2016年3月28日月曜日

国家犯罪!731から辺野古まで!!



※Internet Explorer よりグーグルクローム(Google Chrome)で見るとスムーズに画面が動きます。

●731部隊(1)
●731部隊(2)
●731部隊(3)
●731部隊(4)
●陸軍軍医学校50周年記念行事について
●南京大虐殺
●昭和天皇
●教科書問題
●陸軍登戸研究所
●日航123便の怪
●日本とドイツの違い
●原発・水俣病にみる学会の原因隠蔽の構図!!
●あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか?
●731部隊展

●731問題
・放射能の被害が深刻化しているのに、なぜ日本の医学界は“脱原発”と叫ばない??
科学者は、やはり新兵器に夢を託すのか??
731の秘密を隠すために、放射能の被害については、何も言えない??
「心証を良くする為にとは、何のために心証をよくするんですか?」
「731のことなんかもあるでしょうね」
※ヒロシマ・ナガサキの被爆者たちの治療よりも原爆の調査が優先された。
国体護持のために。
なぜ、日本は原爆投下直後、調査をやったのか?

放射能の危険性

アメリカの圧力があるのか?
水俣病の被害が拡大した時も、医学界の権威者が、一時、チッソ水俣工場の有機水銀説を否定した。
歴史は繰り返す?
福島の癌→子供の甲状腺がん増加地図をチェルノブイリと比較する

水俣病


原因が工場排水中の水銀らしいと見当がついた1959年夏以降は、熊本大学医学部の研究班は企業や通産省、御用学者の集中砲火を浴びることになる。

731部隊の設置許可、人体実験、毒ガス戦・細菌戦実施の許可した昭和天皇とそれに協力せざるを得なかった日本医学界の責任、戦後、その人体実験、毒ガス戦・細菌戦を全く裁判にかけなかったマッカーサーとアメリカ政府の責任、1990年代から2000年代にかけて行われた裁判において、事実を認めながら、それを放置している司法の責任、全く無視している政治の責任、731に対する国民の認識は?
戦後70周年、中国の人々から日本の我々に届いた重いメッセージ!
虐殺された人々(日本人を含む)の声なき声にどう応えるか?
日本人はこの731問題にどう向き合うか?重い課題!!
日本には本当に三権分立があるのかが問われている!!

731 (2)


・731部隊は我が大日本帝国最大の機密であり、今後はこの機密保持がどこまでなされるかが最大の問題である???
黒い太陽№15


※「機密」とは、秘密の保全が最高度に必要であって、その漏えいが国の安全又は利益に重大な損害を与えるおそれのあるものをいう。
戦前の刑法には、「敵国ノ為メニ間諜ヲ為シ、又ハ敵国ノ間諜ヲ幇助シタル者ハ死刑又ハ無期若クハ5年以上ノ懲役二処ス 軍事上ノ機密フ敵国二漏泄シタル者亦同シ」(第85条)という規定があった。


朝枝繁春の証言


●横浜「戦争と加害」のパネル展



細菌戦(「戦争と加害」のパネル展in横浜)

毒ガス(「戦争と加害」のパネル展in横浜


参観者の感想
・日本軍慰安婦の問題を日本政府はお金で終わらせようとしている。許せない。60代男性


「戦争の加害」テーマに 13日まで横浜でパネル展



●全世界!!脱原発!!核兵器廃絶!!政府の唱える非核3原則は嘘っぱち!!
憲法に優先する安保条約であるなら、アメリカと合同で極秘に核兵器開発を進めることも不可能では無いのではないか。
政府は、以前に北朝鮮からの核攻撃で原発が破壊された時の状況を想定している。資料はまとめられたが公開はされなかった。一旦、戦争が始まれば、原発施設は狙われ、破壊されたら、放射能汚染が広がり、逃げ場所も非常事態ということでなくなるだろう。憲法9条は無視され、現実が歯止めを外し、核兵器の使用も可能になるのだろうか。自衛のための戦争と称し、今迄平和利用されてきたロケットは軍事転用され、ミサイル、大陸間弾道弾に転用されるのだろうか?徴兵制も現実味を帯びてくる。地球にますます人類が住めなくなる。
20150502 R/F #121「小出裕章ジャーナル」【原発攻撃被害報告書が明るみに】


2011年3月11日 車が流される 人が飲まれる 津波


(以下「高知新聞」より)
要約すれば、憲法は理論上は全ての核兵器の使用を禁じていない。だが、「現実」がその歯止めになると読み取れる。
現実が憲法を超えるとするなら、政府が守ると言っている憲法の平和主義も、核兵器を「持たず」「つくらず」「持ち込ませず」の「非核三原則」の国是も一気に空洞化する。
法的な歯止めではない現実は、刻々と変わる。時の政権の判断によって、核兵器の使用が可能になる余地が残る。
国会の場で、日本の核兵器使用が現実味を持って公然と語られる現状にも驚きを禁じ得ない。

【法制局長官答弁】核使用まで容認とは驚く
横畠内閣法制局長官、核使用「憲法で禁止されず」と話す


この人は核兵器と通常兵器を全く区別していない!!
「核兵器の使用」横畠裕介・内閣法制局長官の答弁記録3 18参院・予算委員会


日本も地下核実験をやっているのか?(アメリカと合同で)
人工地震津波兵器は国際政治軍事上の常識!浜田復興担当政務官


地震学者の「今までやってきた研究が全て無駄だった」という発言は、本当に東日本大震災の原因は何だったのかを考えさせられる!!!
いまだ福島原発事故の解明はされていないのになぜ原発再稼動!!なぜ原発輸出!!
明らかに、全く戦争の反省がない日本は本気で核兵器の保有を考えている!!
3 11人工地震の証明~日本人が知らねばならない真実~



地震発生(1944年12月7日)の翌日8日の新聞のトップは昭和天皇の写真。(開戦記念日)
地震の詳細は掲載されない!!被害は隠す!!
東南海地震:「地震の次は何をお見舞いしましょうか」とB29がビラ



元NHK五十嵐さんが命をかけ伝えたかった人工地震の真実

自衛隊技術者15人は311テロ計画を知らないで爆弾製造に携わっていたようです

あの戦争で日本軍のしていたことを全く反省していない日本。
だから、戦後も、自衛隊を中心に『防護の為』と称して、核兵器の開発、毒ガスの製造、生物兵器の開発が行われているだろう!!
毒ガスの製造は確認でした!!生物兵器は勿論核兵器もか??
そして、戦争になって初めて、自国がどんな兵器を持っているか気付かされるのでないか?

<小出裕章さんに聞く>日本のメーカーはなぜ原発にこだわり続けるのか

福島の子どもの甲状腺がんで「家族の会」結成

米専門家 日本でプルトニウム増え続ける現状に懸念

東電から東京ガスへ電気契約客が雪崩的大移動…ガスとセットで割安、客の東電離れ加速

小出裕章先生:多くの国民にこんなことが起きてるということに気づいてほしい


小出裕章先生:多くの国民にこんなことが起きてるということに気づいてほしい

小出裕章先生:一刻も早く原子力の夢からさめて…



●憲法9条

彼らは本気だ。安倍晋三首相は、夏の参院選で改憲勢力による「3分の2」の議席を目指すという。
彼らと真逆の憲法は作れないか?
・憲法9条を守る!!・外交を強化する・自衛隊は災害救助隊に
・象徴天皇制を廃止して、大統領制にする
・脱原発 ・靖国神社を廃止して、戦争懺悔慰霊碑の建立
・日米安保条約見直し・国連改革



・憲法9条(侵略戦争の反省から憲法9条が生まれた!)
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


想像してごらん、
世界から戦争のなくなった
平和な世界を。

Imagine,
A peaceful world without war.

想像,
一个和平的世界没有战争。

Представить,
Спокойный мир без войны.



IMAGINE9 (『イマジン9 想像してごらん、戦争のない世界を。』(文:星川淳・川崎哲、絵:成瀬政博 2007年12月1日発行、合同出版)
解説
9条をつかって、
戦争のない世界をつくる。
「戦争をしない、 軍隊をもたない」 という日本国憲法9条がどうしてできたのか知つていますか。それは、日本が行った戦争への反省から生まれたのです。
日本はかつて、朝鮮半島や台湾を植民地として支配し、中国や東南アジアの国々を侵略しました。日本はアジア太平洋地域で2000万人の命を奪いました。 日本国内では広島と長崎に原子爆弾が落とされ、沖縄では大規模な地上戦が行われ、東京など大都市は空襲を受けました。日本で300万人が戦争で亡くなったのです。
第2次世界大戦は、1945年に日本の「敗戦」で終わりました。その直後に、日本の平和憲法は生まれました。日本、アジアそして世界の人びとに対する「2度と戦争をしません」という誓いとして憲法9条は誕生したのです。
同時にこの憲法は、民主主義の憲法でもありました。それは国民の権利を定め、また「世界中の人びとが平和のうちに生きる権利をもつ」とうたいました。
中米の国・コスタリカも平和憲法をもつています。コスタリカは1949年、軍隊を廃止しました。軍隊の廃上によって、国は教育や医療などにお金を使うことができるようになりました。また、軍隊がないコスタリカに攻め入ろうと考える国はありません。
ところが2003年に、アメリカがイラクに対する戦争を始めると、コスタリカ政府はこれを「支持する」と表明しました。これに怒った大学生ロベルト・サモラさんは、裁判所に政府を訴えました。「イラクヘの戦争を支持するなんて、平和憲法への違反だ !」
裁判所はロベルトさんの訴えを認めました。そしてコスタリカ政府は、イラク戦争への支持を取り下げました。ロベルトさんは日本に来て言いました。
「憲法は単に守ればよいものではありません。平和憲法は人びとのもの。人びとが使うためにあるのです」

ほかにも世界の多くの国が平和憲法をもっています。イタリアや韓国の憲法は侵略戦争をしないと定めています。フィリピンは核兵器をもたないという憲法をもっています。スイス、オーストリア、アイルランドなどの国々は、憲法で、軍事対立のどちら側にも味方しないという中立をうたってぃます。
こうした平和憲法を私たちが活用し、世界にゆきわたらせていけば、戦争を起こさない世界をつくることができます。「イマジン9」は、そのような世界のつくり方を、9通りにわたって、みなさんと考えたいと思います。


防衛相 豪外相に潜水艦開発でアピール
ぐんじ と ひんこん アベちゃんのもくろみ…(´ε`;)
武器輸出三原則
今の現状防衛装備移転三原則

●ご案内





●ニュース
防衛省は、自分でところで研究した文書(勿論国民の血税で作られた文書)を、いとも簡単に廃棄しているというのは本当なのか?国民には軍事上の機密として、全てが伏せられているのではないか??
この下記の審査会の答申には全く納得がいかない!!年々、着実に日本は毒ガス研究を深めている!!

情報公開・個人情報保護審査会の答申
審査会の結論
「『化学学校記事』1号ないし最新号」につき、これを保有してしていないとして不開示として決定は、妥当である。

中国の制裁同調は敵対行為=党文書で闘争指示―北朝鮮

日韓合意、元慰安婦らが「憲法違反」だとする訴え

中谷防衛相、普天間固定を示唆 停止「辺野古移設が前提」

北朝鮮の5度目核実験「今すぐ起こりうる」 韓国統一省

翁長氏、防衛相との会談で改めて反対姿勢鮮明に

トランプ氏の「在日米軍撤退」発言、政府が懸念

日本はすでに核兵器をもっているのではないか?
トランプ氏、日本の核保有容認を示唆 在日米軍撤退論も

米大統領、核安保サミットで「イスラム国」対策話し合う考え示す

群馬大手術死、43人の報告せず 外科学会調査

「戦争できる国はダメ」「再稼働は絶対許せない」 安保法反対集会、脱原発も




●昭和天皇と731部隊
中国では、現在、細菌戦の調査が着々と進められている。日本政府は反対に細菌戦に対し、全く無視し、過去を消し去ろうとしている。



義烏市崇山村


崇山村 被害者の話




東京初空襲・浙かん作戦

淅贛(せっかん)作戦


1942(昭和17年)浙贛作戦における細菌戦
1942(昭和17)年4月18日、日本近海のアメリカ空母から飛び立ったB25爆撃機は、浙江省衢州の飛行場を着陸基地として、東京・名古屋を初空襲した。これに驚いた陸軍中央は、浙江省の前線の飛行場を徹底的に破壊することを決定した。これが「大陸命(大本営陸軍部作戦命令)612号」による「浙贛(せっかん)作戦」である。大本営作戦参謀井本熊男大佐の日記によれば、5月30日には細菌戦実施を指示する「大陸指(大本営陸軍部作戦司令)」が、参謀本部第一部長田中新一少将から、石井四郎少将、増田美保少佐らの実戦指揮者に伝達されている。7月26日には贛州(かんじょう)、建甌(じぇんおう)で飛行機から細菌の撒布が実行されたことが記されている。
地上撒布は、日本軍に被害が出ないように、侵攻した日本軍が反転し、撤退した8月19日以降に実施された。「井本日記」8月28日には、井本大佐が支那派遣軍参謀の長尾大佐から、「ホ実施現況」として細菌戦の実施状況の報告を受けている。これは細菌撒布の地上戦に関する報告で、広信、広豊、玉山にはペスト菌、江山、常山に対してはコレラ菌を、衢県、麗水には腸チフス菌、パラチフス菌を撒布したと記されている。
※井本日誌には浙贛作戦の仔細な情報が記されていた。
『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著:草の根出版:2002年発行



(細菌戦)
昭和天皇はまた、1940年中国で最初の細菌兵器の実験的な使用を許可した。現存する文書史料で、昭和天皇を細菌兵器と直接、結びつけるものはない。しかし、科学者の側面を持ち几帳面で、よく分からないことには質問し事前に吟味することなく御璽(ぎょじ)を押すことは拒絶する性格から見て昭和天皇は、おそらく自らが裁可した命令の意味を理解していただろう。細菌戦を担当した関東軍731部隊に参謀総長が発令した大本営の指令の詳細は、原則として天皇も見ていた。そして、このような指令、すなわち「大陸指」の根拠となった「大陸命」に天皇は常に目を通していた。中国での細菌兵器の使用は1942年まで続いたが、日本がこの細菌戦化学戦に依存したことは、第2次世界大戦が終了すると、アメリカにとって、にわかに重大な意味を持つこととなった。まず、トルーマン政権は大規模な細菌戦・化学戦の計画に予算を支出したが、それは日本の細菌・化学研究の発見と技術に基づいていた。次いで、それはベトナム戦争でアメリカが大量の化学兵器を使用することへとつながった。 ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より


・「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

第2部
恐るべき遠足


死体を解剖して、肺臓、脾臓など各部分からそれぞれ検査用塗抹標本を作る手伝いをさせられたのだったが、与えられた仕事を理解しようとする心のゆとりもなく、ただ反射的に手を動かしていた。周囲の壁を通して悲痛なうめきが聞こえ、金網の外には、取り出した臓腑をかぎつけた蠅どもがうなっている。
わずか1時間足らずの時間だったろうが、私は体も神経も蒸されたようにふらふらとなって部隊に帰った。
部落は一週間ほどたって全部焼き払われた。中には生き残った者もあったろうが、極秘の実験であるから、実験後には一人残らず殺されたのだそうである。



「細菌戦裁判」の第1審の東京地裁で事実認定された日本軍の細菌戦







細菌戦部隊731


闇に消えた虐殺~731部隊・細菌戦の真実(テレビ朝日「ザ・スクープ」、1997年8月放送)


常徳細菌戦




●日本や中国各地に毒ガスが遺棄されている!!生活に支障をきたさないのか?
相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
北宏一朗






自衛隊は防護のためと称して昭和20年代後半から毒ガスの研究をし、1964年にはサリンを合成し、VXガス、タブンも作った。最新の無能力化ガスBZは1973年に成功している。1970年日本政府ジュネーブ議定書締約、1993年化学兵器禁止条約日本署名、1994年6月松本サリン事件、1995年3月地下鉄サリン事件発生、自衛隊とオウムの関係は?
2013年度の「核・生物・化学兵器対処関連事業」費71億8200万円。何に使っているのだろうか?

死者13人、約6300人の被害者を出した地下鉄サリン事件(1995年3月20日発生)

1950年代に、自衛隊は秘密裡にアメリカ側のデータを下に毒ガス製造をはじめ、1964年(東京オリンピックの年)にサリンの製造に成功している。オウム真理教の土屋正美(事件発生当時30歳)だけの知識で果たしてサリンが製造できたのか?自衛隊のデータが漏れていなかったのか?それとも、自衛隊も事件に関わっていたのか??
「地下鉄サリン事件」ザ!世界仰天ニュース


・自衛隊では、サリン合成に成功したのは東京オリンピック(1964年)の年だった。
・1973年、自衛隊は、当時最新の毒ガスBZガスの合成に成功。

週間金曜日 2013年5月31日号
自衛隊とサリン 第3回
自衛隊は政府自民党をも欺いたのか?
1969年当時、「この種の兵器使用の可能性をなくすため、進んで開発及び製造を禁止し、すでに貯蔵されているものをも破棄しなければならない」と国会答弁した佐藤栄作首相。(70年2月、国会での施政方針演説。)
・1950年代には米軍から毒ガス譲渡、60年代にはサリン製造。
・日本政府は再三にわたり毒ガス製造を否定!!
・毒ガスは「持たず、作らす、持ち込ませず」1970年代当時の日本政府の見解、全くの嘘だった!!
1970年当時の日本政府の見解
毒ガスは「持たず、作らず、持ち込ませず」

そもそも日本政府は毒ガスについてどのような見解を示してきたのか。
いわゆる毒ガスについて日本の国会で論戦に上がったのは大きく分けて次のような事件・事故、条約批准に絡んだ時期だ。
①沖縄の米軍・知花弾薬庫での毒ガス漏洩事故(1969年7月発生)及び毒ガス使用禁止を定めたジュネーブ議定書の批准(70年5月)。
②旧日本軍の毒ガス弾等全国調査(73年開始、2003年に結果発表)。
③地下鉄サリン事件(95年3月)及び化学兵器禁止条約の批准(同年9月)。
④中国での旧日本軍化学兵器遺棄問題(2000年から処理作業開始)や日本各地での旧軍の毒ガス弾など発見。
このうち、①の時期に絞って、毒ガスをめぐる日本政府の発言内容を紹介する。連載2回目(5月24日号)で山里洋介・元陸上幕僚監部化学室長が「サリンの合成に成功した」と証言した1964年の5、6年後だ。
まず、沖縄での毒ガス事故直後の1969年7月24日、第61回国会衆院本会議での佐藤栄作総理大臣(当時)の答弁を抜粋する。
〈政府の基本的な態度は、去る7月3日、ジュネーブの軍縮委員会における朝海代表の発言でおわかりの通り、この種の兵器使用の可能性をなくすため、進んでその開発及び製造を禁止し、既に貯蔵されているものをも破棄しなければならないとするものであります〉。
また、翌70年の第63回国会で愛知揆一外務大臣(当時)も、ジュネーブ議定書批准(同年5月承認)に向けて日本政府の姿勢について、次のように答弁した。
〈日本政府の従来からの主張は、なるべく範囲を広くし、かつ、使用だけではなくて、製造あるいは貯蔵においてもこれを禁止するのが理想であるという主張をいたしておるわけでございます〉=衆議院予算委員会、70年2月26日。
こうした一連の発言が毒ガスは「持たず、作らず、持ち込ませず」という非核三原則と同様の日本政府の見解となってきた。

第63回国会では、興味深いやりとりがある。衆議院予算委員会での楢崎弥之助議員と中曽根康弘防衛庁長官(いずれも当時)との質疑応答の中で、「サリン」が登場するのである。要旨を抜粋し、紹介しよう。
楢崎:現在、自衛隊はBC(生物、化学)兵器関係の催涙剤も含めて、どういう種類のものをお持ちか。
中曽根:自衛隊が持っているのは催涙性のガスで、これは治安の場合に使うという程度のものであります。
楢崎:これ以外に置いてあるものはありませんか。
中曽根:それ以外にはありません。
楢崎:昨年、沖縄の米軍基地で問題になった、例のGBサリン、これを持っておるでしょう。
中曽根:政府答弁書にも書いてありますが、Gガスは持っておりません。(その後、実験用、研究用ではどうかなどと追及されると「浜田政府委員」が答弁に立ち・・・・)
浜田政府委員:実は、水の溶けました農薬あるいはそれに類するもの、それに対する浄水装置の試験でございまして、サリンを使ったものではございません。残念ながら、サリンそのものは作り出すことは現在の段階では出来ないのでありまして・・・・。
などと答えている。
「Gガス」とはジャーマンガス(ドイツのガス)のことで、「GB」とは米軍によるサリンのコードネームである(連載2回目参照)。
山里・元陸上幕僚監部化学室長の証言どおり、陸上自衛隊化学学校でサリンの合成に成功したのが1964年とすれば、ここに紹介した国会での政府側答弁はすべて実態を隠蔽した虚偽発言ということになる。かりに政府が自衛隊によるサリン製造の事実を知らなかったとすれば、シビリアンコントロール(文民統制)を無視した自衛隊の暴走ということにならないか。  

※サリンなどの毒ガス製造が「防護目的」であれば、つまり兵器として使用しなければその製造が許されるとしたら、同じ理屈で核兵器や生物兵器の「防護研究」も可能ということになる。

それとも、自民党も毒ガスの製造、貯蔵のことを知っていたが、嘘を言って国民をだましているのか?
戦争前は「防護目的」、戦争になったら大量生産?毒ガス兵器、生物兵器、核兵器!!






機密ばかりが多いと、国民はいつもだまされる?
・非核3原則も嘘だった!!
佐藤栄作の遺族は早く故人のノーベル平和賞を返上しろよ
本来、アメリカが出すべきお金を、日本政府が肩代わりして出していた現実!!
こんな問題もあった!!沖縄密約
沖縄毒ガス

日本軍の毒ガス被害

昭和天皇の“沖縄メッセージ”





●防衛省、外務省は積極的に国民に情報開示し、戦争を防止する義務がある!!


毒ガスを製造しているんだから、勿論、今も、生物兵器、核兵器の製造もやっているのでしょう。


2016年3月9日、東京都世田谷区にある三宿駐屯地の自衛隊衛生学校の彰古館(しょうこかん)に元衛生学校校長の金原節三氏の寄贈した『金原文書』を探しに行ってきた。私は前回1月に行ったので2回目である。戦前、戦中731部隊で生物兵器を開発し、実戦に使用しているので、戦後の自衛隊ではどうなっているのかを調べるためである。『衛生学校記事』の第1号には生物戦に関する翻訳記事が実際に載っている。
なぜ、『金原文書』を探すのかといえば、その中に、731部隊関連資料で私たちが公開を求めている『衛生学校記事』(「金原寄贈目録」には延べ冊数88冊)が含まれているからである。
『衛生学校記事』は、最初、「情報公開法」に基づき、開示請求したが、防衛大臣が、「保有していない」ことを理由に、不開示にした。こんなことが世間であるだろうか?
『衛生学校記事』を発行しているのは、自衛隊の衛生学校である。なぜ発行元が1冊も保有していない?おかしくないですか。
それで、公開されないもんだから、なんと裁判にまで、訴えて、公開を求めているのである。
1昨年(2014年)、裁判の途中で被告の防衛省側から「『衛生学校記事』の一部(28冊)が見つかりました。発見された文書には731の記述はありませんでした。」という回答が口頭であった。だが、見つかった場所は、発行元ではない「防衛医科大学の図書室」からである。これも色々考えると、さもありなんなんか?医科大学で生物兵器の研究?731 の記述はないが生物戦の記述はどうだったのか?文書での回答はない。
前回、1月に行って調べた時にも、「金原寄贈目録」2028点のうち防衛省は641は彰古館にあると回答していたが、我々が調べるとその他にも16点見つかった。そして昨日行ったらまた、何点か見つかった。資料の管理はどうなっているのだろうか?
そもそも、自衛隊の衛生学校の元校長が寄贈したものを、衛生学校が一部を廃棄するとは考えられない。国民の税金で、運営されている機関であれば、そんなことは絶対あってはならない。縦社会の厳しい自衛隊で、元校長が寄贈した物を簡単に廃棄するとは考えられない!!
ましてや、外務省や防衛省などは、色々な情報を国民に積極的に開示しなければならない機関だと思う。戦争を防ぐためにも。
※金原節三は戦時中、1941年当時陸軍省医事課長として731部隊細菌戦に深く関与していた軍医大佐であり、戦後自衛隊衛生学校の校長にもなった。
※『衛生学校記事』は1957(昭和32)年7月~1959(昭和34)年まで月刊で18号出版され、その後、1961(昭和36)~1967(昭和42)年までは季刊本で24冊、出版された。
その後は、誌名を『ふかみどり』に変更し、1971(昭和46)年からは、衛生学校にきちんと保管されている。しかし、『ふかみどり』の1~15巻は、無い。「30年保存なので、満期になったものから徐々に廃棄しました」という回答。何で廃棄する?
※衛生学校に行ったら、教範(自衛隊の教科書)は情報公開請求しないと見せてくれないと言う。何で自国民に見せてくれないのだろうか。「武器の性能などがばれると、まずい」と言う。自衛隊は、サリン等の毒ガスを作っておきながら、それも伏せていた。影で、化学兵器、生物兵器、核兵器開発の「防護」のためと言って、何をやっているのか、国民は全く知らされていない!!
いや、シビリアンコントロールするはずの政府でさえ、自衛隊が何をしているのか、詳しくは知らないのではないか?
※『化学学校記事』の公開も求めているが、防衛省からのいまだに回答がない。疑問が膨らむばかりである。

※2016年3月18日、「衛生戦史資料の体系化」という論文の不開示決定の取消しを求める異議申し立てについて、情報公開・個人情報保護審査会から答申があったという。
審査の結果は以下の通り。
第1 審査会の結論
「『衛生学校30年のあゆみ』衛生学校30年のあゆみ編さん委員会編(1982年10月)第4編の資料中の『研究の実績』の昭和55年度(265頁)の『衛生戦史資料の体系化』と題する論文」(以下「本件対象文書」という。) につき、これを保有していないとして不開示とした決定は、妥当である。

思うに、審査会が独自の権限で、内部を調べられないことが残念である!!防衛省の見解をそのまま踏襲。異議を申し立てて4年かかってこの回答。審議は2回だけ??






「国家政策の中で国防機関の発言力が強化され、軍事的観点が占める比重が高まるに伴い、軍事機密は外交、治安、経済など国政のあらゆる分野をおおい尽くすにいたる。この過程に照応して国民は政治の意思決定過程から排除されていく。参政権は骨抜きにされ、知る権利と表現の自由が抑圧される。国会は国権の最低機関に転落する。これこそ軍国主義の発生と成長の一般的法則なのである。最後に来るのは戦争である。
戦争を始めるかどうかの決定に、もはや国民はまったく参加することができない。戦争準備は極秘裏に進められ、ある日突如として戦争の火蓋が切られる。国民はただ肉弾として運命を甘受する他なかったのが、かつての軍国主義日本であった。いや、政府や参謀本部の決定さえ無しに、関東軍が勝手に戦争をおっぱじめ、その「既成事実」を否応なく追認させられつつ、破壊的な侵略戦争にエスカレートしていったのであった。アメリカのベトナム戦争もまた、そうであった。」(『日本の国家機密』藤井治夫著より)

※柳条湖事件も、初めから作戦の一環で、昭和天皇も知っていた。決して軍の独走ではない。




●今の情報を公開しない姿勢は、戦前からずっと続いている!!
秘密保護法施行・・・何を政府はたくらんでいる?
防衛の名のもとに、軍事力は増強されている!!

特定秘密保護法はジャーナリズムに何をもたらすか(ラジオフォーラム#158)

ちょっと古いが、参考になる本なので紹介します。1972(昭和47)年10月9日初版藤井治夫著『日本の国家機密』より


第二章国家機密の構造

手厚く保護される米軍機密

地位協第23条後段は、「日本国政府は、その領域において合衆国の設備、備品、財産、記録及び公務上の資料の十分な安全及び保護を確保するため、並びに適用されるべき日本国の法令に基づいて犯人を罰するため、必要な立法を求め、及び必要なその他の措置を執ることに同意する」としている。これは行政協定第23条をそのまま引継いだものであり、刑特法の根拠となっている。ここにいう「必要なその他の措置」として、なにがなされているかは明らかにされていない。


※南京大虐殺があったことは国民に知らせず(これも国家機密であったのか?)、陥落を喜ぶニュース映像!
南京陥落 東京の風景


※しかし、溥儀が恐れるほど関東軍が強くないことを証明したのが、1938年の張鼓峰(ちょうこほう)事件と1939年のノモンハン事件である。いずれもソ連との国境紛争で、関東軍は惨敗した。両事件ともソ連軍の戦車・航空機・大砲・兵員が、質量とも圧倒的に勝っていた。日本軍は2度の敗戦をひた隠しに隠した。『赤い夕日と黒い大地』(竹内治一著)

※日本は、ノモンハンの敗北を封印することに腐心する。帰還した将兵には緘口(かんこう)令を敷き、戦闘に参加した将校を自決させ、作戦を立案した参謀を更迭した。





●現在の日本
日本政府・天皇家は戦争犯罪をきちんと認めないから今の日本がある。今の日本はまた、八紘一宇の世界を目指しているのではないか?
平頂山、731・南京・毒ガス・細菌戦・・・等の戦争犯罪、日本の戦争犯罪はアジア全般にわたったが、特に中国では、731部隊などの石井機関で生体実験が行われ、細菌戦も実施された。また、毒ガスを多用し、残虐な殺害もした。アメリカは、中国からの情報を得て、それらを察知し、日本に非人道的な行為を止めるよう再三警告していた。それにより、日本軍の細菌戦と毒ガス戦の頻度は減ったが、アメリカ自身の受けた被害も相当だったために、アメリカは最後に実験的に原爆の使用に踏み切ったのではないか?これら非人道的な戦争犯罪(日本軍の行った大虐殺、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃、アメリカの行った原爆投下や無差別爆撃等)が東京裁判できちんと裁かれていればもっと今の世の中は変わっていただろう。戦後十分に裁かれないで、また戦争の深い反省もなく来たものだから、旧軍関係者がそのまま自衛隊や大学・製薬会社などに滑り込み、実権を握り、戦後も軍国主義思想が根強く残り、軍隊の復活、人命・環境軽視の医療、経済がそのまま進み、9条の形骸化、水俣病をはじめとする公害が多発、医療事故などが起こっている。そして戦争や原爆への批判が不十分だから、アメリカに取り込まれ、原発推進に走り、3,11が起こっても方針を変えられない。いや、日本は生物、化学兵器や核兵器を秘かに開発・研究している。今の社会は一見華やかに見えるが、秘密保護法が施行され、ますます国家機密の名のもとに秘密主義が蔓延し、思想・信条の自由は制限され、戦中のように報道規制が強くしかれ、政治・軍事・医療・教育・食料・建築・農業・・・で様々な分野で機密がまかり通り、企業機密、軍事機密、国家機密などによって、水俣病(1956年)や薬害エイズ(1980年代)、1.17の神戸・淡路大震災(1995年)、地下鉄サリン事件(1995年)、3.11の大震災(2011年)、福島原発事故(2011年)、などの被害が大きく拡がっている。


・731部隊は天皇の勅令で巨費をかけて作られ、人体実験、細菌兵器の開発をし、実際に細菌戦を行った!!
闇に消えた虐殺~731部隊・細菌戦の真実(テレビ朝日「ザ・スクープ」、1997年8月放送)


・住民は、アメリカ兵を虐殺した!それを見逃す警察、軍隊。当時の日本の状況がよくわかる。捕虜に対する国際法は全く無視されていた!生体解剖は、軍、大学がグルになってやった?個人の意思ではない?陸軍病院、大学病院、精神病院でもいろいろな人体実験がなされていたのでは?九大、京大、東大、慶大等は戦中の資料をきちんと公開せよ!!
九州大学生体解剖事件を語る



中国の陸軍病院でも生きた人間を使った「生体手術演習」が行われていた。戦時中の日本の病院ではどうだったのだろうか?
消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」






●南京大虐殺
・証言
その日の晩に、日本軍は豊富路の衛生所(今の建○医院)で火を放ち、火の勢いが強く、付近の住民が次々に火を消しに駆けつけました。ところが何と消火の人たちが目の前まで走って来たら、ずっと前から隣の兵営(今の省委党校)に待ち伏せていた日本兵がいっぱい塀を乗り越えて来て、銃剣を水平に構えて消火の人たちを突つき、突つき殺した上で火の燃え盛る中へと突き入れました。ある者は日本兵に活きたままで火の中へ押し込められ焼き殺されました。その時の災難で、王府巷の住民で焼き殺されたのが20人以上います。後で私が衛生所の廃墟の所に行ったら、ただ一面に真っ黒こげの屍が見えるだけ、ごちゃごちゃに山と積まれていて、それはそれは酷いものでした。※○は日本の漢字に変換できない漢字(楊素玉と馬雲鵬が記録)





昭和天皇・皇族はすべてを知っていた!!

ハーバード・ピックス著『昭和天皇』(上)より

第3部 陛下の戦争(1931年~1945年)
第9章 聖戦

日本軍が将来犯すことになる戦時虐殺の土台がこの時期に築かれた。・・・・・
1929年には、枢密院が軍の要求に応えて、ジュネーブ捕虜条約(1929年調印の「捕虜の処遇に関する条約」)の批准を保留した。枢密顧問官は、天皇の兵士は捕虜になる事を許されない以上、捕虜の処遇に関する条項は寛大すぎて実行できないという。陸海軍大臣と外務大臣の主張を容れたのである。・・・p171
・・・・・・・・

(南京大虐殺)
皇族は皆、大虐殺があり、軍紀が崩壊同然にあることを知っていた。そして、この皇族には、松井大将指揮による南京攻略戦で司令官を務め、虐殺が最も激しかった時点で南京駐在の最高級将校だった、皇后良子の叔父で50歳の朝香宮、関東航空本部長で、やはり皇后良子の叔父にあたる49歳の東久邇宮、参謀総長を務める71歳の閑院宮が含まれていた。もとより、杉山陸相も知っていた。大本営の多くの中級、上級将校も知っていた。衆議院議員で予備役の江藤大将も知っていた。外務省は確実に知っていた。外務省東亜局長の石射猪太郎(いしいいたろう)はその日記に、「上海から来信、南京に於ける我軍の暴状を詳報し来る、掠奪、強姦目も当てられぬ惨状とある。嗚呼(ああ)之れが皇軍か」と嘆いている。外交官であり、老練な中国通であった重光葵(しげみつまもる)は、その後、戦時中に特命全権大使として南京に駐箚(チュウサツ)した際に「南京占領当時の罪科を償ふ為め支那に善政を布くことを極力努めた」と記している。
したがって、近衛内閣は南京での強姦や強奪を知っていたが、多くの報告を受けていた天皇は知らなかった、というのはありそうもないことである。昭和天皇は指揮命令系統の頂点にあり、たとえその指揮系統にどんな欠点があろうとも命令のまさに初期の起点に位置する天皇が、上位、中位の段階での決定を知らずにいることは容易にありえないことだった。天皇は、あらゆる日本軍の動静を詳細に追っており、外信に目を通し、毎日、新聞に目を通し、そして、そのようにして知ったことについて、しばしば側近に質問をしていた。南京奪取と占領を裁可した最高司令官として、日本の精神的な指導者―中国の「膺懲」に正当性を与えた個人―としての天皇は、公にではないにせよ、軍紀崩壊に少しは関心を持つ義務を、憲法上はもちろんとして、最低限の道義的義務として負っていた。天皇は決してそれを行ったようには見えない。p290より




※南京事件の悪評に苦慮した日本軍上層部は、杉山元陸相、梅津美治郎(よしじろう)中将、今村均(ひとし)中将らを中心に1938年3月4日、日本軍のいる所に「慰安所」の設置を決め、通達した。しかし、日本内地の娼婦だけでは到底間に合わず、ついには朝鮮半島の若い女性たちが生贄(いけにえ)にされた。その発端は、「朝鮮の若い女性は性病がなく、危険が少ない」という麻生軍医の上申書であった。『赤い夕日と黒い大地』(竹内治一著)





世界初の「南京大虐殺辞典」出版される






●中国残留孤児問題!!(中国残留孤児の書いた奇跡の書「この生あるは」)

映画化したら、過酷な運命・そして中国人の人間愛がよくわかる!!
敗戦時3歳、この中国残留孤児の過酷な運命に対して、国はきちんと補償したのだろうか?
この本の中に、米軍が1950年代の朝鮮戦争時、北朝鮮に行った細菌戦に神経を尖らせている中国の一般民衆の生活や反核運動の様子が描かれている。
中国の恩に報いたいー半生記を出版した残留孤児 中島幼八さん

2016年1月18日記(武漢大学客員教授・日本記者クラブ会員)
残留孤児の一冊<本澤二郎の「日本の風景」(2238)
<「この生あるは」(中島幼八著)>
中国・新華社通信の友人に紹介された残留孤児・中島幼八さんの記録「この生あるは」(幼学堂)の日本語版を読んだ。その悲しい運命から、気が重くなる厳しい内容ゆえに、同じ時代を日本で生きてきた者には、とても興味を引く本である。人間は一人では生きられない、そのことを痛切に教えてくれる人間性のあふれる内容である。同時に「2度と侵略や戦争を起こしてはならない」ということを、日本の為政者に訴えている。全国の図書館に置いて、多くの国民が読むべきである。

<克明な記録に圧倒>
残留孤児という名前は承知しているが、その悲劇の主人公がどう生きてきたのか、まったく知らない日本人ばかりであるが、その疑問に「この生あるは」は、一つの回答を与えている。
いえることは、中島さんは実に幸運な中国生活を過ごしてきたことが理解できる。克明な記録に圧倒される。幼少の記録を多くの人間にとって記憶にないかわずかだ。異常な運命が、それを克服したものであろうか。
70年前の人々が、現代に生き生きと蘇っている。





発売元 亜東書店 03-3835-7091 
中国語版 北京三聯書店「何有此生」






●731問題
・日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか?
医の倫理は、向上すると思う!!

中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!!

夏草をふみしめてなおも歩き続ける
軒下にのぞく歴史に凌辱された眼光
住居を追われ悪魔に翻弄された暗黒の日々
長い年月に耐え声も叫びも枯れ果てた
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より

日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア


混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)



・「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

第2部
沖縄失陥のあと


3日ばかり前に、来住野が林田たちのいる動物飼育の手伝いをさせられ、各地から送られてきたねずみをいじったと話したことがあった。
「じゃ、この間、飼育に行ったときかね?」
「うん。そうらしいんだ。大したことはないとは言っていたけれども、俺たちも注射させられたり何かして、本当にびっくりしたよ」
私自身は、ペストに対する予防注射をしょっちゅう自分たちでやっていたから、こわいとは思わなかったが、来住野のことはやはり心配であった。ことによると、彼の命取りになるかも知れない。
「俺、一走り、病院へ行ってくるよ」
と、私は言った。
「行ってもどうかなぁ・・・・」
と、つぶやく森島に、
「同郷だからね」
と言い残して、私は病院へ走った。
黄色っぽい電燈の光に輝く深夜の病院の廊下は、しんかんと静まり返って、私は自分の靴音におびえを感じた。


厚生省・国民健康保険について(消えた細菌戦部隊より:常石敬一著より)
医務局長としての小泉の実績は、確かに先の、「意欲・鋭さ・執拗さ」という言葉に見合ったものとなっている。すなわち今日の厚生省及び国民健康保険法を作ったのが小泉であった。・・・・・・
健兵対策の一環として厚生省は設立されたのだった。こうした設立の経緯が、今日の厚生省の弱者に冷たく、福祉行政に消極的な理由となっているのかもしれない。
小泉親彦(ちかひこ)

※小泉親彦(ちかひこ)・・・陸軍軍医学校校長、陸軍軍医総監、陸軍医務局長、厚生大臣を歴任、毒ガス戦、細菌戦を積極的に推し進めた人物
1945年9月、自決。



真実を知ろう!!(権力側が流す情報にだまされるな!!)
731細菌戦部隊 1(前編:プライム10)


ガン治療のウラ 1/8


船瀬俊介と内海聡の「ここだけの話」2014.04.29@板橋



「悪魔の飽食」から「小食へ」(体質改善への道)
医師 甲田光雄3/6 ラジオ深夜便





●ハーバード・ピックス著『昭和天皇』(下)より
第13章 遅すぎた降伏
同日、昭和天皇(まだ、戦争終結のために行動を開始していなかった)は帝国議会開院式に際し勅語を下し、「敵国の希望を粉砕して征戦の目的を達成」せよと国民に命じた。同時に統制下の報道は、連日、天皇のための死を賞賛し、大御心に感謝する報道を行っていたが、7月中旬になると「国体護持」のキャンペーンを行うようになった。p171
一方、アメリカは日本人の戦意を挫くために独自な宣伝で対抗した。B29は何千万枚もの日本語で書かれたビラを撒布した。それはB29の次の攻撃日標を伝えたり、軍部の批判に天皇を利用して降伏を勧告したりした。例えば菊の紋章を刷り込んだビラは、「全国的自殺を強要」しているとして、「軍閥」を非難し、そして「憲法が明示する権利により諸氏は、陛下に直訴すべきである。強力な軍閥といえども陛下と国民との平和への力強い進軍を阻み得まい」と訴えた。8月13日にまかれた700万枚のビラだけがアメリカ、イギリス、中国による「共同宣言」〔ポツダム宣言〕をめぐる日本政府とアメリカ政府のあいだでの交渉を暴露することができた。ビラには次のようなことが書かれていた。「私共は本日皆様に爆弾を投下するために来たのではありません。お国の政府が申込んだ降伏条件〔ポツダム宣言に対する日本政府の回答〕をアメリカ、イギリス、支那並にソビエット連邦を代表してアメリカ政府が送りました回答〔バーンズ回答〕を皆様にお知らせするために、このビラを投下します。戦争を直ちにやめるか否かはかかつて〔傍点、訳者〕お国の政府にあります。皆様は次の2通の公式通告をお読みになれば、どうすれば戦争をやめる事が出来るかがお判りになります」。

瀋陽軍事裁判 「731榊原、満州国次長古海、皇帝溥儀等の証言、アヘン政策、三光作戦鈴木啓久 」




●『天皇の陰謀』

天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた


ディビット・バーガミニ 著
松崎  元 訳より

第三章

敗戦
(その1)

マニラへの特使

サザーランド将軍は、五日間の延期を認め、さらに、横浜のニュー・グランド・ホテルを、マッカーサーが占有できるよう完備すること、および、随行員の移動用に、整備の整った50台の車を求めた。河辺は、出来るだけのことをすることに同意したが、一週間の準備では十分ではないことを警告してその会議を終えた。「貴殿は勝者である。従って、貴殿の決定は絶対だ。しかし、我々の考え方では、何がしかの心配が残されてはいる」、と河辺は言った。
ロザリオ・アパートメントに戻った日本の代表団は、太陽が上がってくるのを見つめ、アメリカ側の要求の幾つかを読み上げた。アメリカの将官クラスには各三人、佐官クラスには各二人、尉官クラスには各一人のメードを付けること――アメリカ人は中国人を扱っているつもりであったのか? 加えて、ワシントンが準備した天皇の名によって発せられる声明があった。日本語によるその声明では、天皇は、自分を「私」と呼んでいた。しかし、天皇が自分を呼ぶ時、古い中国皇帝の呼び名である「朕」――天と話す月を意味する――が用いられていることは、誰もが知っていた。河辺は就寝する前に、ロザリオ・アパートメントのアメリカ人警備係に、こうした詳細な事々が不満であることを知らせた。四時間後に彼が眼を覚ますまでに、連合軍の翻訳者は、東京への一連の指示を用意し、そこには、無礼な呼称や使用人の要求は消されていた。

2016年3月27日日曜日

国家犯罪!731から辺野古まで!!



※Internet Explorer よりグーグルクローム(Google Chrome)で見るとスムーズに画面が動きます。

●731部隊(1)
●731部隊(2)
●731部隊(3)
●731部隊(4)
●陸軍軍医学校50周年記念行事について
●南京大虐殺
●昭和天皇
●教科書問題
●陸軍登戸研究所
●日航123便の怪
●日本とドイツの違い
●原発・水俣病にみる学会の原因隠蔽の構図!!
●あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか?
●731部隊展

●731問題
・放射能の被害が深刻化しているのに、なぜ日本の医学界は“脱原発”と叫ばない??
科学者は、やはり新兵器に夢を託すのか??
731の秘密を隠すために、放射能の被害については、何も言えない??
「心証を良くする為にとは、何のために心証をよくするんですか?」
「731のことなんかもあるでしょうね」
※ヒロシマ・ナガサキの被爆者たちの治療よりも原爆の調査が優先された。
国体護持のために。
なぜ、日本は原爆投下直後、調査をやったのか?

放射能の危険性

アメリカの圧力があるのか?
水俣病の被害が拡大した時も、医学界の権威者が、一時、チッソ水俣工場の有機水銀説を否定した。
歴史は繰り返す?
福島の癌→子供の甲状腺がん増加地図をチェルノブイリと比較する

水俣病


原因が工場排水中の水銀らしいと見当がついた1959年夏以降は、熊本大学医学部の研究班は企業や通産省、御用学者の集中砲火を浴びることになる。

731部隊の設置許可、人体実験、毒ガス戦・細菌戦実施の許可した昭和天皇とそれに協力せざるを得なかった日本医学界の責任、戦後、その人体実験、毒ガス戦・細菌戦を全く裁判にかけなかったマッカーサーとアメリカ政府の責任、1990年代から2000年代にかけて行われた裁判において、事実を認めながら、それを放置している司法の責任、全く無視している政治の責任、731に対する国民の認識は?
戦後70周年、中国の人々から日本の我々に届いた重いメッセージ!
虐殺された人々(日本人を含む)の声なき声にどう応えるか?
日本人はこの731問題にどう向き合うか?重い課題!!
日本には本当に三権分立があるのかが問われている!!

731(1)


・731部隊は我が大日本帝国最大の機密であり、今後はこの機密保持がどこまでなされるかが最大の問題である???
黒い太陽№15


※「機密」とは、秘密の保全が最高度に必要であって、その漏えいが国の安全又は利益に重大な損害を与えるおそれのあるものをいう。
戦前の刑法には、「敵国ノ為メニ間諜ヲ為シ、又ハ敵国ノ間諜ヲ幇助シタル者ハ死刑又ハ無期若クハ5年以上ノ懲役二処ス 軍事上ノ機密フ敵国二漏泄シタル者亦同シ」(第85条)という規定があった。


朝枝繁春の証言


●横浜「戦争と加害」のパネル展


細菌戦(「戦争と加害」のパネル展in横浜)

毒ガス(「戦争と加害」のパネル展in横浜


参観者の感想
・事実を具体的に見せられ、大ショックでした。是非多くの人々に伝えてほしいと思いました。80代以上男性


「戦争の加害」テーマに 13日まで横浜でパネル展



●脱原発!!核兵器廃絶!!
憲法に優先する安保条約であるなら、アメリカと合同で極秘に核兵器開発を進めることも不可能では無いのではないか。
一旦、戦争が始まれば、原発施設は狙われ、破壊されたら、放射能汚染が広がり、逃げ場所も非常事態ということでなくなるだろう。憲法9条は無視され、現実が歯止めを外し、核兵器の使用も可能になるのだろうか。自衛のための戦争と称し、今迄平和利用されてきたロケットは軍事転用され、ミサイル、大陸間弾道弾に転用されるのだろうか?徴兵制も現実味を帯びてくる。地球にますます人類が住めなくなる。
2011年3月11日 車が流される 人が飲まれる 津波


(以下「高知新聞」より)
要約すれば、憲法は理論上は全ての核兵器の使用を禁じていない。だが、「現実」がその歯止めになると読み取れる。
現実が憲法を超えるとするなら、政府が守ると言っている憲法の平和主義も、核兵器を「持たず」「つくらず」「持ち込ませず」の「非核三原則」の国是も一気に空洞化する。
法的な歯止めではない現実は、刻々と変わる。時の政権の判断によって、核兵器の使用が可能になる余地が残る。
国会の場で、日本の核兵器使用が現実味を持って公然と語られる現状にも驚きを禁じ得ない。

【法制局長官答弁】核使用まで容認とは驚く
横畠内閣法制局長官、核使用「憲法で禁止されず」と話す


この人は核兵器と通常兵器を全く区別していない!!
「核兵器の使用」横畠裕介・内閣法制局長官の答弁記録3 18参院・予算委員会


日本も地下核実験をやっているのか?(アメリカと合同で)
人工地震津波兵器は国際政治軍事上の常識!浜田復興担当政務官


地震学者の「今までやってきた研究が全て無駄だった」という発言は、本当に東日本大震災の原因は何だったのかを考えさせられる!!!
3 11人工地震の証明~日本人が知らねばならない真実~



地震発生(1944年12月7日)の翌日8日の新聞のトップは昭和天皇の写真。(開戦記念日)
地震の詳細は掲載されない!!被害は隠す!!
東南海地震:「地震の次は何をお見舞いしましょうか」とB29がビラ



元NHK五十嵐さんが命をかけ伝えたかった人工地震の真実

自衛隊技術者15人は311テロ計画を知らないで爆弾製造に携わっていたようです

あの戦争で日本軍のしていたことを全く反省していない日本。
だから、戦後も、自衛隊を中心に『防護の為』と称して、核兵器の開発、毒ガスの製造、生物兵器の開発が行われているだろう!!
毒ガスの製造は確認でした!!生物兵器は勿論核兵器もか??
そして、戦争になって初めて、自国がどんな兵器を持っているか気付かされるのでないか?

<小出裕章さんに聞く>日本のメーカーはなぜ原発にこだわり続けるのか

福島の子どもの甲状腺がんで「家族の会」結成

米専門家 日本でプルトニウム増え続ける現状に懸念

東電から東京ガスへ電気契約客が雪崩的大移動…ガスとセットで割安、客の東電離れ加速

小出裕章先生:多くの国民にこんなことが起きてるということに気づいてほしい


小出裕章先生:多くの国民にこんなことが起きてるということに気づいてほしい

小出裕章先生:一刻も早く原子力の夢からさめて…



●憲法9条

彼らは本気だ。安倍晋三首相は、夏の参院選で改憲勢力による「3分の2」の議席を目指すという。
彼らと真逆の憲法は作れないか?
・憲法9条を守る!!・外交を強化する・自衛隊は災害救助隊に
・象徴天皇制を廃止して、大統領制にする
・脱原発 ・靖国神社を廃止して、戦争懺悔慰霊碑の建立
・日米安保条約見直し・国連改革



・憲法9条(侵略戦争の反省から憲法9条が生まれた!)
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


09
想像してごらん、
9条がゆきわたった世界を。

Imagine,
A world filled with Article 9.

Представить,
Мир заполнен со статьей 9.

想像,
的世界充满了第九条。



IMAGINE9 (『イマジン9 想像してごらん、戦争のない世界を。』(文:星川淳・川崎哲、絵:成瀬政博 2007年12月1日発行、合同出版)
解説
あなたにできること
考えてみよう、
日本の憲法9条のこれから。

 「日本の憲法9条をあたりまえのものだとはどうか思わないでください。それは、 ある日突然なくなってしまうかもしれません。憲法9条があるからこそ、みなさんは戦争に行くことなく暮らせてきました。しかし憲法9条が救っているのは、日本人の命だけではありません。世界中の人びとが救われています。9条がなければ、みなさんはアメ リカが第2次大戦後に攻撃してきたすべての国、つまり、朝鮮半島、ベトナム、パナマ、グラナダ、イラク、アフガニスタンなどへ戦争に行かされていたのです」

これは、アメリカの元海兵隊員で、いまでは世界的に平和活動を行つているアレン・ネルソンさんの言葉です。

日本が「9条を変えて、戦争に行ける国になるべきだ」と言う人たちがいます。だれが、何のためにそう言つているのか、考えてみましょう。
 2001年の「9・11事件」以来、アメリカは「テロと戦う」といって、アフガニスタ ンやイラクなど世界のあちこちで戦争やその準備をしています。そしていろいろな国に「いっしょに戦おう」と協力を求めています。日本の自衛隊はイラクに派遣されましたが、アメリカはこのような協力を、さらに本格的に日本に求めています。そこでじゃまになるのが、「戦争に参加してはならない」と定めた9条です。

 また、日本国内にも、戦争のためのミサイルやハイテク兵器をつくってもうけようという企業があります。彼らにとってじゃまになるのは、「武器を売つてはいけない」と定めた9条なのです。こうした理由から、アメ リカ政府や日本の一部の大企業は、9条を変えたいと思っています。
 そうやって日本が「戦争できる国」になっていくことを、かつて日本に苦しめられたアジアの人びとはどう感じるでしょうか。近隣の国々は、日本の軍事化をどう見るでしょうか。そしてみなさんは、世界の中の日本のあり方を、どう考えるでしょうか。


防衛相 豪外相に潜水艦開発でアピール
ぐんじ と ひんこん アベちゃんのもくろみ…(´ε`;)
武器輸出三原則
今の現状防衛装備移転三原則

●ご案内





●ニュース
防衛省は、自分でところで研究した文書(勿論国民の血税で作られた文書)を、いとも簡単に廃棄しているというのは本当なのか?国民には軍事上の機密として、全てが伏せられているのではないか??
この下記の審査会の答申には全く納得がいかない!!

情報公開・個人情報保護審査会の答申
審査会の結論
「『化学学校記事』1号ないし最新号」につき、これを保有してしていないとして不開示として決定は、妥当である。

群馬大病院、第一外科も高死亡率…肝臓手術

「謝罪なければ軍事行動」=北朝鮮軍、韓国に「最後通告状」

防衛相、名護市長と辺野古で平行線 県との和解後初会談

青春を語る会終了 元女子学徒ら個人で継承活動へ

恒久平和、不戦誓う 座間味、住民らが祈り 米軍上陸71年

薬害エイズ和解、20年を前に集会 遺族ら支援継続訴え




●昭和天皇と731部隊
中国では、現在、細菌戦の調査が着々と進められている。日本政府は反対に細菌戦に対し、全く無視し、過去を消し去ろうとしている。

1942年:日本人強制収容所(アメリカ)、バターン死の行進、東京初空襲


バターン死の行進から奉天収容所


東京初空襲・浙かん作戦

淅贛(せっかん)作戦


戦争の残酷さ


1942年金華市炭疽被害


1942(昭和17年)浙贛作戦における細菌戦
1942(昭和17)年4月18日、日本近海のアメリカ空母から飛び立ったB25爆撃機は、浙江省衢州の飛行場を着陸基地として、東京・名古屋を初空襲した。これに驚いた陸軍中央は、浙江省の前線の飛行場を徹底的に破壊することを決定した。これが「大陸命(大本営陸軍部作戦命令)612号」による「浙贛(せっかん)作戦」である。大本営作戦参謀井本熊男大佐の日記によれば、5月30日には細菌戦実施を指示する「大陸指(大本営陸軍部作戦司令)」が、参謀本部第一部長田中新一少将から、石井四郎少将、増田美保少佐らの実戦指揮者に伝達されている。7月26日には贛州(かんじょう)、建甌(じぇんおう)で飛行機から細菌の撒布が実行されたことが記されている。
地上撒布は、日本軍に被害が出ないように、侵攻した日本軍が反転し、撤退した8月19日以降に実施された。「井本日記」8月28日には、井本大佐が支那派遣軍参謀の長尾大佐から、「ホ実施現況」として細菌戦の実施状況の報告を受けている。これは細菌撒布の地上戦に関する報告で、広信、広豊、玉山にはペスト菌、江山、常山に対してはコレラ菌を、衢県、麗水には腸チフス菌、パラチフス菌を撒布したと記されている。
※井本日誌には浙贛作戦の仔細な情報が記されていた。
『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著:草の根出版:2002年発行



(細菌戦)
昭和天皇はまた、1940年中国で最初の細菌兵器の実験的な使用を許可した。現存する文書史料で、昭和天皇を細菌兵器と直接、結びつけるものはない。しかし、科学者の側面を持ち几帳面で、よく分からないことには質問し事前に吟味することなく御璽(ぎょじ)を押すことは拒絶する性格から見て昭和天皇は、おそらく自らが裁可した命令の意味を理解していただろう。細菌戦を担当した関東軍731部隊に参謀総長が発令した大本営の指令の詳細は、原則として天皇も見ていた。そして、このような指令、すなわち「大陸指」の根拠となった「大陸命」に天皇は常に目を通していた。中国での細菌兵器の使用は1942年まで続いたが、日本がこの細菌戦化学戦に依存したことは、第2次世界大戦が終了すると、アメリカにとって、にわかに重大な意味を持つこととなった。まず、トルーマン政権は大規模な細菌戦・化学戦の計画に予算を支出したが、それは日本の細菌・化学研究の発見と技術に基づいていた。次いで、それはベトナム戦争でアメリカが大量の化学兵器を使用することへとつながった。 ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より


・「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

第2部
恐るべき遠足


死体を解剖して、肺臓、脾臓など各部分からそれぞれ検査用塗抹標本を作る手伝いをさせられたのだったが、与えられた仕事を理解しようとする心のゆとりもなく、ただ反射的に手を動かしていた。周囲の壁を通して悲痛なうめきが聞こえ、金網の外には、取り出した臓腑をかぎつけた蠅どもがうなっている。
わずか1時間足らずの時間だったろうが、私は体も神経も蒸されたようにふらふらとなって部隊に帰った。
部落は一週間ほどたって全部焼き払われた。中には生き残った者もあったろうが、極秘の実験であるから、実験後には一人残らず殺されたのだそうである。



「細菌戦裁判」の第1審の東京地裁で事実認定された日本軍の細菌戦







細菌戦部隊731


闇に消えた虐殺~731部隊・細菌戦の真実(テレビ朝日「ザ・スクープ」、1997年8月放送)


常徳細菌戦




●日本や中国各地に毒ガスが遺棄されている!!生活に支障をきたさないのか?
相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
北宏一朗








自衛隊は防護のためと称して昭和20年代後半から毒ガスの研究をし、1964年にはサリンを合成し、VXガス、タブンも作った。最新の無能力化ガスBZは1973年に成功している。1970年日本政府ジュネーブ議定書締約、1993年化学兵器禁止条約日本署名、1994年6月松本サリン事件、1995年3月地下鉄サリン事件発生、自衛隊とオウムの関係は?
2013年度の「核・生物・化学兵器対処関連事業」費71億8200万円。何に使っているのだろうか?

死者13人、約6300人の被害者を出した地下鉄サリン事件(1995年3月20日発生)

1950年代に、自衛隊は秘密裡にアメリカ側のデータを下に毒ガス製造をはじめ、1964年(東京オリンピックの年)にサリンの製造に成功している。オウム真理教の土屋正美(事件発生当時30歳)だけの知識で果たしてサリンが製造できたのか?自衛隊のデータが漏れていなかったのか?それとも、自衛隊も事件に関わっていたのか??
「地下鉄サリン事件」ザ!世界仰天ニュース


・自衛隊では、サリン合成に成功したのは東京オリンピック(1964年)の年だった。
・1973年、自衛隊は、当時最新の毒ガスBZガスの合成に成功。

週間金曜日 2013年5月24日号
自衛隊とサリン 第2回
元陸自化学学校長が毒ガス製造を認めた!
・サリン合成に成功したのは東京オリンピック(1964年)の年だった。
※国威発揚のオリンピックと戦争は大いに関係した。(1940年の東京オリンピック、日中戦争の影響等から日本政府が開催権を返上、実現には至らなかった。この年皇紀2600年の記念行事として準備が進められていた。)
・1973年、当時最新の毒ガスBZガスの合成に成功。

毒ガス第2世代
第1次世界大戦(1914~18年)は「世界初の毒ガス戦争」とも言われる。・・・・
こうして1918年に終結した第1次世界大戦の中では、市民も含めて100万人以上が毒ガスを浴び、その1割に当たる約10万人が死亡したとされる。
 その後も毒ガスの研究・開発は進み、第2次世界大戦(1939~45年)の前あるいは大戦中にナチス・ドイツが相次いで開発した毒ガスが「第2世代の毒ガス」と呼ばれるものだ。殺虫剤研究の中で1936年発見された「タブン」、そのタブンの2倍の毒性を持つと言われる「サリン」(1938年)、極秘に開発され第2次大戦終了後まで知られることはなかった「ソマン」(1944年)などである。

731部隊の設置許可、人体実験、毒ガス戦・細菌戦実施の許可した昭和天皇とそれに協力した日本医学界の責任、戦後、その人体実験、毒ガス戦・細菌戦を全く裁判にかけなかったマッカーサーとアメリカ政府の責任、1990年代から2000年代にかけて行われた裁判において、事実を認めながら、それを放置している司法・政治の責任、国民の認識は?


※サリンなどの毒ガス製造が「防護目的」であれば、つまり兵器として使用しなければその製造が許されるとしたら、同じ理屈で核兵器や生物兵器の「防護研究」も可能ということになる。

それとも、自民党も毒ガスの製造、貯蔵のことを知っていたが、嘘を言って国民をだましているのか?
戦争前は「防護目的」、戦争になったら大量生産?毒ガス兵器、生物兵器、核兵器!!






機密ばかりが多いと、国民はいつもだまされる?
・非核3原則も嘘だった!!
佐藤栄作の遺族は早く故人のノーベル平和賞を返上しろよ
本来、アメリカが出すべきお金を、日本政府が肩代わりして出していた現実!!
こんな問題もあった!!沖縄密約
沖縄毒ガス

日本軍の毒ガス被害

昭和天皇の“沖縄メッセージ”





●防衛省、外務省は積極的に国民に情報開示し、戦争を防止する義務がある!!


毒ガスを製造しているんだから、勿論、今も、生物兵器、核兵器の製造もやっているのでしょう。


2016年3月9日、東京都世田谷区にある三宿駐屯地の自衛隊衛生学校の彰古館(しょうこかん)に元衛生学校校長の金原節三氏の寄贈した『金原文書』を探しに行ってきた。私は前回1月に行ったので2回目である。戦前、戦中731部隊で生物兵器を開発し、実戦に使用しているので、戦後の自衛隊ではどうなっているのかを調べるためである。『衛生学校記事』の第1号には生物戦に関する翻訳記事が実際に載っている。
なぜ、『金原文書』を探すのかといえば、その中に、731部隊関連資料で私たちが公開を求めている『衛生学校記事』(「金原寄贈目録」には延べ冊数88冊)が含まれているからである。
『衛生学校記事』は、最初、「情報公開法」に基づき、開示請求したが、防衛大臣が、「保有していない」ことを理由に、不開示にした。こんなことが世間であるだろうか?
『衛生学校記事』を発行しているのは、自衛隊の衛生学校である。なぜ発行元が1冊も保有していない?おかしくないですか。
それで、公開されないもんだから、なんと裁判にまで、訴えて、公開を求めているのである。
1昨年(2014年)、裁判の途中で被告の防衛省側から「『衛生学校記事』の一部(28冊)が見つかりました。発見された文書には731の記述はありませんでした。」という回答が口頭であった。だが、見つかった場所は、発行元ではない「防衛医科大学の図書室」からである。これも色々考えると、さもありなんなんか?医科大学で生物兵器の研究?731 の記述はないが生物戦の記述はどうだったのか?文書での回答はない。
前回、1月に行って調べた時にも、「金原寄贈目録」2028点のうち防衛省は641は彰古館にあると回答していたが、我々が調べるとその他にも16点見つかった。そして昨日行ったらまた、何点か見つかった。資料の管理はどうなっているのだろうか?
そもそも、自衛隊の衛生学校の元校長が寄贈したものを、衛生学校が一部を廃棄するとは考えられない。国民の税金で、運営されている機関であれば、そんなことは絶対あってはならない。縦社会の厳しい自衛隊で、元校長が寄贈した物を簡単に廃棄するとは考えられない!!
ましてや、外務省や防衛省などは、色々な情報を国民に積極的に開示しなければならない機関だと思う。戦争を防ぐためにも。
※金原節三は戦時中、1941年当時陸軍省医事課長として731部隊細菌戦に深く関与していた軍医大佐であり、戦後自衛隊衛生学校の校長にもなった。
※『衛生学校記事』は1957(昭和32)年7月~1959(昭和34)年まで月刊で18号出版され、その後、1961(昭和36)~1967(昭和42)年までは季刊本で24冊、出版された。
その後は、誌名を『ふかみどり』に変更し、1971(昭和46)年からは、衛生学校にきちんと保管されている。しかし、『ふかみどり』の1~15巻は、無い。「30年保存なので、満期になったものから徐々に廃棄しました」という回答。何で廃棄する?
※衛生学校に行ったら、教範(自衛隊の教科書)は情報公開請求しないと見せてくれないと言う。何で自国民に見せてくれないのだろうか。「武器の性能などがばれると、まずい」と言う。自衛隊は、サリン等の毒ガスを作っておきながら、それも伏せていた。影で、化学兵器、生物兵器、核兵器開発の「防護」のためと言って、何をやっているのか、国民は全く知らされていない!!
いや、シビリアンコントロールするはずの政府でさえ、自衛隊が何をしているのか、詳しくは知らないのではないか?
※『化学学校記事』の公開も求めているが、防衛省からのいまだに回答がない。疑問が膨らむばかりである。

※2016年3月18日、「衛生戦史資料の体系化」という論文の不開示決定の取消しを求める異議申し立てについて、情報公開・個人情報保護審査会から答申があったという。
審査の結果は以下の通り。
第1 審査会の結論
「『衛生学校30年のあゆみ』衛生学校30年のあゆみ編さん委員会編(1982年10月)第4編の資料中の『研究の実績』の昭和55年度(265頁)の『衛生戦史資料の体系化』と題する論文」(以下「本件対象文書」という。) につき、これを保有していないとして不開示とした決定は、妥当である。

思うに、審査会が独自の権限で、内部を調べられないことが残念である!!防衛省の見解をそのまま踏襲。異議を申し立てて4年かかってこの回答。審議は2回だけ??






「国家政策の中で国防機関の発言力が強化され、軍事的観点が占める比重が高まるに伴い、軍事機密は外交、治安、経済など国政のあらゆる分野をおおい尽くすにいたる。この過程に照応して国民は政治の意思決定過程から排除されていく。参政権は骨抜きにされ、知る権利と表現の自由が抑圧される。国会は国権の最低機関に転落する。これこそ軍国主義の発生と成長の一般的法則なのである。最後に来るのは戦争である。
戦争を始めるかどうかの決定に、もはや国民はまったく参加することができない。戦争準備は極秘裏に進められ、ある日突如として戦争の火蓋が切られる。国民はただ肉弾として運命を甘受する他なかったのが、かつての軍国主義日本であった。いや、政府や参謀本部の決定さえ無しに、関東軍が勝手に戦争をおっぱじめ、その「既成事実」を否応なく追認させられつつ、破壊的な侵略戦争にエスカレートしていったのであった。アメリカのベトナム戦争もまた、そうであった。」(『日本の国家機密』藤井治夫著より)

※柳条湖事件も、初めから作戦の一環で、昭和天皇も知っていた。決して軍の独走ではない。




●今の情報を公開しない姿勢は、戦前からずっと続いている!!
秘密保護法施行・・・何を政府はたくらんでいる?
防衛の名のもとに、軍事力は増強されている!!

特定秘密保護法はジャーナリズムに何をもたらすか(ラジオフォーラム#158)

ちょっと古いが、参考になる本なので紹介します。1972(昭和47)年10月9日初版藤井治夫著『日本の国家機密』より


第二章国家機密の構造

手厚く保護される米軍機密

 条約締結についての国会の権限が低下しているのは、日本だけではない。アメリカ憲法は、条約の批准には上院の3分の2の賛成が必要であると定めている。だが近年、「従来上院の承認を要する条約事項であったものが、ますます多く行政協定事項となり、しかも極秘扱いによって隠されている」という(S・レンズ『軍産複合体制』小原敬士訳92ページ)。ペンタゴンは、秘密軍事協定の詳細を国民の眼から隠しつづける。 「これらの協定は、状況しだいによっては、国家を実際の戦争に追いやりかねないものである。このような了解がどの位たくさんあるのか、それは正確なところいった 造い何を包含しているのかということは、世間から隔絶した内部の少数者以外は誰も知っていない」(同書90ページ)『U・S・ニューズ・アンド・ワールド・レポート』(69・7・21)は、少なくとも24の軍事協定が秘密裡に締結されていると伝えている。レンズはこうした傾向を、「軍国主義の症状」と正しく指摘している。


※南京大虐殺があったことは国民に知らせず(これも国家機密であったのか?)、陥落を喜ぶニュース映像!
南京陥落 東京の風景


※しかし、溥儀が恐れるほど関東軍が強くないことを証明したのが、1938年の張鼓峰(ちょうこほう)事件と1939年のノモンハン事件である。いずれもソ連との国境紛争で、関東軍は惨敗した。両事件ともソ連軍の戦車・航空機・大砲・兵員が、質量とも圧倒的に勝っていた。日本軍は2度の敗戦をひた隠しに隠した。『赤い夕日と黒い大地』(竹内治一著)

※日本は、ノモンハンの敗北を封印することに腐心する。帰還した将兵には緘口(かんこう)令を敷き、戦闘に参加した将校を自決させ、作戦を立案した参謀を更迭した。





●現在の日本
日本政府・天皇家は戦争犯罪をきちんと認めないから今の日本がある。今の日本はまた、八紘一宇の世界を目指しているのではないか?
平頂山、731・南京・毒ガス・細菌戦・・・等の戦争犯罪、日本の戦争犯罪はアジア全般にわたったが、特に中国では、731部隊などの石井機関で生体実験が行われ、細菌戦も実施された。また、毒ガスを多用し、残虐な殺害もした。アメリカは、中国からの情報を得て、それらを察知し、日本に非人道的な行為を止めるよう再三警告していた。それにより、日本軍の細菌戦と毒ガス戦の頻度は減ったが、アメリカ自身の受けた被害も相当だったために、アメリカは最後に実験的に原爆の使用に踏み切ったのではないか?これら非人道的な戦争犯罪(日本軍の行った大虐殺、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃、アメリカの行った原爆投下や無差別爆撃等)が東京裁判できちんと裁かれていればもっと今の世の中は変わっていただろう。戦後十分に裁かれないで、また戦争の深い反省もなく来たものだから、旧軍関係者がそのまま自衛隊や大学・製薬会社などに滑り込み、実権を握り、戦後も軍国主義思想が根強く残り、軍隊の復活、人命・環境軽視の医療、経済がそのまま進み、9条の形骸化、水俣病をはじめとする公害が多発、医療事故などが起こっている。そして戦争や原爆への批判が不十分だから、アメリカに取り込まれ、原発推進に走り、3,11が起こっても方針を変えられない。いや、日本は生物、化学兵器や核兵器を秘かに開発・研究している。今の社会は一見華やかに見えるが、秘密保護法が施行され、ますます国家機密の名のもとに秘密主義が蔓延し、思想・信条の自由は制限され、戦中のように報道規制が強くしかれ、政治・軍事・医療・教育・食料・建築・農業・・・で様々な分野で機密がまかり通り、企業機密、軍事機密、国家機密などによって、水俣病(1956年)や薬害エイズ(1980年代)、1.17の神戸・淡路大震災(1995年)、地下鉄サリン事件(1995年)、3.11の大震災(2011年)、福島原発事故(2011年)、などの被害が大きく拡がっている。


・731部隊は天皇の勅令で巨費をかけて作られ、人体実験、細菌兵器の開発をし、実際に細菌戦を行った!!
闇に消えた虐殺~731部隊・細菌戦の真実(テレビ朝日「ザ・スクープ」、1997年8月放送)


・住民は、アメリカ兵を虐殺した!それを見逃す警察、軍隊。当時の日本の状況がよくわかる。捕虜に対する国際法は全く無視されていた!生体解剖は、軍、大学がグルになってやった?個人の意思ではない?陸軍病院、大学病院、精神病院でもいろいろな人体実験がなされていたのでは?九大、京大、東大、慶大等は戦中の資料をきちんと公開せよ!!
九州大学生体解剖事件を語る



中国の陸軍病院でも生きた人間を使った「生体手術演習」が行われていた。戦時中の日本の病院ではどうだったのだろうか?
消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」






●南京大虐殺
・証言
 1937年には家は王府巷で、そこは人家が300軒足らずしかない粗末な小屋架けの地区でした。家はとても貧しく、一家5人(父と母と妹2人と私)で、父が人力車を引くのと私がボロを拾うのとで暮らしていました。
 日本の軍隊が南京を占領した時、私は17歳でした。12月のある日、日本兵がその辺一帯で私たち7,8人を捕まえて行き、綿入れの上着を脱げと強制し、「磨坊」と呼ばれていた中庭に追い立てて行き、1列にひざまずかせました。私は隣の1人と一緒にひざまずいていたのですが、日本兵が銃剣の先っぽで人を突き始めたので、逃げなければ大変だと見て取り、腕で隣を一押しするなり、2人で突如立ち上がり、ぱあっと逃げ出しました。日本兵が銃剣を平らに両手で突き出すようにして私目がけて突きかかって来ましたが、私が身をかわしたので、銃剣の先が胸の皮膚をかきむしりました。私は銃剣の柄を握って、日本兵を地に押し倒し、その隙に乗じて大急ぎで裏門の方へ逃げて行き、日本兵が2発続けて撃ちましたが、弾がそれ、私は逃げ出して来て、九死に一生を得ることができたのでした。(明日に続く:楊素玉と馬雲鵬が記録)





昭和天皇・皇族はすべてを知っていた!!

ハーバード・ピックス著『昭和天皇』(上)より

第3部 陛下の戦争(1931年~1945年)
第9章 聖戦

日本軍が将来犯すことになる戦時虐殺の土台がこの時期に築かれた。・・・・・
1929年には、枢密院が軍の要求に応えて、ジュネーブ捕虜条約(1929年調印の「捕虜の処遇に関する条約」)の批准を保留した。枢密顧問官は、天皇の兵士は捕虜になる事を許されない以上、捕虜の処遇に関する条項は寛大すぎて実行できないという。陸海軍大臣と外務大臣の主張を容れたのである。・・・p171
・・・・・・・・

(南京大虐殺)
皇族は皆、大虐殺があり、軍紀が崩壊同然にあることを知っていた。そして、この皇族には、松井大将指揮による南京攻略戦で司令官を務め、虐殺が最も激しかった時点で南京駐在の最高級将校だった、皇后良子の叔父で50歳の朝香宮、関東航空本部長で、やはり皇后良子の叔父にあたる49歳の東久邇宮、参謀総長を務める71歳の閑院宮が含まれていた。もとより、杉山陸相も知っていた。大本営の多くの中級、上級将校も知っていた。衆議院議員で予備役の江藤大将も知っていた。外務省は確実に知っていた。外務省東亜局長の石射猪太郎(いしいいたろう)はその日記に、「上海から来信、南京に於ける我軍の暴状を詳報し来る、掠奪、強姦目も当てられぬ惨状とある。嗚呼(ああ)之れが皇軍か」と嘆いている。外交官であり、老練な中国通であった重光葵(しげみつまもる)は、その後、戦時中に特命全権大使として南京に駐箚(チュウサツ)した際に「南京占領当時の罪科を償ふ為め支那に善政を布くことを極力努めた」と記している。
したがって、近衛内閣は南京での強姦や強奪を知っていたが、多くの報告を受けていた天皇は知らなかった、というのはありそうもないことである。昭和天皇は指揮命令系統の頂点にあり、たとえその指揮系統にどんな欠点があろうとも命令のまさに初期の起点に位置する天皇が、上位、中位の段階での決定を知らずにいることは容易にありえないことだった。天皇は、あらゆる日本軍の動静を詳細に追っており、外信に目を通し、毎日、新聞に目を通し、そして、そのようにして知ったことについて、しばしば側近に質問をしていた。南京奪取と占領を裁可した最高司令官として、日本の精神的な指導者―中国の「膺懲」に正当性を与えた個人―としての天皇は、公にではないにせよ、軍紀崩壊に少しは関心を持つ義務を、憲法上はもちろんとして、最低限の道義的義務として負っていた。天皇は決してそれを行ったようには見えない。p290より




※南京事件の悪評に苦慮した日本軍上層部は、杉山元陸相、梅津美治郎(よしじろう)中将、今村均(ひとし)中将らを中心に1938年3月4日、日本軍のいる所に「慰安所」の設置を決め、通達した。しかし、日本内地の娼婦だけでは到底間に合わず、ついには朝鮮半島の若い女性たちが生贄(いけにえ)にされた。その発端は、「朝鮮の若い女性は性病がなく、危険が少ない」という麻生軍医の上申書であった。『赤い夕日と黒い大地』(竹内治一著)





世界初の「南京大虐殺辞典」出版される






●中国残留孤児問題!!(中国残留孤児の書いた奇跡の書「この生あるは」)

映画化したら、過酷な運命・そして中国人の人間愛がよくわかる!!
敗戦時3歳、この中国残留孤児の過酷な運命に対して、国はきちんと補償したのだろうか?
この本の中に、米軍が1950年代の朝鮮戦争時、北朝鮮に行った細菌戦に神経を尖らせている中国の一般民衆の生活や反核運動の様子が描かれている。
中国の恩に報いたいー半生記を出版した残留孤児 中島幼八さん

2016年1月18日記(武漢大学客員教授・日本記者クラブ会員)
残留孤児の一冊<本澤二郎の「日本の風景」(2238)
<「この生あるは」(中島幼八著)>
中国・新華社通信の友人に紹介された残留孤児・中島幼八さんの記録「この生あるは」(幼学堂)の日本語版を読んだ。その悲しい運命から、気が重くなる厳しい内容ゆえに、同じ時代を日本で生きてきた者には、とても興味を引く本である。人間は一人では生きられない、そのことを痛切に教えてくれる人間性のあふれる内容である。同時に「2度と侵略や戦争を起こしてはならない」ということを、日本の為政者に訴えている。全国の図書館に置いて、多くの国民が読むべきである。

<戦争を知らない世代の必読本>
 日本の歴史教育は、特に近現代史のそれはあまりにも問題がありすぎる。多くの日本人は、日中戦争や侵略について、ほとんど理解しないまま大人になっている。
 このことが、隣人との友好の阻害要因となっている。残留孤児について知らない若者が多いだろう。この中島本を学生に教えるといい。歴史を教える教師の副読本にしたらいい。




発売元 亜東書店 03-3835-7091 
中国語版 北京三聯書店「何有此生」






●731問題
・日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか?
医の倫理は、向上すると思う!!

中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!!

夏草をふみしめ遺跡の前に跪(ひざまず)く
オバケ煙突の下、不気味に笑う悪魔の目鼻
ここで焼却されたマルタは虚空に消えた
その無念の粒子を今なお人々は呼吸する
この空間には癒されぬ死の怨霊がくすぶり続ける
だが誰もそのことを声高に語ろうとしない
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より

日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア


混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)



・「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

第2部
沖縄失陥のあと


 感染する場合の例はまちまちであったようだが、新しい培養基に菌を植えた後に白金耳を焼灼尺滅菌する際、気のゆるみから、うっかりして急激に白金耳を火に突っ込み、ために菌が飛散して知らぬ間に体に附着するのが最も多いと言われた。
「自然に焦がすように、焼灼するんだぞ」
佐川技手や小枝雇員は、口癖のように言っていた。
 ところが、そうした災禍が意外にも身近なところにも発生した。同郷でもあり同室の来住野が腺ペストの疑いで入院したのである。
 作業が深夜に及んだ、ある日、宿舎に帰った私は、部屋中に漂う石灰酸のにおいに、不審の感覚をとがらせた。一日中、石灰酸の中にいるような研究室からやっと逃れたと思ったばかりの私は、いつにない様子に、思わず立ち止まった。浜中と森島が、眠られぬ様子で床の中から私を迎える視線を投げかけた。
「どうしたんだい」
「来住野、入院したよ。ペストかも知れないって話だ・・・・」
 森島が答えた。私は、唖然としてしまった。森島と来住野は第2部の気象班にいるのだから、ペストにかかるはずがないという観念が私の頭にあった。だが、私はようやく思い当たった。


厚生省・国民健康保険について(消えた細菌戦部隊より:常石敬一著より)
医務局長としての小泉の実績は、確かに先の、「意欲・鋭さ・執拗さ」という言葉に見合ったものとなっている。すなわち今日の厚生省及び国民健康保険法を作ったのが小泉であった。・・・・・・
健兵対策の一環として厚生省は設立されたのだった。こうした設立の経緯が、今日の厚生省の弱者に冷たく、福祉行政に消極的な理由となっているのかもしれない。
小泉親彦(ちかひこ)

※小泉親彦(ちかひこ)・・・陸軍軍医学校校長、陸軍軍医総監、陸軍医務局長、厚生大臣を歴任、毒ガス戦、細菌戦を積極的に推し進めた人物
1945年9月、自決。



真実を知ろう!!(権力側が流す情報にだまされるな!!)
細菌戦被害の人々

ガン治療のウラ 7/8


「輸血・点滴は受けてはいけない」船瀬俊介の船瀬塾


「悪魔の飽食」から「小食へ」(体質改善への道)
医師 甲田光雄2/6 ラジオ深夜便





●ハーバード・ピックス著『昭和天皇』(下)より
第13章 遅すぎた降伏
1945年4月7日の成立から降伏までの間、鈴木内閣の主たる戦争政策は「決号」作戦の準備であり、それは本土防衛のための「捷三号」を改めたものであった。これは、極端に自殺戦法に依存した点に特徴あった。神風「特攻」機、潜水艦から出撃する人間魚雷、トラックのエンジンを動力源とし爆薬を積んだ「特攻」艇、航空機に搭載されたロケット噴射による人間爆弾といった自殺攻撃だけを目的とした兵器の大量生産、そして、特別に訓練された地上部隊による自殺攻撃といったものである。決号作戦の準備が進む一方で6月9日、臨時議会は最後の戦いに向け全国民を動員するための戦時緊急措置法と5つの法案を通過させた。p170
同日、昭和天皇(まだ、戦争終結のために行動を開始していなかった)は帝国議会開院式に際し勅語を下し、「敵国の希望を粉砕して征戦の目的を達成」せよと国民に命じた。同時に統制下の報道は、連日、天皇のための死を賞賛し、大御心に感謝する報道を行っていたが、7月中旬になると「国体護持」のキャンペーンを行うようになった。

瀋陽軍事裁判 「731榊原、満州国次長古海、皇帝溥儀等の証言、アヘン政策、三光作戦鈴木啓久 」




●『天皇の陰謀』

天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた


ディビット・バーガミニ 著
松崎  元 訳より

第三章

敗戦
(その1)

マニラへの特使

アメリカ式の夕食が、冷やかな几帳面さをもって提供された後、日本代表は、半壊したマニラ支庁にあるマッカーサー司令部で、夜を徹した8時間におよぶ会議にのぞんだ。マッカーサーは、彼の首席参謀であるリチャード・サザーランド将軍に代理させていた。河辺とその随行員はその夜、東洋での日本軍の配置の地図やリストを、その一項目ごとに、サザーランドに引き継いだ。そして彼は日本側に、日本におけるアメリカ軍の配備とそれを受諾するようにとのマッカーサーの司令を伝えた。アメリカの最初の輸送機が数機、厚木飛行場に着陸するのは、それからわずか8時間後の8月23日とされていた。
 「日本としては、上陸がそれほど即座にではないように助言したい。その準備には、少なくとも十日を必要とする」、と河辺将軍は時間的余裕を請うた。河辺は、厚木の特攻隊員の気持ちの休まらなさに思いをめぐらせていた。彼はそれに触れなかったが、厚木基地は穴だらけで、それを安全に使用するには、総力をあげた復興工事も必要だった。

2016年3月26日土曜日

国家犯罪!731から辺野古まで!!


※Internet Explorer よりグーグルクローム(Google Chrome)で見るとスムーズに画面が動きます。

●731部隊(1)
●731部隊(2)
●731部隊(3)
●731部隊(4)
●陸軍軍医学校50周年記念行事について
●南京大虐殺
●昭和天皇
●教科書問題
●陸軍登戸研究所
●日航123便の怪
●日本とドイツの違い
●原発・水俣病にみる学会の原因隠蔽の構図!!
●あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか?
●731部隊展

●731問題
・放射能の被害が深刻化しているのに、なぜ日本の医学界は“脱原発”と叫ばない??
科学者は、やはり新兵器に夢を託すのか??
731の秘密を隠すために、放射能の被害については、何も言えない??
「心証を良くする為にとは、何のために心証をよくするんですか?」
「731のことなんかもあるでしょうね」
※ヒロシマ・ナガサキの被爆者たちの治療よりも原爆の調査が優先された。
国体護持のために。
なぜ、日本は原爆投下直後、調査をやったのか?

放射能の危険性

アメリカの圧力があるのか?
水俣病の被害が拡大した時も、医学界の権威者が、一時、チッソ水俣工場の有機水銀説を否定した。
歴史は繰り返す?
福島の癌→子供の甲状腺がん増加地図をチェルノブイリと比較する

水俣病


原因が工場排水中の水銀らしいと見当がついた1959年夏以降は、熊本大学医学部の研究班は企業や通産省、御用学者の集中砲火を浴びることになる。

731部隊の設置許可、人体実験、毒ガス戦・細菌戦実施の許可した昭和天皇とそれに協力せざるを得なかった日本医学界の責任、戦後、その人体実験、毒ガス戦・細菌戦を全く裁判にかけなかったマッカーサーとアメリカ政府の責任、1990年代から2000年代にかけて行われた裁判において、事実を認めながら、それを放置している司法の責任、全く無視している政治の責任、731に対する国民の認識は?
戦後70周年、中国の人々から日本の我々に届いた重いメッセージ!
虐殺された人々(日本人を含む)の声なき声にどう応えるか?
日本人はこの731問題にどう向き合うか?重い課題!!
日本には本当に三権分立があるのかが問われている!!

731(5)


・731部隊は我が大日本帝国最大の機密であり、今後はこの機密保持がどこまでなされるかが最大の問題である???
黒い太陽№15


※「機密」とは、秘密の保全が最高度に必要であって、その漏えいが国の安全又は利益に重大な損害を与えるおそれのあるものをいう。
戦前の刑法には、「敵国ノ為メニ間諜ヲ為シ、又ハ敵国ノ間諜ヲ幇助シタル者ハ死刑又ハ無期若クハ5年以上ノ懲役二処ス 軍事上ノ機密フ敵国二漏泄シタル者亦同シ」(第85条)という規定があった。


朝枝繁春の証言


●横浜「戦争と加害」のパネル展


細菌戦(「戦争と加害」のパネル展in横浜)

毒ガス(「戦争と加害」のパネル展in横浜


参観者の感想
・知識としてはかなりのことを知っています。これだけ並べられると直視できません。被害と加害は表裏一体です。これからも目をそらさないで考え続けたいと思います。ありがとうございました。70代女性


「戦争の加害」テーマに 13日まで横浜でパネル展



●脱原発!!核兵器廃絶!!
憲法に優先する安保条約であるなら、アメリカと合同で極秘に核兵器開発を進めることも不可能では無いのではないか。
全てが、秘密裡に進行し、いつの間にか、ステルス戦闘機開発、潜水艦の輸出、オスプレイ配備、毒ガスの製造、731の反省は全くなされていないのだから、勿論生物兵器の開発、これまた、全然反省していない戦前から続けていた核兵器の研究は着々と進んでいるのではないか?広島に原爆が投下されたとき、すぐに現地調査をし、原爆の威力を事細かに調べ、治療はほとんどしなかった事実に照らしても、また原発を海外に輸出する事実を見ても、核兵器の夢は捨てていないのでは、いやもう保有しているのか?現実が憲法を変えてしまう??
2011年3月11日 車が流される 人が飲まれる 津波


(以下「高知新聞」より)
要約すれば、憲法は理論上は全ての核兵器の使用を禁じていない。だが、「現実」がその歯止めになると読み取れる。
現実が憲法を超えるとするなら、政府が守ると言っている憲法の平和主義も、核兵器を「持たず」「つくらず」「持ち込ませず」の「非核三原則」の国是も一気に空洞化する。
法的な歯止めではない現実は、刻々と変わる。時の政権の判断によって、核兵器の使用が可能になる余地が残る。
国会の場で、日本の核兵器使用が現実味を持って公然と語られる現状にも驚きを禁じ得ない。

【法制局長官答弁】核使用まで容認とは驚く
横畠内閣法制局長官、核使用「憲法で禁止されず」と話す


この人は核兵器と通常兵器を全く区別していない!!
「核兵器の使用」横畠裕介・内閣法制局長官の答弁記録3 18参院・予算委員会


日本も地下核実験をやっているのか?(アメリカと合同で)
人工地震津波兵器は国際政治軍事上の常識!浜田復興担当政務官


3 11人工地震の証明~日本人が知らねばならない真実~



地震発生(1944年12月7日)の翌日8日の新聞のトップは昭和天皇の写真。(開戦記念日)
地震の詳細は掲載されない!!被害は隠す!!
東南海地震:「地震の次は何をお見舞いしましょうか」とB29がビラ



元NHK五十嵐さんが命をかけ伝えたかった人工地震の真実

自衛隊技術者15人は311テロ計画を知らないで爆弾製造に携わっていたようです

あの戦争で日本軍のしていたことを全く反省していない日本。
だから、戦後も、自衛隊を中心に『防護の為』と称して、核兵器の開発、毒ガスの製造、生物兵器の開発が行われているだろう!!
毒ガスの製造は確認でした!!生物兵器は勿論核兵器もか??
そして、戦争になって初めて、自国がどんな兵器を持っているか気付かされるのでないか?

<小出裕章さんに聞く>日本のメーカーはなぜ原発にこだわり続けるのか

福島の子どもの甲状腺がんで「家族の会」結成

米専門家 日本でプルトニウム増え続ける現状に懸念

東電から東京ガスへ電気契約客が雪崩的大移動…ガスとセットで割安、客の東電離れ加速

小出裕章先生:多くの国民にこんなことが起きてるということに気づいてほしい


小出裕章先生:多くの国民にこんなことが起きてるということに気づいてほしい

小出裕章先生:一刻も早く原子力の夢からさめて…



●憲法9条

彼らは本気だ。安倍晋三首相は、夏の参院選で改憲勢力による「3分の2」の議席を目指すという。
彼らと真逆の憲法は作れないか?
・憲法9条を守る!!・外交を強化する・自衛隊は災害救助隊に
・象徴天皇制を廃止して、大統領制にする
・脱原発 ・靖国神社を廃止して、戦争懺悔慰霊碑の建立
・日米安保条約見直し・国連改革



・憲法9条(侵略戦争の反省から憲法9条が生まれた!)
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


09
想像してごらん、
9条がゆきわたった世界を。

Imagine,
A world filled with Article 9.

Представить,
Мир заполнен со статьей 9.

想像,
的世界充满了第九条。



IMAGINE9 (『イマジン9 想像してごらん、戦争のない世界を。』(文:星川淳・川崎哲、絵:成瀬政博 2007年12月1日発行、合同出版)
解説
あなたにできること
1.戦争について知ろう
戦争は、人びとに何をもたらすのだろう?―広島・長崎の原爆、沖縄戦、東京大空襲などについて調べ話を聞いてみよう。各地の平和博物館を訪ねてみよう。中国や韓国、東南アジアで日本はかつて何をしたのか。世界各地の紛争で傷ついている人たちや難民となった人たちの声も聞いてみよう。

2.自分の目でニュースをみよう
世界には、どんな問題があるのだろう?―ニュースや新聞をみて、世界の紛争や貧困や環境問題について知ろう。テレビや新聞がまちがうこともあるし、大事なことを伝えないときもある。おかしいと感じたら自分で調べよう。インターネットや本で、現場の情報やべつの見方をえることもできる。

3. いろいろな国の見方を知ろう
日本は、周りの国からどうみられているのだろう?―近隣の国の教科書では、かつて日本がした戦争についてどう書かれているか。日本政府の今の政策を、周りの国の新聞はどう伝えているか。海外に出るもよし、日本に住むいろいろな国の人と友だちになるもよし。「日本以外の見方」をたくさん知ろう。

4. 戦争はなぜ起きるのか、考えよう
どうして戦争は起きるのだろう?―戦争はいろいろな理由で起きる。資源や国境をめぐる争い、民族や宗教をめぐる差別、他国を支配しようとする大国の欲望。いまイラク、アフガン、アフリカなどで続いている戦争はなぜ起きたのか。そして、どうすれば起こさずにすんだかを考えてみよう。

5.憲法を読んでみよう
憲法ってそもそも何だろう?―憲法を変えるべきかを議論する前に、まず日本の憲法に何が書いてあるかを知ろう。9条はもちろん、前文もしっかりと読もう。ほかにも男女平等や健康に生活する権利など、人びとの権利に関する大事な定めがたくさんある。ほかの国の憲法も調べ比べてみよう。

6.日本の国が何をしているのかを知ろう
日本は、世界のなかで何をしているのだろう?―私たちが好むかどうかにかかわらず、日本の政府や企業の行動を世界の人たちは「日本の行動」とみる。政府はどんな政策をとっているのか。自衛隊の実態は。日本企業は海外で迷惑をかけていないか。自国を知ることが、地球人としての一歩だ。

7.自分の意見をもとう。周りの人たちと話し、行動しよう
戦争や暴力や不正義にあふれたこの世界は、「それでしかたない」という言い訳にあふれている。でも 「ほんとかな?」と感じたら、自分で調べて、現場を訪ねて人の話を聞き、考えよう。家族や友だちと話してみよう。政府がおかしいことをしていたら、電話や手紙で意見を伝えよう。NGOの活動に参加することもできる。大人になつたら、投票しよう。自分の意見をもつことは、少し勇気がいるけど、大切だ。

防衛相 豪外相に潜水艦開発でアピール
ぐんじ と ひんこん アベちゃんのもくろみ…(´ε`;)
武器輸出三原則
今の現状防衛装備移転三原則

●ご案内





●ニュース
<アイヌ訴訟>遺骨を返還へ 北大と遺族らが和解

普天間返還合意20年で集会 来月12日、県庁前 オール沖縄会議

伊方原発3号機 7月下旬再稼働の計画示す



三橋貴明 TPPの恐るべき真実 1/3






●昭和天皇と731部隊
1942年:日本人強制収容所(アメリカ)、バターン死の行進、東京初空襲


東京初空襲・浙かん作戦

淅贛(せっかん)作戦


細菌のまき方〔2〕


細菌のまき方〔3〕


1942(昭和17年)浙贛作戦における細菌戦
1942(昭和17)年4月18日、日本近海のアメリカ空母から飛び立ったB25爆撃機は、浙江省衢州の飛行場を着陸基地として、東京・名古屋を初空襲した。これに驚いた陸軍中央は、浙江省の前線の飛行場を徹底的に破壊することを決定した。これが「大陸命(大本営陸軍部作戦命令)612号」による「浙贛(せっかん)作戦」である。大本営作戦参謀井本熊男大佐の日記によれば、5月30日には細菌戦実施を指示する「大陸指(大本営陸軍部作戦司令)」が、参謀本部第一部長田中新一少将から、石井四郎少将、増田美保少佐らの実戦指揮者に伝達されている。7月26日には贛州(かんじょう)、建甌(じぇんおう)で飛行機から細菌の撒布が実行されたことが記されている。
地上撒布は、日本軍に被害が出ないように、侵攻した日本軍が反転し、撤退した8月19日以降に実施された。「井本日記」8月28日には、井本大佐が支那派遣軍参謀の長尾大佐から、「ホ実施現況」として細菌戦の実施状況の報告を受けている。これは細菌撒布の地上戦に関する報告で、広信、広豊、玉山にはペスト菌、江山、常山に対してはコレラ菌を、衢県、麗水には腸チフス菌、パラチフス菌を撒布したと記されている。
※井本日誌には浙贛作戦の仔細な情報が記されていた。
『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著:草の根出版:2002年発行



(細菌戦)
昭和天皇はまた、1940年中国で最初の細菌兵器の実験的な使用を許可した。現存する文書史料で、昭和天皇を細菌兵器と直接、結びつけるものはない。しかし、科学者の側面を持ち几帳面で、よく分からないことには質問し事前に吟味することなく御璽(ぎょじ)を押すことは拒絶する性格から見て昭和天皇は、おそらく自らが裁可した命令の意味を理解していただろう。細菌戦を担当した関東軍731部隊に参謀総長が発令した大本営の指令の詳細は、原則として天皇も見ていた。そして、このような指令、すなわち「大陸指」の根拠となった「大陸命」に天皇は常に目を通していた。中国での細菌兵器の使用は1942年まで続いたが、日本がこの細菌戦化学戦に依存したことは、第2次世界大戦が終了すると、アメリカにとって、にわかに重大な意味を持つこととなった。まず、トルーマン政権は大規模な細菌戦・化学戦の計画に予算を支出したが、それは日本の細菌・化学研究の発見と技術に基づいていた。次いで、それはベトナム戦争でアメリカが大量の化学兵器を使用することへとつながった。 ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より


・「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

第2部
恐るべき遠足


死体を解剖して、肺臓、脾臓など各部分からそれぞれ検査用塗抹標本を作る手伝いをさせられたのだったが、与えられた仕事を理解しようとする心のゆとりもなく、ただ反射的に手を動かしていた。周囲の壁を通して悲痛なうめきが聞こえ、金網の外には、取り出した臓腑をかぎつけた蠅どもがうなっている。
わずか1時間足らずの時間だったろうが、私は体も神経も蒸されたようにふらふらとなって部隊に帰った。
部落は一週間ほどたって全部焼き払われた。中には生き残った者もあったろうが、極秘の実験であるから、実験後には一人残らず殺されたのだそうである。



「細菌戦裁判」の第1審の東京地裁で事実認定された日本軍の細菌戦







細菌戦部隊731


闇に消えた虐殺~731部隊・細菌戦の真実(テレビ朝日「ザ・スクープ」、1997年8月放送)


常徳細菌戦




●日本や中国各地に毒ガスが遺棄されている!!生活に支障をきたさないのか?
相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
北宏一朗







自衛隊は防護のためと称して昭和20年代後半から毒ガスの研究をし、1964年にはサリンを合成し、VXガス、タブンも作った。最新の無能力化ガスBZは1973年に成功している。1970年日本政府ジュネーブ議定書締約、1993年化学兵器禁止条約日本署名、1994年6月松本サリン事件、1995年3月地下鉄サリン事件発生、自衛隊とオウムの関係は?
2013年度の「核・生物・化学兵器対処関連事業」費71億8200万円。何に使っているのだろうか?

死者13人、約6300人の被害者を出した地下鉄サリン事件(1995年3月20日発生)

1950年代に、自衛隊は秘密裡にアメリカ側のデータを下に毒ガス製造をはじめ、1964年(東京オリンピックの年)にサリンの製造に成功している。オウム真理教の土屋正美(事件発生当時30歳)だけの知識で果たしてサリンが製造できたのか?自衛隊のデータが漏れていなかったのか?それとも、自衛隊も事件に関わっていたのか??
「地下鉄サリン事件」ザ!世界仰天ニュース


・自衛隊では、サリン合成に成功したのは東京オリンピック(1964年)の年だった。
・1973年、自衛隊は、当時最新の毒ガスBZガスの合成に成功。

週間金曜日 2013年5月17日号
自衛隊とサリン 第1回
「私は自衛隊で毒ガス・サリンの製造に関わっていた」
世界を揺るがした地下鉄サリン事件より数十年も前から、陸上自衛隊はサリンを製造していたことが複数の資料と証言で明らかになった。サリンだけではない。VX、タブンといった猛毒の殺人ガスも・・・・。非核三原則と同様、日本政府は毒ガスについても「持たず、作らず、持ち込ませず」などと表明していたが、自衛隊によるサリン製造が事実なら(これは事実であった!!)、毒ガスのをめぐる戦後の歴史が塗り替えられる可能性がある。(塗り替えられた!!)
※日本が95年9月に批准した現行の化学兵器禁止条約では、サリンなどの化学兵器の開発、生産、保有が包括的に禁止されているが、ここにも抜け道がある。同条約によれば、「生産量が年間1トン以下なら生産施設に当たらない」(第二条8)し、「防護目的」の生産・保有なら「この条約によって禁止されていない目的」(第二条9)に入る。国際機関である化学兵器禁止期間(OPCW)に申告し(第三条)、OPCWの査察を受け入れればその生産・保有・廃棄などが可能だ。防衛省によれば、同条約に基づき、1997年から2012年6月まで、計8回、OPCWの査察を受け、申告内容に問題がないことが確認されている、という。


※サリンなどの毒ガス製造が「防護目的」であれば、つまり兵器として使用しなければその製造が許されるとしたら、同じ理屈で核兵器や生物兵器の「防護研究」も可能ということになる。

それとも、自民党も毒ガスの製造、貯蔵のことを知っていたが、嘘を言って国民をだましているのか?
戦争前は「防護目的」、戦争になったら大量生産?毒ガス兵器、生物兵器、核兵器!!






機密ばかりが多いと、国民はいつもだまされる?
・非核3原則も嘘だった!!
佐藤栄作の遺族は早く故人のノーベル平和賞を返上しろよ
本来、アメリカが出すべきお金を、日本政府が肩代わりして出していた現実!!
こんな問題もあった!!沖縄密約
沖縄毒ガス

日本軍の毒ガス被害

昭和天皇の“沖縄メッセージ”





●防衛省、外務省は積極的に国民に情報開示し、戦争を防止する義務がある!!


毒ガスを製造しているんだから、勿論、今も、生物兵器、核兵器の製造もやっているのでしょう。


2016年3月9日、東京都世田谷区にある三宿駐屯地の自衛隊衛生学校の彰古館(しょうこかん)に元衛生学校校長の金原節三氏の寄贈した『金原文書』を探しに行ってきた。私は前回1月に行ったので2回目である。戦前、戦中731部隊で生物兵器を開発し、実戦に使用しているので、戦後の自衛隊ではどうなっているのかを調べるためである。『衛生学校記事』の第1号には生物戦に関する翻訳記事が実際に載っている。
なぜ、『金原文書』を探すのかといえば、その中に、731部隊関連資料で私たちが公開を求めている『衛生学校記事』(「金原寄贈目録」には延べ冊数88冊)が含まれているからである。
『衛生学校記事』は、最初、「情報公開法」に基づき、開示請求したが、防衛大臣が、「保有していない」ことを理由に、不開示にした。こんなことが世間であるだろうか?
『衛生学校記事』を発行しているのは、自衛隊の衛生学校である。なぜ発行元が1冊も保有していない?おかしくないですか。
それで、公開されないもんだから、なんと裁判にまで、訴えて、公開を求めているのである。
1昨年(2014年)、裁判の途中で被告の防衛省側から「『衛生学校記事』の一部(28冊)が見つかりました。発見された文書には731の記述はありませんでした。」という回答が口頭であった。だが、見つかった場所は、発行元ではない「防衛医科大学の図書室」からである。これも色々考えると、さもありなんなんか?医科大学で生物兵器の研究?731 の記述はないが生物戦の記述はどうだったのか?文書での回答はない。
前回、1月に行って調べた時にも、「金原寄贈目録」2028点のうち防衛省は641は彰古館にあると回答していたが、我々が調べるとその他にも16点見つかった。そして昨日行ったらまた、何点か見つかった。資料の管理はどうなっているのだろうか?
そもそも、自衛隊の衛生学校の元校長が寄贈したものを、衛生学校が一部を廃棄するとは考えられない。国民の税金で、運営されている機関であれば、そんなことは絶対あってはならない。縦社会の厳しい自衛隊で、元校長が寄贈した物を簡単に廃棄するとは考えられない!!
ましてや、外務省や防衛省などは、色々な情報を国民に積極的に開示しなければならない機関だと思う。戦争を防ぐためにも。
※金原節三は戦時中、1941年当時陸軍省医事課長として731部隊細菌戦に深く関与していた軍医大佐であり、戦後自衛隊衛生学校の校長にもなった。
※『衛生学校記事』は1957(昭和32)年7月~1959(昭和34)年まで月刊で18号出版され、その後、1961(昭和36)~1967(昭和42)年までは季刊本で24冊、出版された。
その後は、誌名を『ふかみどり』に変更し、1971(昭和46)年からは、衛生学校にきちんと保管されている。しかし、『ふかみどり』の1~15巻は、無い。「30年保存なので、満期になったものから徐々に廃棄しました」という回答。何で廃棄する?
※衛生学校に行ったら、教範(自衛隊の教科書)は情報公開請求しないと見せてくれないと言う。何で自国民に見せてくれないのだろうか。「武器の性能などがばれると、まずい」と言う。自衛隊は、サリン等の毒ガスを作っておきながら、それも伏せていた。影で、化学兵器、生物兵器、核兵器開発の「防護」のためと言って、何をやっているのか、国民は全く知らされていない!!
いや、シビリアンコントロールするはずの政府でさえ、自衛隊が何をしているのか、詳しくは知らないのではないか?
※『化学学校記事』の公開も求めているが、防衛省からのいまだに回答がない。疑問が膨らむばかりである。

※2016年3月18日、「衛生戦史資料の体系化」という論文の不開示決定の取消しを求める異議申し立てについて、情報公開・個人情報保護審査会から答申があったという。
審査の結果は以下の通り。
第1 審査会の結論
「『衛生学校30年のあゆみ』衛生学校30年のあゆみ編さん委員会編(1982年10月)第4編の資料中の『研究の実績』の昭和55年度(265頁)の『衛生戦史資料の体系化』と題する論文」(以下「本件対象文書」という。) につき、これを保有していないとして不開示とした決定は、妥当である。

思うに、審査会が独自の権限で、内部を調べられないことが残念である!!防衛省の見解をそのまま踏襲。異議を申し立てて4年かかってこの回答。審議は2回だけ??






「国家政策の中で国防機関の発言力が強化され、軍事的観点が占める比重が高まるに伴い、軍事機密は外交、治安、経済など国政のあらゆる分野をおおい尽くすにいたる。この過程に照応して国民は政治の意思決定過程から排除されていく。参政権は骨抜きにされ、知る権利と表現の自由が抑圧される。国会は国権の最低機関に転落する。これこそ軍国主義の発生と成長の一般的法則なのである。最後に来るのは戦争である。
戦争を始めるかどうかの決定に、もはや国民はまったく参加することができない。戦争準備は極秘裏に進められ、ある日突如として戦争の火蓋が切られる。国民はただ肉弾として運命を甘受する他なかったのが、かつての軍国主義日本であった。いや、政府や参謀本部の決定さえ無しに、関東軍が勝手に戦争をおっぱじめ、その「既成事実」を否応なく追認させられつつ、破壊的な侵略戦争にエスカレートしていったのであった。アメリカのベトナム戦争もまた、そうであった。」(『日本の国家機密』藤井治夫著より)

※柳条湖事件も、初めから作戦の一環で、昭和天皇も知っていた。決して軍の独走ではない。




●今の情報を公開しない姿勢は、戦前からずっと続いている!!
秘密保護法施行・・・何を政府はたくらんでいる?
防衛の名のもとに、軍事力は増強されている!!

特定秘密保護法はジャーナリズムに何をもたらすか(ラジオフォーラム#158)

ちょっと古いが、参考になる本なので紹介します。1972(昭和47)年10月9日初版藤井治夫著『日本の国家機密』より


第二章国家機密の構造

以上述べてきたように、「合意される取極」の効力は絶大なものがある。そうした取決めが数多くなされ、「極秘」文書とされているのである。安保条約関係で、このような取決めがどれだけ存在するかについて、国民の「知る権利」はいまだ有効に生かされていない。すべてが外交機密の名のもとに外務省の奥深く蔽いかくされているとしても、それらの取決めがどれだけ存在しうるのか、その範囲と事項を分析することは不可能ではあるまい。こうした作業がすすめられるよう期待しておきたい。


※南京大虐殺があったことは国民に知らせず(これも国家機密であったのか?)、陥落を喜ぶニュース映像!
南京陥落 東京の風景


※しかし、溥儀が恐れるほど関東軍が強くないことを証明したのが、1938年の張鼓峰(ちょうこほう)事件と1939年のノモンハン事件である。いずれもソ連との国境紛争で、関東軍は惨敗した。両事件ともソ連軍の戦車・航空機・大砲・兵員が、質量とも圧倒的に勝っていた。日本軍は2度の敗戦をひた隠しに隠した。『赤い夕日と黒い大地』(竹内治一著)

※日本は、ノモンハンの敗北を封印することに腐心する。帰還した将兵には緘口(かんこう)令を敷き、戦闘に参加した将校を自決させ、作戦を立案した参謀を更迭した。





●現在の日本
日本政府・天皇家は戦争犯罪をきちんと認めないから今の日本がある。今の日本はまた、八紘一宇の世界を目指しているのではないか?
平頂山、731・南京・毒ガス・細菌戦・・・等の戦争犯罪、日本の戦争犯罪はアジア全般にわたったが、特に中国では、731部隊などの石井機関で生体実験が行われ、細菌戦も実施された。また、毒ガスを多用し、残虐な殺害もした。アメリカは、中国からの情報を得て、それらを察知し、日本に非人道的な行為を止めるよう再三警告していた。それにより、日本軍の細菌戦と毒ガス戦の頻度は減ったが、アメリカ自身の受けた被害も相当だったために、アメリカは最後に実験的に原爆の使用に踏み切ったのではないか?これら非人道的な戦争犯罪(日本軍の行った大虐殺、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃、アメリカの行った原爆投下や無差別爆撃等)が東京裁判できちんと裁かれていればもっと今の世の中は変わっていただろう。戦後十分に裁かれないで、また戦争の深い反省もなく来たものだから、旧軍関係者がそのまま自衛隊や大学・製薬会社などに滑り込み、実権を握り、戦後も軍国主義思想が根強く残り、軍隊の復活、人命・環境軽視の医療、経済がそのまま進み、9条の形骸化、水俣病をはじめとする公害が多発、医療事故などが起こっている。そして戦争や原爆への批判が不十分だから、アメリカに取り込まれ、原発推進に走り、3,11が起こっても方針を変えられない。いや、日本は生物、化学兵器や核兵器を秘かに開発・研究している。今の社会は一見華やかに見えるが、秘密保護法が施行され、ますます国家機密の名のもとに秘密主義が蔓延し、思想・信条の自由は制限され、戦中のように報道規制が強くしかれ、政治・軍事・医療・教育・食料・建築・農業・・・で様々な分野で機密がまかり通り、企業機密、軍事機密、国家機密などによって、水俣病(1956年)や薬害エイズ(1980年代)、1.17の神戸・淡路大震災(1995年)、地下鉄サリン事件(1995年)、3.11の大震災(2011年)、福島原発事故(2011年)、などの被害が大きく拡がっている。


・731部隊は天皇の勅令で巨費をかけて作られ、人体実験、細菌兵器の開発をし、実際に細菌戦を行った!!
闇に消えた虐殺~731部隊・細菌戦の真実(テレビ朝日「ザ・スクープ」、1997年8月放送)


・住民は、アメリカ兵を虐殺した!それを見逃す警察、軍隊。当時の日本の状況がよくわかる。捕虜に対する国際法は全く無視されていた!生体解剖は、軍、大学がグルになってやった?個人の意思ではない?陸軍病院、大学病院、精神病院でもいろいろな人体実験がなされていたのでは?九大、京大、東大、慶大等は戦中の資料をきちんと公開せよ!!
九州大学生体解剖事件を語る



中国の陸軍病院でも生きた人間を使った「生体手術演習」が行われていた。戦時中の日本の病院ではどうだったのだろうか?
消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」






●南京大虐殺
・証言
1937年には家は夫子廟の文徳橋長生祠でした。家は5人で、夫と私に老いた姑と息子と2ヶ月余りの娘でした。
1937年の8月と9月とに、日本の飛行機がしょっちゅう爆撃に来て、爆弾を大中橋八府塘一帯に落としたので、市民は恐慌を来し、次々によそへ逃れました。その頃夫は市の衛生局で働いていたので、行くわけにはいかず、私が先に小さい娘を連れて避難しに実家の楊州へ行きました。12月の初めになり、日本兵がもう直ぐ南京に攻めて来そうで、市民がいっぱいごたごたと逃げ回り、夫は形勢を大変危険と見ましたが、楊州へ行く小さい汽船はもう停まってしまい、70歳の老母と病気の息子を引きずって、避難しに中華門外の田舎へ逃げるしかありませんでした。2ヶ月して、夫が田舎から様子を見に南京の家に帰ったら、家の中と隣近所とが何もかも取られてすっからかんにされていました。その時家にあった大箪笥や整理箪笥や長持ちの中の皮の外套や中国服や絹の衣服10枚余りに、重さ3銭の古い金の指輪2つが盗って行かれていました。大箪笥や整理箪笥の中にあった色々な銅の足あぶりや銅の手あぶりや銅の燭台や香炉などもそうでした。その他の家具什器は盗られていませんでした。何れも日本軍の銃剣でぶち壊されていました。そんな風で夫は生活しようがなく、又老母と息子を引きずって楊州まで逃げるしかありませんでした。楊州に着いて間もなく、8日の内に老母と病気の息子が何れも死にました。その頃、私が楊州に逃げて間もなく、日本軍が楊州へも攻めて来ました。あの時はもう逃げるべき道が無くて、男のかっこうをするしかなく、日本軍が親戚の人たちをたくさん強姦したり銃殺するのを目撃しました。半年後に収まってから私たちやっと南京に戻りました。
家の銃剣でこじり壊された長持ちは、その頃入り用だったので、今までずうっと取ってあって、ふたの所に日本軍に略奪された時の銃剣の痕が残っているのです。(呉麒が母の口述により記録)





昭和天皇・皇族はすべてを知っていた!!

ハーバード・ピックス著『昭和天皇』(上)より

第3部 陛下の戦争(1931年~1945年)
第9章 聖戦

日本軍が将来犯すことになる戦時虐殺の土台がこの時期に築かれた。・・・・・
1929年には、枢密院が軍の要求に応えて、ジュネーブ捕虜条約(1929年調印の「捕虜の処遇に関する条約」)の批准を保留した。枢密顧問官は、天皇の兵士は捕虜になる事を許されない以上、捕虜の処遇に関する条項は寛大すぎて実行できないという。陸海軍大臣と外務大臣の主張を容れたのである。・・・p171
・・・・・・・・

(南京大虐殺)
皇族は皆、大虐殺があり、軍紀が崩壊同然にあることを知っていた。そして、この皇族には、松井大将指揮による南京攻略戦で司令官を務め、虐殺が最も激しかった時点で南京駐在の最高級将校だった、皇后良子の叔父で50歳の朝香宮、関東航空本部長で、やはり皇后良子の叔父にあたる49歳の東久邇宮、参謀総長を務める71歳の閑院宮が含まれていた。もとより、杉山陸相も知っていた。大本営の多くの中級、上級将校も知っていた。衆議院議員で予備役の江藤大将も知っていた。外務省は確実に知っていた。外務省東亜局長の石射猪太郎(いしいいたろう)はその日記に、「上海から来信、南京に於ける我軍の暴状を詳報し来る、掠奪、強姦目も当てられぬ惨状とある。嗚呼(ああ)之れが皇軍か」と嘆いている。外交官であり、老練な中国通であった重光葵(しげみつまもる)は、その後、戦時中に特命全権大使として南京に駐箚(チュウサツ)した際に「南京占領当時の罪科を償ふ為め支那に善政を布くことを極力努めた」と記している。
したがって、近衛内閣は南京での強姦や強奪を知っていたが、多くの報告を受けていた天皇は知らなかった、というのはありそうもないことである。昭和天皇は指揮命令系統の頂点にあり、たとえその指揮系統にどんな欠点があろうとも命令のまさに初期の起点に位置する天皇が、上位、中位の段階での決定を知らずにいることは容易にありえないことだった。天皇は、あらゆる日本軍の動静を詳細に追っており、外信に目を通し、毎日、新聞に目を通し、そして、そのようにして知ったことについて、しばしば側近に質問をしていた。南京奪取と占領を裁可した最高司令官として、日本の精神的な指導者―中国の「膺懲」に正当性を与えた個人―としての天皇は、公にではないにせよ、軍紀崩壊に少しは関心を持つ義務を、憲法上はもちろんとして、最低限の道義的義務として負っていた。天皇は決してそれを行ったようには見えない。p290より


※南京事件の悪評に苦慮した日本軍上層部は、杉山元陸相、梅津美治郎(よしじろう)中将、今村均(ひとし)中将らを中心に1938年3月4日、日本軍のいる所に「慰安所」の設置を決め、通達した。しかし、日本内地の娼婦だけでは到底間に合わず、ついには朝鮮半島の若い女性たちが生贄(いけにえ)にされた。その発端は、「朝鮮の若い女性は性病がなく、危険が少ない」という麻生軍医の上申書であった。『赤い夕日と黒い大地』(竹内治一著)





世界初の「南京大虐殺辞典」出版される






●中国残留孤児問題!!(中国残留孤児の書いた奇跡の書「この生あるは」)

映画化したら、過酷な運命・そして中国人の人間愛がよくわかる!!
敗戦時3歳、この中国残留孤児の過酷な運命に対して、国はきちんと補償したのだろうか?
この本の中に、米軍が1950年代の朝鮮戦争時、北朝鮮に行った細菌戦に神経を尖らせている中国の一般民衆の生活や反核運動の様子が描かれている。
中国の恩に報いたいー半生記を出版した残留孤児 中島幼八さん

2016年1月18日記(武漢大学客員教授・日本記者クラブ会員)
残留孤児の一冊<本澤二郎の「日本の風景」(2238)
<「この生あるは」(中島幼八著)>
中国・新華社通信の友人に紹介された残留孤児・中島幼八さんの記録「この生あるは」(幼学堂)の日本語版を読んだ。その悲しい運命から、気が重くなる厳しい内容ゆえに、同じ時代を日本で生きてきた者には、とても興味を引く本である。人間は一人では生きられない、そのことを痛切に教えてくれる人間性のあふれる内容である。同時に「2度と侵略や戦争を起こしてはならない」ということを、日本の為政者に訴えている。全国の図書館に置いて、多くの国民が読むべきである。

<戦争は犯罪>
途方もない人生も、問い詰めてゆくと、そこに戦争の災いが見えてくる。人間を狂わせる戦争は、いかなる口実をつけても正当化できない。
「日米同盟がないと、だれが守ってくれるの?」「そのために自衛隊を差し出しても仕方ない」という意見を、ある信仰者から聞いたばかりだ。与党議員の受け売りを信じている婦人だ。戦前回帰を警戒しなければならない。

今も、人間の脳を改造する作業が、執拗に繰り広げられている。そのような人たちへの警鐘本が「この生あるは」ではないだろうか。
人々の平和の心を変身させる作業が驀進中だ。中島さんは、それに抗して戦後70年の2015年にこの記録をまとめて発表した。戦争は犯罪である。



発売元 亜東書店 03-3835-7091 
中国語版 北京三聯書店「何有此生」






●731問題
・日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか?
医の倫理は、向上すると思う!!

中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!!

夏草をふみしめ引込み線を歩いた
視界が不意に三角形に切り取られ
やがて歴史の暗渠(あんきょ)に足を踏み入れる
見上げれば天を突く巨大な残骸
ただれ崩れ落ち、悲しみの肉塊のように
灰色の空の下で泣いている
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より

日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア


混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)



・「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

第2部
沖縄失陥のあと


7月の半ば近くなると、第2部を主体に、各部から引き抜かれた部隊の10分の1ほどが、通化へ移ることになった。そして「731」は暫時通化へ移動するのだと言う噂が広まったのである。高木班から麻生雇員、教育部からは佐藤雇員たちが、それに加わった。それでも、移動の理由はただ、作戦に基づくものとだけ説明されていたから、私達はまだ日本の危機をはっきり感じてはいなかった。作業量が急激に多くなって、培養のために徹夜の日がまた多くなり、睡眠不足からの疲労のために、扱いなれた菌の操作を誤って、感染する者が増えた。
「生命(いのち)が惜しかったら気をつけろよ」
と、例によって辻塚軍医は、気味悪い注意を、それでも毎日のように私達に与えた。


厚生省・国民健康保険について(消えた細菌戦部隊より:常石敬一著より)
医務局長としての小泉の実績は、確かに先の、「意欲・鋭さ・執拗さ」という言葉に見合ったものとなっている。すなわち今日の厚生省及び国民健康保険法を作ったのが小泉であった。・・・・・・
健兵対策の一環として厚生省は設立されたのだった。こうした設立の経緯が、今日の厚生省の弱者に冷たく、福祉行政に消極的な理由となっているのかもしれない。
小泉親彦(ちかひこ)

※小泉親彦(ちかひこ)・・・陸軍軍医学校校長、陸軍軍医総監、陸軍医務局長、厚生大臣を歴任、毒ガス戦、細菌戦を積極的に推し進めた人物
1945年9月、自決。



真実を知ろう!!(権力側が流す情報にだまされるな!!)
細菌戦被害の人々

ガン治療のウラ 7/8


「輸血・点滴は受けてはいけない」船瀬俊介の船瀬塾


「悪魔の飽食」から「小食へ」(体質改善への道)
医師 甲田光雄2/6 ラジオ深夜便





●ハーバード・ピックス著『昭和天皇』(下)より
第13章 遅すぎた降伏
7月初旬、 駐日ソ連大使ヤコブ・マリクは広田元首相と行っていた要領をえない交渉を打ち切った。天皇はモスクワに特使を派遣し直接交渉することに強い意欲を見せた。しかし、天皇も、鈴木内閣も、ソ連にとって停戦交渉の調停を検討するに値する枠組みを具体的に提案しようとしたのではなく、ソ連は調停に関心があると勝手に思い込んでいたのである。対ソ交渉に見られた日本の終戦工作では、民衆の生命を守り窮乏に終止符を打つため平和を希求することよりも、天皇の政治的な地位や将来にわたる君主制の保障の方が、つねに重要だった。

瀋陽軍事裁判 「731榊原、満州国次長古海、皇帝溥儀等の証言、アヘン政策、三光作戦鈴木啓久 」




●『天皇の陰謀』

天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた


ディビット・バーガミニ 著
松崎  元 訳より

第三章

敗戦
(その1)

マニラへの特使

死の崇拝者が死にたえ、生の施策が熱望されるようになっても、日本は、占領軍とのコミュニケーション手段を無線以外には持っていなかった。こようとしていた侵入者は顔を見せず、その忌々しい計画の司令や指示を、モールス信号を通して与えてきていた。
天皇が降伏を放送し、マニラからのマッカーサーの命令に服するようになってから四日後の8月19日、陸軍の副参謀の河辺虎四郎は、日本軍爆撃機で沖縄に飛び、さらに米軍爆撃機でマニラ南西のニコラス飛行場へと飛んだ。12時間の飛行の後、彼とその随行員は、くすんだオリーブ色のアメリカ軍人の、あるいは、握手のために差し出した手を意図的に無視する者たちの、あるいは、日本の代表の困った表情に表れる恥のたじろぎとしこりの一切を記録に収めようとする休みないカメラの放列の、そして警察官の列の背後に立ち、日本軍兵士から過去数年間に受けた恨みを投げつけるフィリピン人群衆の、そうした人々の海の中へと降り立った。市内へと向かう車は、スペイン時代の城壁の一画を通過したのだが、そこは、ほんの数ヶ月前、日本帝国海軍陸戦隊の自殺的な若い日本人エリートによって、荒らされ、略奪され、強姦され、虐殺された場所であった。車が到着したのは、マニラ湾を見下ろすロザリオ・アパートメントだった。その宿泊所は快適だったがやはり歓待はなく、というのは、そこは、日本の陸戦隊員の一団と人質として捕えられたフィリピン女性が最後の数時間を過ごした場所であった。

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