『20年のあゆみ』にわざわざ創刊号の写真を載せている。
1994年6月27日・・・松本サリン事件(この時に自衛隊は使われた毒物がサリンであることをいち早くつかんでいた、)
1995年・・・この年は、戦後50年で、革新勢力が政権(1994年6月30日~1995年8月8日)を取っていたが、自衛隊を容認するのか決断を迫られていた。 村山首相は、自衛隊の合憲、日の丸・君が代の容認した。3月20日、地下鉄サリン事件発生、その前から警察・自衛隊はオウム真理教でサリンを製造していることは分かっていた。オウムの信者の中に多数の自衛隊員がいた。化学学校の情報が洩れてはいなかったのか。解毒の仕方を教えろと直接化学学校に電話があった?事件発生後の、素早い化学学校の対応。オウムが事件を起こすことを知っていた?化学学校の知名度、自衛隊の評価が上がる。日本の国会で「化学兵器禁止条約」批准可決・決定。

1997年・・・4月29日「化学兵器禁止条約」発効。2017年現在加盟国192か国。化学学校『40年のあゆみ』にわざわざ創刊号の写真を載せている。

1999年・・・7月30日、北京にて日本政府と中国政府による共通認識8項目を記載した「日本の遺棄化学兵器の廃棄に関する覚書」が取り交わされた。
だが、遺棄弾処理は遅々として進まず、「化学兵器禁止条約」で規定された「10年以内の廃棄処理」(2007年)は実行できず、5年延長、さらに10年延長を申請し、2022年までにハルバ嶺30~40万を含む各地の遺棄化学兵器は処理しなければならない。
現在、遺棄化学兵器が発見・確認され保管されている地域は51カ所、OPCW(化学兵器禁止機関)に日本政府が申告した中国遺棄化学兵器総数は約56,149発である(ハルバ嶺の推定30~40万発は含まず)。 

ABC企画委員会ホームページ、中国の遺棄毒ガス問題の項

※日本はかつて自衛のための戦争と言って、中国で大量の毒ガス兵器を使用した。そして、その事については、731部隊と同じく公式にきちんと謝罪していない。
そして、又、防護のためと称して毒ガス製造をしている。(化学兵器禁止条約に批准後も)

※1959年の『化学学校記事』の創刊号には次のような文言がある。
「今次大戦を境にあらゆる科学進歩には目覚ましいものがあり、今後益々躍進すると思いますが我々はこの機運に遅れないようあるいは先達としてCBR防護訓練に万全の努力を致す覚悟であります。その努力の一端として又化学学校創立2周年記念の意義を含めて、この度化学学校記事の発刊を計画した次第であります。」

オウム真理教のサリン合成に自衛隊の情報が洩れていなかったのか?信者に自衛隊員が多数いた。
また、サリンを製造するプラントの事は土屋正実だけでは分からないはずだ。サリン製造と自衛隊の関係をきちんと調べていない!!
松本教祖ら死刑囚13人 死刑執行焦点に
地下鉄サリン事件から23年、真相を語らなかった松本死刑囚 森達也氏「麻原裁判は、やり直されるべき」

●サリン事件と自衛隊の関係は??



長春にあった軍馬防疫廠100部隊で人体実験をした獣医たちの戦後の流れはどうなっているのだろうか?まさか加計学園に流れている??

・「衛生学校記事」情報公開裁判
裁判長も被告防衛省側の期間・人員を多く使って調査した概括的な報告書の具体的な説明を求めたが、防衛省側は具体的な説明はしなかった。
また、「衛生学校記事」の後継である「ふかみどり」の編集に携わった人に、いろいろと問い質したら、いろいろな事も分かるだろうと原告側は主張し、被告側も応じる姿勢を見せた。次回は、4月24日(火)15:00~東京地裁419号法廷。
防衛省内の機関で正式に予算を取って、作られていた機関誌を、簡単に行政文書でないからと言って、廃棄していいものだろうか??
防衛省は言う、「確かに,発刊当時の昭和32年当時においては最新ともいえる医学領域等を中心とした学術情報も掲載されていた可能性はあり得る。しかしながら,学術・科学が日進月歩する中にあって、半世紀前に発刊された機関誌をなお、組織として保秘しておくべき要請は全くなく」と。
然し、国民の税金で作ったれっきとした機関誌であり、公文書である。どんな研究をしてきたかを書いた大事な機関紙である!!
自衛隊の研究成果は、国民にもきちんと知らせるべきである。

防衛省は強いて言えば「衛生学校記事」「化学学校記事」を図書であると言いながら、行政文書として扱って捜し、図書館・図書室などをきちんと探していないようだ。自衛隊の機関の研究内容は、より透明性が必要だ!!また、衛生学校長であった金原節三氏の遺族から寄贈された資料に関して、衛生学校や防衛研究所図書館への資料の移管に関する記録も存在しないと公然と主張する!!寄贈されたものを、こんな杜撰な管理の仕方でいいのだろうか??機関誌を情報公開法の行政文書として扱うのではなく、歴史的に価値ある公文書として扱い、国民に公開してもらいたい。

30年経過したらきちんと情報を公開してください!!
米国は、放送局の電波停止権限を規定する放送法など「メディアに対する規制枠組みを懸念」しているとして、政府から独立した監督機関の設立を提言。
日本の「報道の自由」に懸念=5年ぶり審査で国連人権理

公文書の在り方


自民党が、憲法に「自衛隊」を明記すると言っているが、その自衛隊で今何が行われているのだろうか??
北朝鮮に経済的・軍事的圧力を日米軍事同盟の枠の中でアメリカと一緒にやれば、日本は、北の標的になるのではないか?

日米軍事同盟の中でどんな協力・研究開発が進められているのか、国民には全く説明がない!!すべて機密??
今回の空自のヘリの事故原因やF4戦闘機の事故の説明はきちんと公表されるのであろうか??
自衛隊の中にも、緩みやあるのではないか??ヘリに何があったのか、防衛省は果して原因を公表するであろうか??
憲法9条では、「戦力の不保持」と謳いながら、現実には、9条をないがしろにして、着々と強力な兵器を開発、保持しているのではないか??

『衛生学校記事』情報公開裁判


森友・加計問題と同じように問題となる証拠は全て廃棄したことにする??


国民が知りたいことは、今の防衛省の機関で、どんな研究がされているかという事なのだ!!防衛省・自衛隊でやっていることは全くの秘密では、シビアリアンコントロールなで出来やしない!!
防御の為と言って、生物兵器・毒ガス兵器・核兵器の開発がされているのではないかという疑念にしっかりと防衛省は答えてもらいたい!!
時間をいたずらに伸ばすことなく、防衛省にはしっかりとした説明責任が求められている!!


海底700mから自衛隊機を引き上げられるのだから、日航機も引き上げられるのでは??
海底700メートル、機体の一部か 浜松沖ヘリ墜落

自衛隊と日航機墜落事故の関係は??

加計問題!!証拠を隠すな!!

サリン事件と自衛隊の関係は??

陸上自衛隊化学学校における毒ガス問題 2013年



●中国人細菌戦被害者ビザ発給拒否裁判
内閣人事局撤廃!!忖度政治は、やめてくれ!!
3月9日(金)10:30~東京地裁415号法廷
9日の第8回ビザ発給拒否裁判では、裁判長は変わった。これで3人目。前回の裁判長は、外務省になぜ今回だけビザ発給をしなかったのか強く理由を求めたが、
今度の裁判長も、この事を、国側に、きちんと回答するように求めてもらいたい。
9日の裁判では、外務省は、はっきりしたストレートな回答をしなかった。今まで同様、ビザ発給は外務省の裁量であるとか、身元保証の問題を口にする。
2015年の集会の前までは、中国の細菌戦被害者遺族を日本に招くことが出来たのに、なぜ2015年の11月の集会には、外務省はビザ発給をしなかったのか?
外務省の官僚が、2015年9月に安倍政権が強行した戦争法成立に忖度して、集会のチラシにある「戦争法の廃止を求め、・・・」に敏感に反応したのか?

それとも歴史の改ざんを目論む安倍政権が、これまで日本政府が細菌戦を公式に認めて、謝罪していないことから、政権側の指示で外務省が細菌戦被害者遺族のビザを発給をやめたのか。次回裁判では、当時、ビザ発給に関わった外務省の官僚を証人として証言を求めたい!!


安倍政権の、歴史修正主義の影響を外務省は受けていないのか??
ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟
・次回裁判 2018年6月8日(金) 10:30~東京地裁415号法廷

《ビザ発給拒否》裁判!!

ビザ発給は外務省の自由裁量でできる?外務省の課長が処理した案件であるから、政治的な意図はないなどと、被告国側は主張している!!おかしい!!

外務省が集会参加予定の中国人12人にビザ発給せず――細菌戦被害者ら入国拒否

当時の集会の模様
中国人細菌戦被害者遺族は、なぜいない?







●軍学共同反対!!
岡山大、東海大、東京工科大、東京農工大へ抗議しよう!!


軍学共同反対連絡会のニュースレター18号

防衛装備庁助成の研究中止求める 岡山大に反対団体が申し入れ

●日中全面戦争・南京大虐殺81ヵ年!!

政府は、森友・加計問題を必死に隠し、731・南京・慰安婦・重慶などの加害事実も隠す!!

・南京大虐殺の証言

1937年には家は王府巷で、そこは人家が300軒足らずしかない粗末な小屋架けの地区でした。家はとても貧しく、一家5人(父と母と妹2人と私)で、父が人力車を引くのと私がボロを拾うのとで暮らしていました。
 日本の軍隊が南京を占領した時、私は17歳でした。12月のある日、日本兵がその辺一帯で私たち7,8人を捕まえて行き、綿入れの上着を脱げと強制し、「磨坊」と呼ばれていた中庭に追い立てて行き、1列にひざまずかせました。私は隣の1人と一緒にひざまずいていたのですが、日本兵が銃剣の先っぽで人を突き始めたので、逃げなければ大変だと見て取り、腕で隣を一押しするなり、2人で突如立ち上がり、ぱあっと逃げ出しました。日本兵が銃剣を平らに両手で突き出すようにして私目がけて突きかかって来ましたが、私が身をかわしたので、銃剣の先が胸の皮膚をかきむしりました。私は銃剣の柄を握って、日本兵を地に押し倒し、その隙に乗じて大急ぎで裏門の方へ逃げて行き、日本兵が2発続けて撃ちましたが、弾がそれ、私は逃げ出して来て、九死に一生を得ることができたのでした。(明日に続く:楊素玉と馬雲鵬が記録)


驚くことに、海軍は8月15日から当時の中国の首都南京を爆撃している!!
日中戦争全史年表

南京大虐殺80ヵ年

日本政府の今までの全く誠意のない対応!!
ハルキ世界の満漢全席『騎士団長殺し』を全世界が待ちわびた

村上春樹「騎士団長殺し」 2週連続首位=韓国

2015年 南京大虐殺世界記憶遺産に登録される!!
安倍晋三は、南京に行くべきだ!!
かつて、石原慎太郎、稲田朋美は南京大虐殺を否定した!!今も否定している!!
戦争の反省の無い頭!!

31、関連する裁判
・夏淑琴名誉棄損裁判 (2009年2月5日 最高裁判決)
南京大虐殺のときに両親や祖父母など家族を日本兵によって虐殺され、妹と二人だけ生き残った幸存者、夏淑琴さんに対する名誉毀損訴訟である。これは、亜細亜大学の東中野修道教授が夏淑琴さんをニセ証言者であるかのような記述をしたことが争われた事件だった。
 このときも東中野教授の論述内容があまりに低レベルだったため、東京地裁の判決では「被告東中野の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く、学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない」とまで断罪されたほどであった。
 この事件においても、地裁・高裁・最高裁はすべて夏淑琴さんに対する名誉毀損を認定した。



●重慶大爆撃裁判



重慶爆撃(じゅうけいばくげき)は、日中戦争(支那事変)中の1938年12月18日から1943年8月23日にかけて、日本軍により断続的に218回行われた重慶に対する戦略爆撃。


爆撃の効果


「防空壕に戻ろうとして踏みつけられたり窒息したりして死亡した人々」とされる写真

重慶爆撃の戦史上の位置づけ
重慶爆撃は日中戦争・第二次世界大戦と続くこの時期の世界戦争の中で、1937年のゲルニカ爆撃に続く最初期の組織的な戦略爆撃に位置づけられる。
重慶爆撃は陸軍飛行団と海軍航空隊の協同作戦として開始されたものでもあったが、次第に海軍航空隊が主導する作戦になっていった。
中支那派遣軍は、38年12月26日、陸軍航空兵団(陸軍が占領した漢口に航空基地)に要請して、最初の重慶爆撃を行った。39年になると海軍航空隊が加わり、本格的な重慶爆撃を開始した。

不当判決!!
中国・重慶爆撃 2審も遺族敗訴 東京高裁 /東京
2017.12.15(毎日)

日中戦争中、旧日本軍による中国・重慶市や周辺への爆撃で家族が犠牲になったなどとして、中国人遺族ら約240人が日本政府に謝罪と総額18億円余りの損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は14日、請求を棄却した2015年2月の1審・東京地裁判決を支
持し遺族らの請求を退けた。永野厚郎裁判長は、爆撃による被害を認めた上で「原告には当時の国際法に基づく損害賠償請求権がなく、民法の規定でも国は損害賠償責任を負わない」と述べた。

判決によると、旧日本軍は1938年以降、蒋介石政権が首都を置いていた重慶の市街地や四川省の各地を狙い爆撃を繰り返し、多数の市民が犠牲になったとの記録がある。

祖母とおばを亡くしたという原告の男性は判決後に記者会見し「日本政府が歴史問題にもっと誠実に向き合えば両国の関係が改善するとの思いで取り組んできたが、被害者を傷つける判決で納得できない」と話した。弁護団は上告する方針。



●憲法9条を世界へ普及させよう!!
イラク日報、空幕にも

オスプレイ 横田基地に5機到着 横浜の米軍施設から

9条の碑、沖縄に次々建立 「命どぅ宝」戦争体験者刻む

9条とあまりにもかい離した演習!!戦争をしないと憲法で謡っても、自衛の為の戦争はする??
隊員も、疑問を感じながら、演習しているのだろうか??

自衛他の為の戦争と言っても一旦戦争になれば、お互いに壊滅的な破壊がある!!地球全体の環境が脅かされる!!

日本版海兵隊、2020年代前半に沖縄へ 米部隊移転後

世界を変えるジェネレーションZ「もうたくさん。銃規制を」立ち上がるアメリカの高校生

【フロリダ高校乱射】「もう二度と」 米国の若者立ち上がる

「おびえる生活嫌だ」銃規制求め高校生ら大規模デモ(18/03/25)


米で高校生ら銃規制訴え大規模デモ 各国に広がる(18/03/25)



軍隊は肥大化し、世界の紛争に巻き込まれる!!(アメリカの軍事戦略を支持し、過去にしてきた犯罪をまた犯す!!)
自衛隊を無制限の武力を持つ軍隊に変容させる絶好の口実になります!!
9条に自衛隊明記は不要で極めて危険

日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


●「天皇制」を考える

昭和天皇の731部隊を設置を裁可した責任、細菌戦・毒ガス戦を命じた責任、太平洋戦争の開戦を裁可した責任、敗戦を遅らせた責任はないのか??

大嘗祭反対!!
宮内庁 大嘗祭は来年11月14日、15日に

<新天皇即位>式典準備委の議事概要公開

昭和3年(1928年) 昭和天皇 即位の大礼


「明治日本の産業革命遺産」と強制労働 映像版


公文書偽造で始まった明治維新! 現在も続く「官軍教育」の中で描かれた「偉人」たちの姿は「ウソ」ばかり!? 岩上安身による作家・歴史評論家・原田伊織氏インタビュー


平成の「大嘗祭」 政教分離との整合性で議論に


●ニュース
疑惑続出に与党危機感=首相苦境、3選困難の声も

金子勝:佐川元理財局長の森友問題に関する国会証人喚問


●森友・加計問題!!
昨年は、改ざんされた文書で、国会は質疑をしていた!!この責任は誰にあるのだ??
森友・加計問題 2017年11・12月論戦
加計学園問題と新たな軍学共同 (池内 了 名古屋大学名誉教授)


●靖国問題!!
何で、標本木が靖国神社にあるのか??おかしいと思う!!
東京の桜が開花宣言!靖国神社の標本木を見てきた
・安倍首相靖国参拝違憲訴訟(安倍首相忖度判決!!)
裁判官は、戦前・戦中の靖国神社の果たした役割を知っているのか?
「安倍総理大臣が参拝後に出した談話を素直に読めば、恒久平和への誓いを立てたものと理解され、軍事的衝突の可能性が高まると理解するのは困難で、平和に暮らす権利が侵害されたという主張は認められない」
安倍首相の靖国参拝訴訟で原告敗訴




●侵略戦争!!
日中戦争全史年表

・1932年(昭和7)
1月8日  昭和天皇、関東軍の謀略を称賛する勅語を発し、満州事変は国策となる
1月28日  日本軍の謀略により第1次上海事変始まる
1月    米、スチムソン宣言
2月2日  伏見宮博恭親王軍令部長に就任(33年9月軍令部総長と改称)
2月    井上準之助殺さる。総選挙、政友会大勝
3月1日  関東軍、「満州国建国」を宣言
3月11日  国際連盟臨時総会、「満州国家」不承認を決議
3月    団琢磨殺され、血盟団発覚
5月5日  第1次上海事変の停戦協定成立
5月15日  海軍青年将校ら「国家改造」を唱えて犬養毅首相を暗殺(5・15事件)
5月    斎藤内閣成立。32年テーゼ発表
7月    ナチス第1党となる
9月15日  日本が偽満州国承認させる、日満議定書調印
9月16日  日本軍による平頂山虐殺事件発生
10月    第1次武装移民団492人、佳木斯(ジャムス)に入植

重慶大爆撃パネル展 2017年10月

「重慶大爆撃」を描く!!「日本は恥じるべき加害国」

中国侵略にまっしぐら!!
無差別爆撃、空襲はこうして始まった!!日本軍の重慶大爆撃!!
空襲のはじまり、日本軍の重慶大爆撃>
重慶爆撃


アメリカは、重慶大爆撃から学んで、日本の無差別空襲をした??
カーチス・ルメイは1964年12月7日、日本に返還されたばかりの入間基地(旧・ジョンソン基地)で、勲一等旭日大綬章を浦茂航空幕僚長から授与された。

米軍による日本への無差別爆撃

本土空襲・全記録 2017 8 12  NHKスペシャル


重慶の人たちは、侵略日本軍と敢然と戦った!!


昭和天皇が戦争狂になった訳


・安倍晋三の祖父は岸信介
岸信介という人
以下「日本の右傾化・ファシズム化に危惧するブログ」より

岸信介の最初の実績の満州国で実業部総務司長に就任して訪満し、満州国の事実上の責任者として5ヵ年計画の中心者でした。
国家全体主義に燃え、あらゆる悪事を振舞うことになります。
岸信介は大日本帝国の侵略に果たした役割においては非常に優秀だったといえるかもしれません。
岸信介は満州国の現地の中国人らの生き血やアヘンで稼いだ資金をバックに、東條内閣の商工大臣として戦時統制経済を推進していきました。
岸信介は、東條内閣でも中国に深く関わっていくことにあります。戦時中の労働力不足として、中国人の労働力をも使おうとします。
そのために出されたのが、1942年11月27日、東條内閣による「華人労務者内地移入に関する件」の閣議決定でした。
このときの商工大臣は岸信介であり、「華人労務者」強制連行・強制労働政策遂行の最高責任者でした。
戦犯を逃れて、戦後首相に上り詰めた岸信介はそのことを追及されたのだが、責任者であったにも関わらず、白を切り続けました。

強制連行の決定

満州事変は日本が麻薬商売でぼろ儲けする為に行なった極悪非道な侵略


●2017年「戦争の加害」のパネル展:2月21日~28日 (於)かながわ県民センター


感想
・普段目にすることのできない貴重な資料で勉強になりました。ありがとうございました。60代男性


●731の実態
1945年8月9日、日本の上空に再びキノコ雲が現れた。同じ日、ソ連軍が3つの方面から中国の東北部へ突入した。そこに駐在していた日本関東軍に対して、徹底的な打撃を始めた。この日の早朝、1か月前から731部隊に移動したばかりの溝淵俊美が留守番警備班班長に任命された。「8月9日のね、午後1時過ぎではなかったかと思いますが、部隊の破壊作戦の総指揮をとったのが総務部長の大田大佐という人がとったんですが、この方が731部隊のいわゆるハルビン本部の活動は停止すると・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・


731(5)



第4回 日本軍による人体実験

闇に消された虐殺~731部隊


731部隊のドキュメンタリー



・中国には、細菌戦の影響と思われる、原因不明の病気に悩んでいる人々が今も数多くいる!!

悪魔の飽食:復号731




●本の紹介


●特移扱(とくいあつかい)資料
李厚彬特移扱の写真




●今、731を問う!!
日本の平和団体(中国の養父母を訪ねる)が731部隊によって実験材料にされた犠牲者を4月に慰霊した。14



謝恩と巡礼訪中報告会

謝恩訪中報告会第2部(今井先生のお話)



731部隊の展示会(中国)

特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
一 戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表


3、戦後、日本の戦争医学犯罪は裁かれなかったのか

■発足当時の学術会議における戦争医学犯罪の検証

―731部隊に属していた医師・医学者自身の特徴的な証言はあるのでしょうか。

 731部隊に属していた医師で、当時のことを自著で表している者は少数です。吉村寿人元731部隊技師(京大医学部卒、戦後京都府立医大学長などを務める)は「私が属していた部隊に戦犯事項があったことが最近、森村誠一氏の『悪魔の飽食』に記載され、それがべストセラーになった為に国内の批判を浴びる様になった。<中略>個人の自由意志でその良心に従つて軍隊内で行動が出来ると考える事自体が間違つている。<中略>個人の良心によって行動の出来る様な軍隊が何処にあるだろうか。<中略>私が戦時中に属していた部隊において戦犯行為があったからとて、直接の指揮官でもない私が何故マスコミによって責められねばならないのか、全くのお門違い」などと弁明しています(『喜寿回顧』吉村先生喜寿記念行事会、1984年)。これは、ニュルンべルク裁判では退けられた、被告の弁明「医師たちは人体実験を行わなければ生命の危険にさらされたかもしれない」 「医師たちは命令に従っただけである」と同類にほかなりません。



(月刊『前衛』より)

旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

●731部隊本部(平房)

●731部隊遺跡を世界遺産に!!


●福沢諭吉
福沢諭吉について6


「既に国を開いて海外と文明の面で争い、国際競争の中で国家の生存を計るためには、国内の不愉快はこれをかえりみる暇はない。
たとえ、国民の間に貧富の格差が大きくなって、貧しい者は苦しみ豊かな者は楽をするという不幸があっても、それには目をつぶって忍び、富豪の大なる者をますます大ならしめて、商業上の国際競争に負けないようにすることこそ、急務である」(全集第13巻93ページ)

なんだか、この話は最近聞いたことがないか。
 そう、元首相小泉某とその経済担当大臣竹中某が行った、構造改革という奴だ。
 大企業の税を軽くし、それに加えて大会社がその時の必要に応じて人を雇ったり解雇したり出来るように、しかも、大企業がその臨時に雇った人間の保険など負担をしないで済むように、労働者派遣法を改正して大企業が安易な派遣切りが出来るような状態を作った。
 その目的は、福沢諭吉と同じ、大企業を更に大きくして日本を国際競争に勝たせようと言う物である。
 大企業と、ファンドマネージャーなどが巨利を得て、派遣社員が派遣切りをされて貧困にあえいでも、それは国際競争の役に立つから目をつぶる。
 福沢諭吉は実に日本の社会の先覚者である。




●戦争に反対した人々 

小林 多喜二(こばやし たきじ、1903年(明治36年)12月1日- 1933年(昭和8年)2月20日)は、日本のプロレタリア文学の代表的な作家、小説家である。

人物
多喜二は明るい性格で、とても話し好きな人物であった。母思いで地下に潜入後も原稿料は母親に送り、死の間際にも「母親にだけは知らせてくれ」と懇願した[13]。

志賀直哉の作品で文学を学んだ。小樽高等商業学校時代から、北海道で育った自分が日本文学を席捲すると怪気炎をあげる手紙をたびたび送りつけ、直哉に名前を覚えられていた。獄中からも直哉に手紙を出している。1931年 (昭和6年)1月、直哉は随想『リズム』(読売新聞、1/13 - 14付)で、プロレタリア運動と小説に熱心なある男は「日本のプロレタリア作品を読むより西鶴を読んだ方が何百倍も仕事に対する意思を強く感ずるかも知れない」と書く[注釈 7]。6月、新進作家として注目されはじめた多喜二は、自分の作品に対する忌憚ない意見を聞かせてほしいと自著『蟹工船』と手紙を送り、直哉はプロレタリア運動意識が作品として不純になると返信している。その5か月後の11月はじめ、多喜二は奈良の上高畑の志賀家を訪れる。この時の多喜二は自分の思想を押し付けることもなくおとなしい様子で、昔の手紙の話をされると赤面していたという。直哉の息子・直吉と3人であやめ池の遊園地に遊びに行き、一晩泊まって帰っていった[15]。多喜二が拷問死した時、直哉は多喜二の実母に「不自然なる御死去の様子を考えアンタンたる気持ちになりました」と、香典と弔文を贈り、日記に「小林多喜二(余の誕生日)に捕らへられ死す、警察官に殺されたるらし、不図彼らの意図ものになるべしとふ気がする」と記している。


今の天皇は現王朝が出来てから四代目(孝明天皇で前王朝は終了し、明治天皇から新王朝が始まっている)

●昭和天皇と731部隊(細菌戦、毒ガス戦、核開発)
天皇の権限は絶大であった!!
日本政府は、証拠(井本日誌、731返還史料、防疫研究報告Ⅰ部等)をことごとく隠蔽し、731部隊での人体実験、また中国各地で行った細菌戦を闇に葬っている!!それだけではない、毒ガスのデータ、原爆開発のデータもアメリカに引き渡し、戦後はアメリカと共同で、極秘裏にCBR兵器の開発を進めている。国民にはその事実を隠蔽し続けている!!核兵器開発の為、原発を手放せないのではないか!!原発と自衛隊との関係はどうなっているのだろうか?〔C(化学兵器=毒ガス)、B(生物兵器)、R(放射能兵器)〕

・昭和天皇の戦争責任は?
「日米戦争への道」を進めた主たる要因と責任は、日本の軍部・政府の戦争指導体制が無責任なものであったことと、国民の側にそれを阻止し、チェックする能力が無かったことである。日本の戦争指導体制は、政府と軍中央が対立、軍中央も陸軍と海軍に対立、(特に陸軍において)軍中央と現地軍との対立・齟齬、さらに陸軍中央でも参謀本部と陸軍省、海軍中央でも軍令部と海軍省の対立・亀裂等々、枚挙にいとまがないほど分散、対立し、総体として無責任な体制にあった。名目上は天皇が国政の主権者であり、最高の統帥権者あったために、天皇に代わって軍政を統一して、総合的に戦争を指導する責任者と責任機関が無かった。それだけでなく、戦争政策については、軍部の拡大派や現地軍が政府や軍中央の統制を無視して戦線を拡大し、占領政策を強化しても、天皇はそれを追認し、むしろ激励する役割を繰り返しはたしてきたのである。その意味では、日本の無責任な戦争指導体制を支え、補完していたのが昭和天皇であった。
(『日中全面戦争と海軍』(笠原十九司著:青木書店)


・『昭和天皇』(上)(ハーバード・ビックス著:講談社学術文庫)より

第2部    仁愛の政治

1922(大正11)年―1930(昭和5)年


第4章摂政時代と大正デモクラシーの危機



皇太子が軍縮と平和の持続というワシントン会議の理想主義的目的を受け入れたのは、牧野、珍田、そして間接的に西園寺の政治的影響の反映だった。彼らは幣原とともに、戦後体制を構築し、皇室を西洋諸国に協調させるのに努力した。しかし彼らは、皇太子に戦後の「平和原則」を、あるいは平和と国際協調それ自体が目標であるという考えを、無制限に支持するよう勧めたわけではない。言い換えればワシントン条約体制への宮廷の支持は、国際主義と対英米協調から得られる経済的利益への暗黙の配慮に基づくものだった。


※天皇の神聖性や国家無答責は、おかしな思想ではないか!!

※裕仁は、自ら細菌戦に強い関心があったのではないか??宮内庁は資料を公開せよ!!


戦争の記憶は消えない!!
英仏では昭和天皇がトップだった。

※大元帥昭和天皇は、好戦的であり、戦争の作戦に深くかかわった!!決して平和を願い、側近や輔弼の言いなりの天皇ではなかった!!その責任は重い!!


日本の史料が公開されれば細菌戦の全貌が解明される!!
「日本軍の細菌戦による被害者は9085人」、中国の研究チームが発表―中国メディア

井本日誌(井本日誌は業務日誌であって、私文書ではないはずだが。)も最初公開していたが、いろいろと報道されると、私文書だとか、御遺族の意思だとかを口実に、今は厳重に保管し非公開にしている。史実を明らかにしようとする意思は国には全くなく、隠蔽に走っている。731部隊の人体実験・細菌戦に関しては、政府は“知らぬ、存ぜぬ”を繰り返すばかり。(一部の教科書には載っている)

※井本熊男
・1935年(昭和10年)12月:大本営参謀本部作戦課に配属され、以降、一貫して、細菌戦に関して731部隊等の細菌戦部隊と陸軍中央側で連絡をとる担当となる
・1939年(昭和14年):支那派遣軍総参謀(作戦主任参謀)





寧波(ニンポー)細菌戦




麗水細菌





日本軍の毒ガス戦・細菌戦!!

・日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか?
医の倫理は、向上すると思う!!


中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!!


夏草をふみしめ遺跡の前に跪(ひざまず)く
オバケ煙突の下、不気味に笑う悪魔の目鼻
ここで焼却されたマルタは虚空に消えた
その無念の粒子を今なお人々は呼吸する
この空間には癒されぬ死の怨霊がくすぶり続ける
だが誰もそのことを声高に語ろうとしない


日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア


混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)



『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳


■「疫病に対する戦い」

ヴィルヘルム・ハーゲン
占領地総督府で開かれた医師会議に社会衛生学者のヴィルヘルム・ハーゲン(1893-1982)の参加した。彼は1933年に「政治的に信頼がおけない」としてフランクフルトの公的な衛生業務から排除されたが、その後アウクスブルグで開業医として働き、1941年にワルシャワ市の医師に招聘された。衛生問題に関する限り、彼はワルシャワ・ゲットーの医学的治療を無視したことに責任があった。この問題について、ワルシャワユダヤ人会議の議長であったアダム・チェルニアコワはこう記している。「アーリア人の側にチフスが蔓延した。ハーゲンらは、チフスはゲットーから伝染していると主張し、ゲットーの住民に風呂に入れと要求している。しかしわたしの考えでは、チフスは貧窮と栄養失調から蔓延しているのだ。」ハーゲンはこの論拠を重要視したが、同時に、ユダヤ人が発疹チフスの主たる媒介者であるという考えを捨てなかった。これは「医学統計の問題であり、政治とは関係ない」と彼は1973年になっても書いている。
 1943年に彼は免職になった。ヒトラーに宛ててこれはこう書いた。「発疹チフスに関するある会議で、7万人の老人や子どもを、ユダヤ人と同じように扱えと要求されています。つまり、彼らを殺害せよというのです。」この要求にハーゲンは次のような理由から反対だというのであった。「外国人労働者の中では民族的にポーランド人がわたしたちに最も近い存在であると思われます。ポーランドの住民は、わたしたちが長い間にはわたしたち自身の力では抗しきれない南東ヨーロッパの民族に比べれば、はるかに危険の度合いが少ない人々です。」ハーゲンは、戦後、彼の保健政治的知識のための新しい活動領域を見つけた。
 先ず彼は本省勤めの官僚になり、ついで1956年から1958年までは連邦保健局の局長を勤めた。


強制不妊手術 都が1000超の医療機関を独自調査

旧優生保護法で強制不妊手術「人生を返して」

強制的に「不妊手術」させられたーー60代女性が訴える「旧優生保護法」の問題とは?




















0 件のコメント:

フォロワー

ブログ アーカイブ

自己紹介

新しい自分を発見中