2015年7月24日金曜日

731部隊(3)


※Internet Explorer よりグーグルクローム(Google Chrome)で見るとスムーズに画面が動きます。

●731部隊罪証記念館リニューアル・オープン
731部隊、新館オープン 中国ハルビンの展示施設


天皇や安倍首相、日本医学界の重鎮方!!この機会に、731部隊跡地を訪問し、過去の反省と謝罪を表明されてはいかがですか?
「日本の医学界も変えなければなりません。医幣のみ大きく、罪禍(ママ)山積、革新せねば医こそ癌です」
(元大阪医大学長、元1644部隊陸軍技師 山中太木)『細菌戦部隊と自決した2人の医学者』より




「旧日本軍の第731部隊の跡地発掘についての記者会見」が7月23日、黒竜江省考古学研究所は「旧日本軍第731部隊跡地の保護規則」沿った、2年近にわたる作業により、旧日本軍731部隊の跡地発掘調査は大きく進展したと明かした。最近実験室や牢獄、ボイラー室、貯水プール、動物焼却炉や細菌の弾薬に至るまで細かく調査、発掘を実施し、1000点あまりの戦争の遺物を出土した。中国新聞網が伝えた。
日本軍731部隊跡地から多くの戦争の遺物が出土
黒龍江省の旧日本軍731部隊遺跡、約2年の発掘調査で戦争遺品1000点あまり出土―中国メディア






1928年、田中内閣は化学・生物兵器禁止国際議定書(1925年調印の「窒素性ガス、毒ガス又はこれらの類するガス及び細菌学的手段の戦争に於ける使用の禁止に関する議定書」のこと。日本の批准は1970年)の批准を見送った。29年には枢密院が軍の要求に応えて、ジュネーブ捕虜条約の批准を保留した。枢密顧問官は、天皇の兵士は捕虜になることを許されない以上、捕虜の処置に関する条項は寛大すぎてとても実行できないという、陸海軍大臣と外務大臣の主張を容れたのである。(『昭和天皇』(上)p231)



中国で行った残虐な人体実験や細菌戦の遺族も同じような気持ちだろう!!
「卑劣さ、計画性など全てにおいて許さない。今までもこれから先も、望むのは娘を返してほしいということだけだ」
確か、この事件でも児童相談所の対応には問題があったはずだ!!
「全てにおいて許さない」=意見陳述後、遺族が会見―長崎




「60年談話より」
・・・・先の大戦では、三百万余の同胞が、祖国を思い、家族を案じつつ戦場に散り、戦禍に倒れ、あるいは、戦後遠い異郷の地に亡くなられています。
また、我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して
多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します。悲惨な戦争の教訓を風化させず、二度と戦火を交えることなく世界の平和と繁栄に貢献していく決意です。・・・

日本政府は、731部隊の存在は認めていますが、そこで行われた人体実験や731部隊が中国で行った細菌戦の事実を一切認めていません。
司法判断は、人体実験、細菌戦の事実認定しているにもかかわらずです。
特に、医学者や科学者は「731問題」に関心を持つべきでは?
戦時中、「八紘一宇」の名の下に行った残虐行為を反省しなければ!!
国連人権委員会(UNCHR)はなぜこの問題を取り上げないのだろうか?

731はアメリカ政府と日本政府が大いに関係しているから?

ドイツが許されて日本が許されない本当の理由/石田勇治氏(東京大学大学院教授)
歴史学者ら74人「侵略明記を」 70年談話で声明発表
日本の学者「過去を直視せずに未来志向は困難」
日本は戦後70年談話で歴史の過ちをはっきりと認めるべき―米専門家



あなたの祖父は中国で何をやったのですか?731・毒ガスとももちろん深くかかわった?
リチャード・コシミズ 満州アヘン人脈・売国のルーツ

「集団的自衛権」にこだわる安倍総理、その裏
安倍首相の祖父 偽満州国の次長としての写真


文科省が道徳を「特別教科」にするという。
その中で、【『国や郷土を愛する態度』については、「偏狭で排他的な自国賛美ではなく、国際親善に努めようとする態度につながっているか留意が必要」と記しています。】としているのだから、まずは国から731の人体実験、細菌戦、毒ガス戦の非を認め、謝罪しなければ!!
道徳 教科書作成の指針を公表

第3次家永教科書裁判で、最高裁は南京大虐殺、731部隊の記述は正当と認められた。
家永教科書裁判第3次訴訟 について

(731部隊に関しては以下の記述)
・「またハルピン郊外に731部隊と称する細菌戦部隊を設け、数千人の中国人を主とする外国人を捕らえて生体実験を加えて殺すような残虐な作業をソ連の開戦にいたるまで数年にわたって続けた」

・また、「731部隊国家賠償請求裁判」や「細菌戦国家賠償請求裁判」で、生体実験、細菌戦を裁判所は事実認定している!!
「731部隊国家賠償請求裁判」


細菌戦国家賠償請求裁判



ところが、いまやネットでは、731部隊南京大虐殺否定の記述が上位を占める。文科省は、なぜ、こういう記述を許している?また、自民党はなぜまともな教科書会社に圧力をかける?!


国、医学界は全く731のことを反省・謝罪しないまま、また、戦後の日本で731でやったことを行っている?
精神病院、乳児院、刑務所での人体実験・・・・公害の判定基準は、企業・権力より
また、新しいウィルス、ワクチンを作るのか?施設の老朽化、地震でウィルスが漏出したら?
「感染者の生命を守るため」の診断や治療を目的とした稼働に限定。(約束はいつも反故にされる)
危険性高い病原体扱えるBSL4稼働へ 武蔵村山の施設

感染研施設 完成34年で国内初の「レベル4」に

戦後、国立予防衛生研究所に多くの731部隊員が入り、歴代の所長にも何人も名を連ねている。そして国立感染症研究所に名前を変更。そこでは何が行われているのだろうか?
長崎大学のBSL4施設設置計画は白紙撤回を!

ALL JAPANでやったあの戦争の遂行責任者は誰であったのか?
世界征服をたくらんだ?
(ポツダム宣言)
六 我らは無責任な軍国主義が世界より駆逐されるまでは平和、安全、および、正義の新秩序が生じ得ないことを主張する。従って、日本国国民を欺瞞して世界征服の暴挙に出る過ちを犯させた者の権力と勢力は永久に除去する。


日本人は、ひたすら過去を忘れようとしている?

※この「談話」の中に、毒ガス・731部隊のことをいかに入れるか?
談話例)
我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。中でも、中国では731部隊等を設置し、強力な細菌兵器・毒ガス兵器を作るために多くの人々に残虐なる人体実験を繰り返し、またそこで開発した兵器を実戦でも使い、多くの人々の人生を奪ったことは、筆舌に尽くすことができません。心より反省し、ここに謝罪します。これからの日本は、2度とこのような過ちを起こさぬよう、憲法9条の精神に今一度立ち返り、軍備の縮小を図っていきたいと思います。・・・・

地図から消されていた広島県 大久野島の忘れてはいけない過去
NHKは「沖縄戦の全記録」をつくったが、「中国に於ける毒ガス戦・細菌戦の全記録」は作らないのだろうか?
痛み「70年消えたことない」=戦争被害、国に謝罪求める―沖縄戦訴訟・地裁
沖縄でも中国でも戦争被害に悩んでいる!!
たくさんの加害の事実があるのに一度も謝罪しなくていいの?(証拠を開示することなく隠すばかり)



731部隊の最後




731部隊の最後

731部隊の最後(2)

731の最後(3)


マルタの処理
1945年、40本のマルタを受領に日本領事館に行った。全員白系ロシア人であった。731についたら、通訳が「これから予防接種をするから一人ひとり降りてきなさい」言って、一人ずつ下ろし、形式ばかりの消毒をし、青酸カリを注射して殺した。
敗戦間際、百何本のマルタの在庫があった。731部隊ではマルタが飽和状態になり、要らないと言って日本領事館に返すわけにもいかず、それで殺して処分したことがあった。


「マルタの処理」



ペストノミの増産計画
731部隊でネズミ300万匹の大捕獲作戦が始まった!!
「1945年3月、再び731部隊に帰任した石井四郎部隊長は、・・・・同年5月、部隊幹部を集め「日ソ開戦は必至の情勢・・・これより731部隊の総力を挙げて、細菌とノミ、ネズミの増産に突入する」という、有名な“増産訓示”行った。実験段階は終わった。あとは細菌戦実施の「Xデー」を目指し、一路増産あるのみと発破をかけたのである。
すでに731は、ペスト菌の乾燥保存―乾燥菌製造技術を開発し、通常ペスト菌の60倍の毒性を持つ変性菌まで産出していた。」(『悪魔の飽食』p271~272 森村誠一著より)
「ネズミは餅」「ノミは粟(あわ)」という隠語

シンガポール9420部隊の場合







ペストノミの増産計画(岡9420部隊)




細菌戦被害の村(崇山村)









細菌戦被害の村(崇山村)





731の秘密兵器PX(ペストのみ)







ケオプスネズミノミ(メス)

ケオプスネズミノミ(オス)
ケオプスネズミノミ(日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
昆虫綱ノミ目(隠翅(いんし)目)ヒトノミ科に属する昆虫。インドネズミノミともよばれ、全世界に広く分布する。日本では奄美(あまみ)大島以南の温暖な地方に多い。体長は雄2ミリメートル、雌3ミリメートルほどで、ヒトノミにきわめてよく似た形態をしている。クマネズミ、ドブネズミなどイエネズミ類に多く寄生し、ペスト菌伝播(でんぱ)の主要害虫として知られる。本属のノミは世界に約60種いて、ペスト菌の媒介に関与するものが多い。20世紀の初め日本でのペスト流行の際には、本州、四国、九州の諸都市のイエネズミ類で、本種の寄生率が高くなった。このように、ケオプスネズミノミなどのノミの平均寄生数(ノミ指数flea indexとよぶ)が大きな値を示すときには、ペストの流行に配慮が必要とされる。[阪口浩平]

細菌兵器 ペストのみ(PX)






安達(アンダー)実験場






安達(アンダー)実験場

黒い太陽 731 安達(アンダー)実験場





(姉妹部隊)北京1855部隊
甲1855部隊
コレラ作戦(済南支部)





コレラ作戦









北京1855部隊済南支部崔証言



寧波(にんぽー)細菌戦





寧波細菌戦防疫証言

寧波細菌戦

寧波細菌戦被害者証言

細菌戦を検証する!

寧波細菌戦証言




感染実験

戦後、アメリカは科学者を日本に4回派遣。731部隊の責任を問わない代わりに研究データを独占した。
報告書には実験に使われた細菌の種類、そしてアメリカの調査に協力した731部隊員の名前が記されている。
炭疸菌(たんそ)、コレラ菌、ボツリヌス菌、ふぐ毒、ペスト菌、破傷風菌など実験に使われた病原体は実に20種類以上に及んでいる。
1992年NHK取材班がダクウェイ基地で発見した人体標本、その数400体以上にのぼっている。
皮膚から感染させたもの、食べ物を通したもの、呼吸器から感染させたものなど感染経路ごとに人体の変化の様子が調べられた。
甲状腺、肝臓、リンパ節、肺、脊椎・・あらゆる臓器が取り出され病状がつぶさに観察された。それらはすべて生体解剖によるものであった。
(証言)クロロホルムで少し眠らせて・・・
・・・・生きているから血が出る。・・・・水道栓の栓を取ったときよりも、もっとすごい。圧力があるから・・・
「叫んだ人いない?」・・・「言われない」・・・「ロシアの人、中国の人?」・・・「中国の人」・・・
「子どもがあるだろ」「子どもだけは助けてくれ!!」

※解剖は、中国人、ロシア人、朝鮮人・・・だけではなかった。感染して死んだ日本人も解剖された!!

(死んだ日本人だけか?篠塚さんの本には、生きた日本人も解剖されたことが載っている!!)








生体解剖証言(1)

731細菌戦部隊 1(前編:プライム10)




「特移扱」(とくいあつかい)
「マルタ」を「731」に送ると、それ以外に使わない!!

731部隊専用の言葉であった。

731部隊はさまざまな人体実験を繰り返した。
その中心は、感染実験であった。
ペスト・チフス・コレラなどの病原菌を、注射などにより体内に入れ、臓器にどのような変化が起きるか、毒力がどの程度強まるかなどを死に至るまで観察した。








元憲兵隊員の証言「特移扱」




川島清尋問調書より(ハバロフスク裁判)
「731部隊は天皇裕仁の密勅により1936年に組織された。はじめの部隊の配置はハルピンに決定され、陸軍大臣の命令により731部隊長に石井四郎軍医大佐が任命された。天皇の勅令は、731部隊の総務部長として任務に就いていた期間、部隊の関係書類の中にあるのを自分で見たが、その文書の体裁や詳しい内容を再現するこは、当時からこれまでかなりの時間が経過したため、今はもうできない。・・・」

Чем Кавасима Киеси допроса рабочие документы (Хабаровск) пробные
"Отряд 731 был организован в 1936 году Mitchoku императора Хирохито. Размещение начала войск определяются в Харбин, армии Исии Сиро хирург полковник длине 731 войск по указанию министра был назначен. Император указа , период был прикреплен к миссии в качестве генерального менеджера из 731 военнослужащих, было видно, с их собственным, и некоторые из в досье войск, ребенок не воспроизвести документ презентации и подробным содержанием, значительного времени с того времени до сих пор Там для прошел, это не возможно больше. ... "










731部隊とは(「細菌戦部隊731」より)




・人体実験と細菌戦の関係
「動物体を通した方が感染力が強い。」
・・・
「だから、全部切り刻んじゃう。」
「内臓を全部取り出すんですか?」
「そうです」





生体解剖証言



「凍傷実験の映画を見たり」
「然り、見たり」
ロシアの資料〈1993年8月12日、TBS「ニュースの森」)






凍傷実験「細菌戦部隊731」より


凍傷実験(吉中講演)(2013年、明治大学)


凍傷実験(黒い太陽)




731部隊員証言

毒ガス実験証言





「ABC企画NEWS第96号」より

731部隊は、516、526部隊(毒ガス戦部隊)、陸軍習志野学校と協力して毒ガスの人体実験も行っていた!!いったい何人がその実験の犠牲になったのだろうか?
毒ガス実験【731】


中国人を「チャンコロ」と呼んで、人間として見なかった!八紘一宇の世界とはこんなもんだ!!(日本民族の優秀性?)こわい!!
毒ガス証言1


「催涙ガスを打ち込んで、逃げ出す村民を撃ち殺し皆殺し。婦女を強姦しようとして失敗したら、婦女を井戸の中へ落とした。そしたら、小さな息子がママを追って井戸の中へ身を投げた。そこへ手榴弾を投げ込んだ。」「天皇の軍隊=皇軍」とは、恐しい!!
毒ガス証言2


暴かれる毒ガス戦の真実


1981年の「毎日新聞夕刊)
「丸太」の中に68歳の中国人だ男性がいた。この人は731部体内でペスト菌を注射されたが、死ななかったので毒ガス実験に連れて来られた。ホスゲンを浴びせても死なず、ある軍医が血管に空気を注射した。すぐに死ぬと思われたが、死なないのでかなり太い注射器でさらに空気を入れた。それでも生き続け、最後は木に首をつって、殺した。・・・

毒ガス実験【旧陸軍のアウシュビッツ】・・・731部隊と516部隊(関東軍化学部)の合同実験

上にある記念写真の中央に座っているのは誰だ?皇族か?


毒ガス実験について

斉藤美夫関東憲兵隊司令部警務部長(特移扱担当の最高幹部 ※特移扱(とくいあつかい)・・・731の人体実験の材料?としておくること)1956年の書き足しには次のようにある。
「押送された人員の中で30名はハルビンで下車させられ、石井部隊の細菌化学生体実験に供せられた。孫呉に下車させられた押送人員60名のほうは、習志野学校(ガス部隊)と石井部隊の協同による毒ガス弾効能実験に当てられ、その特別演習に供せられた、ということを後に白濱大尉の事後報告によって知った、と付け加えている。」

NPO法人 731資料センター会報10号より


大久野島で、毒ガスを作っていることは、動員された女子学生には、知らされなかった!!
大久野島のことを改めて考えるようになったは東京で起きた「地下鉄サリン事件」がきっかけだった!!
「毒ガス・サリンのあの事件で初めて自分のしたことを知りました。ショックと言いますか、残念でしたね。私たちもあんなことをしたんだねぇ。実際に作ったのではないですが、作る島に奉公したことは、見るに見かねると言いますか、残念でしたね。つらいと言いますかねぇ・・・」
大久野島3(毒ガス)


地下鉄サリン事件の犯人は逮捕され、裁かれた。麻原のマインド・コントロールによって、旧日本軍のまねをしたのでは?
戦前、戦中の日本では、文部省・特高(特別高等警察)によって、天皇制軍国主義に国民がマインドコントロールされ、強制的に天皇教に帰依させられた。そして、人道上許されぬ犯罪を犯した。が、しかし、旧日本軍の731部隊員等細菌戦関係者・毒ガス製造者・毒ガス使用者や指令を出した軍部・皇族・天皇は裁かれたのか?誰ひとり裁かれなかった!!
「地下鉄サリン事件」ザ!世界仰天ニュース


●毒ガス兵器製造でたくさんの被害者が出るのだから、使用して毒ガスにさらされた人はいかに苦しむ事か?日本人なら国の補償も出たが、中国の被害者は誰が補償する?被害者は何万人?何十万?戦後も苦しみながら、人生は台無しだ!!
大久野島(毒ガス)1


まだ、戦争は終わっていない!中国・日本に於ける遺棄毒ガス弾の被害!!
まだ、戦争は終わっていない!孫永剛j君(1996年4月)の手紙



旧日本軍化学兵器の存在状況[編集](ウィキペディアより)
中国には第二次世界大戦期に日本軍が保有していた化学兵器が残存しており、これらが日本軍の遺棄に由来するものであるとされ問題となっている。第二次世界大戦期の旧日本軍は、中国に関東軍化学部(通称号:満州第516部隊)や特種自動車第1連隊などの化学戦部隊を駐留させており、各種の化学兵器を満州を中心とした地域に集積していた。終戦までに生産された化学兵器の総量は、「きい剤」と呼ばれたマスタードガスやルイサイトなどのびらん剤砲弾約63万発、「あか剤」と呼ばれたジフェニルシアノアルシンなどのくしゃみ剤砲弾約125万発、同発煙筒266万個、そのほか「みどり剤」と呼ばれた催涙剤のクロロアセトフェノン(CNガス)などがある。一部は訓練や日中戦争の実戦で消費されたものの、大部分は使用されないまま終戦を迎えた。終戦時点で中国を含む日本国外に存在した化学兵器の量は、びらん剤砲弾2万-12万発・くしゃみ剤砲弾72万-88万発・同発煙筒125万個などと推定されている。

1997年に発効した化学兵器禁止条約は、1925年1月1日以降に他国の領域に同意なく遺棄された化学兵器(老朽化して使用不能となったものを含む)について「遺棄化学兵器」と定め(2条6項)、現存地の管理国だけでなく、遺棄を行った国にもその廃棄を義務付けている(1条2項、3項)。処理ルールは検証付属書第4部(B)が規定しており、遺棄を行った国が全ての必要な資金や技術などを提供し、遺棄された国は遺棄化学兵器の廃棄に協力する。遺棄化学兵器が存在する場合には、締約国は速やかに化学兵器禁止機関(OPCW)に申告すべきとされている。原則として発効から10年以内の廃棄処理が求められる。



遺棄毒ガス問題ポータルサイトより
◇平和な現代に起きている毒ガス被害事件
戦後,中国ではこれまでに,およそ2000人が遺棄毒ガスの被害に遭い,2003年から2005年にかけても計49名(うち1名が死亡する)が被害に遭っています。
日本でも,2003年茨城県神栖市で,井戸水から毒ガス原料が発見され,住民の方々が被害に遭っていることがわかりました。2005年に地中から発見されたコンクリート塊が汚染源と考えられています。
日本鬼子のおきみやげ(毒ガス)

日本軍の毒ガス被害

毒ガス裁判

原告敗訴

沖縄毒ガス




●1941年に日本軍は大量のペスト菌で汚染されたノミ、米、綿を空中投下したため、常徳権県庁所在地及び郊外農村でペスト病の大規模な流行を引き起こした。



・「旧日本軍による細菌戦に関する中国民衆の戦争記憶」
東京女子大学教授:聶莉莉(にえりり)
常徳細菌戦


・日本軍は常徳だけでなく、農安、農安大賚(のうあんだいらい)や衢県(くけん)廣信(こうしん)、廣豊、玉山などでも細菌戦を行った。
中国に於ける旧日本軍の細菌戦


中国の被害者も同じ心境では?
沖縄戦、心の傷深く 体験者65%「今も思い出す」

闇に消えた虐殺~731部隊・細菌戦の真実(テレビ朝日「ザ・スクープ」、1997年8月放送)

●日本政府は731部隊で行われた人体実験、またそこで製造された細菌兵器によって中国で行われた細菌戦について公式に認め、謝罪しないのですか?安倍首相もよくご存知だと思いますが?
戦後70年談話で「謝罪の必要なし」、有識者会議の西室座長
フランスのメディア:日本側の懺悔は足りない



日本政府の731部隊に関する今までの見解(一部)

2012年社民党の服部良一議員が行なった質問に対する、当時民主党の野田佳彦総理が行った国会答弁である。
(提出された質問書と答弁書より)
(質問1)アジア歴史資料センターが公開している昭和十七年九月二十二日付けの陸密第二七八五号で陸軍省副官川原直一が発した「不健康業務加算ニ關スル件陸軍一般ヘ通牒」には「關東軍防疫給水部(大連出張所ヲ含ム)ニ於ケル左記ノ危險ナル細菌ノ研究檢索並ニ診断液又ハ豫防液ノ製造業務ハ大正十三年内閣告示第二號ノ第二號末項ニ該當スルモノトシテ本年九月十六日内閣恩給局長ノ指定アリタルニ付同部隊ニ在リテ直接該業務ニ從事スル公務員ニ對シテハ右指定ノ月以降恩給法第三十八條ノ不健康業務加算ヲ為シ得ル儀ト承知アリ度左記コレラ菌、ペスト菌、チフス菌、パラチフス菌、赤痢菌、流行性脳脊髄膜炎菌及其ノ他危險ナル病原細菌」との記述がある。
1、右の「危險ナル細菌ノ研究檢索並ニ診断液又ハ豫防液ノ製造業務」で、七三一部隊が行っていた業務とはどのようなものか。細菌の培養やワクチン製造を含むのか。また、右の「其ノ他危險ナル病原細菌」で、七三一部隊で取り扱っていた細菌とは何か。炭疽菌、鼻疸菌、結核菌を含むのか、以上明らかにされたい。


(答弁1-1)いわゆる七三一部隊が旧日本軍の関東軍防疫給水部のことであることは、防衛研究所戦史研究センター史料室が保管している旧日本軍の関連資料から明らかとなっている。
しかしながら、外務省、防衛省等の文書において、関東軍防疫給水部におけるお尋ねの「研究檢索」、「製造業務」及び「其ノ他危險ナル病原細菌」の具体的内容を示す資料は現時点まで確認されておらず、お尋ねにお答えすることは困難である。


※日本政府は資料を確認しようする努力は全くせず、反対にずっと隠している!!

(参考)
満州国で安倍の祖父・岸信介もアヘンで大儲けし、巨大な富を築いた!生体人体実験の731部隊の指揮も岸信介

天皇は知っていた!!(積極的に関与していたでは?)


大本営作戦主任参謀朝枝の証言


戦犯免責の過程


「ミドリ十字」という会社



ウィキペディアより
内藤の起業した日本ブラッドバンクは、当初は輸血用血液の売買を主とするものの、各地に中小の血液銀行が乱立し、 競争が激化するに連れ人工血液製剤への移行を模索した。
ライシャワー事件から売血批判が巻き起こり、1964年8月28日の閣議決定により、血液銀行の業務が日本赤十字に一本化された。路線転換を迫られた内藤は、人工血液と血液製剤への移行を模索する一方、社名を創業以来の社章だった「緑十字形」からミドリ十字に改称した。
1996年8月から10月に帝京大学医学部附属病院の医師だった安部英、ミドリ十字の代表取締役だった松下廉蔵・須山忠和・川野武彦、厚生省官僚だった松村明仁が業務上過失致死容疑で逮捕・起訴された。(薬害エイズ事件)1986年1月に加熱製剤の日本における販売が開始され、十分な供給量を確保することが可能となったにもかかわらず、非加熱製剤の回収などの措置を講じなかったとして2000年にミドリ十字の3被告人に実刑判決
ミドリ十字は、血液製剤の企業として安定した収益があり、合併先には大手製薬会社の名前も取りざたされたが、吉富製薬と合併して法人格は消滅した。その後、医薬品業界の大規模な再編が進む中で三菱ウェルファーマとなり、医薬品業界の合併を経て現在は田辺三菱製薬となっている。


一方、裁判所の判断は
・1997年の家永教科書裁判第3次訴訟では、最高裁で731部隊の記述は正当と認められた。




・証拠もある
731部隊で行われた人体実験


医師・金子ー順-論文の発見

731部隊幹部が人体実験で京大博士号

15年戦争と日本の医学

・731部隊に関する書籍、テレビ報道で国民は事実を知っている!!
天皇の裁可した軍令に基づいて!!
731部隊


・中国政府も化学兵器と生物兵器の被害国であることを訴えている!!
化学兵器と生物兵器の全面禁止と徹底廃棄を

中国は生物兵器を持っていないが、かつて生物兵器の被害国である。中国は、生物兵器の全面禁止と徹底廃棄を主張し、いかなる国も生物兵器を開発、生産、貯蔵することに断固反対し、いかなる国がどのような方式にせよ、この種の兵器とその技術を拡散することにも反対する。「生物兵器禁止条約」締約国として、中国は自らの担う義務を真剣かつ全面に履行するとともに、「生物兵器禁止条約」と関係ある信頼醸成措置面のデータと状況を逐年国連に報告している。


防衛医科大学校の教官も認めている!!


・米国陸軍感染症研究所のホームページにも載っている!!
生物兵器被害者医療管理ハンドブック(抄訳)
1937年には日本軍が生物戦計画を始め、満州国奉天近郊に731部隊と呼ばれる研究施設を設立した。石井部隊は1945年まで研究を続け、施設は焼き払われた。部隊は多くの菌を研究し、戦争捕虜に人体実験をおこなったことが戦後判明した。1000体近くの人体実験がなされ、多くは炭疸吸入によって死亡している。3000人にのぼる中国人がここで犠牲となった。さらに、飛行機からペストに汚染したのみを散布し、中国、満州にペストの流行を引き起こした。日本軍は、爆弾用として、400㎏の炭疸菌のストックを持っていたと言われる。


●731部隊の証言者
笠原四郎のような731部隊で行われていた事を証言してくれる医学者が、もう1人いたら、日本医学界は大きく変わっていたかも知れない?
笠原四郎証言

篠塚良雄証言

三尾豊証言(元憲兵)

731部隊員の証言 1

731部隊員の証言2

731部隊員の証言3


佐世保の女子学生や名古屋の女子大生は、731の何らかの本を読んでいたのだろうか?生体解剖したり、タリウムを飲ませたり・・・731を想像してしまう。
ペスト菌、コレラ菌、チフス菌・・などを中国に撒き、生体解剖をしていた部隊を。
佐世保女子高生殺害事件
被害男性、女子学生の名挙げる=タリウム混入捜査で―容疑者と判断せず・宮城県警


●731部隊について、多くの書物・証言・映像などがあり、また、「731部隊展」や1980年代~2000年代の初めまで、裁判もあり、国民の多くはその様子を注視し、事実である事を知っている。
中国では、いろいろな史料が公開され、731部隊の建物も復元されるつつある。密約があったとしても、この事実は隠せない。
ところが、政治というものは、本当にこわい。敗戦後米国に全ての731部隊の研究資料を渡すことを条件に、米国は昭和天皇と731部隊等の細菌戦の部隊員の戦争責任を問わないという裏取引をし、日本・米国にとって都合の悪い事実を隠蔽し続けている。
今回の安倍の訪米を見ていて、つくづくそう思う。政権を再び奪取すると、すぐに秘密保護法を作り、731の史料を確実に隠せるようにする。訪米前の日本医学会総会では、731の事は公然の秘密として、今までと同様に絶対に取り上げさせなかった。そして、訪米し、天皇制護持と731の密約、同盟の強化を再確認すると、あの戦争に一番深く関係した裕仁(ヒロヒト)の誕生日に、日本の総理大臣として初めてアメリカ議会上下両院の合同会議で行った演説を行った。(いくらロビー活動にお金をばら撒いたのか知らないが、もしかしてオスプレイ17機購入や横田への配備は演説した事への見返りか?借金は膨らむばかり)その演説の中身では、米国従属と取れる安全保障関連法案を今夏までに成立させると明言してしまった。それは、日本の国会で全く審議もしていない法案であり、成立を約束するなど国会無視の言語道断の暴挙だった。これからはますます密約は守られ、天皇制は安泰で、情報開示は難しくなり、日米軍事同盟は強固となり、原発再稼動でリニア開通、東京オリンピックと進むとなると、沖縄をはじめ環境破壊がますます深刻となり、放射能・戦争の危険性も高まる。
731部隊等に関し、日本の医学者(ノーベル賞受賞者、東大、京大の先生等々)からの謝罪、反省はもちろんなし。お国の為に、医学の発展の為にやった?


“地獄の沙汰も金次第”とはこのことだ。731で残虐な事がいくら行われようと、関係ない。金と権力を持っていれば、何とでもなる。
実証主義も関係ない?密約を結び、情報を隠してしまえばそれでいいのか?正義も道徳も倫理もないのか?




731部隊の罪を暴き続ける、ペスト被害の生存者たち





特別取材:日米は731部隊の細菌戦の罪を密かに覆い隠している―日本人学者、近藤昭二氏を取材
【新華社東京4月27日】日本のNPO法人「731部隊・細菌戦資料センター」の共同代表、近藤昭二氏が近ごろ新華社記者の取材に応じた際、日本は戦後米国に全ての731部隊の研究資料を渡すことを条件に、米国は昭和天皇と細菌戦の責任者の戦争責任を問わないという裏取引を行っており、今日まで日本と米国はまだ関連史料を公開していないと語った。

近藤氏は次のように語った。日本への戦後統治を順調に実現させるため、米国は日本の天皇制を維持させる必要があった。天皇の戦争責任を問わないという点で、日米は利益において合意に達していた。同時に、ソビエト連邦に対抗する必要により、米国は731部隊の研究資料がソビエト連邦の手に渡るのを見たくない。石井四郎(731部隊の創始者)はこの機に乗じて米国に交渉を持ちかけ、この裏取引が最終的に成立させた。日本は全ての731部隊のデータ資料を米国に渡し、また米国は昭和天皇と石井らの責任を問うことはなかった。

「私はかつて極東国際軍事裁判の審判に参与した米国人検察官と自ら話をしたことがあります。その検察官の話によると、東京に到着する前に、彼の上司であるキーナム(音訳)氏が天皇の戦争責任は問えないと伝えていたと言っていました。米国は最初から天皇制の維持を決めていたんです」と近藤氏は語った。

近藤氏は、細菌や毒ガスなどの生物・化学兵器は経済的且つ実利的で、銃砲と比べ殺傷能力や致死率が高く、自然資源の乏しい日本にとってはたいへん魅力があった。当時、国際社会では細菌兵器や毒ガスの使用禁止が取り決められていたが、日本は厳守しなかったと指摘している。

近藤氏は「生物・化学兵器の研究は非常に危険で、その濫用を阻止できるのはつまり倫理です。倫理の厳格な制限がない場合、戦時に731部隊が行った細菌戦が繰り返されないとはとても保証しかねます」、「私たちは必ず厳格な審査機関を設立することで関連の研究が生命理論に合っているかを監督しなければなりません。そして過去の歴史に対して厳格な検証を行うことが、ちょうど倫理体制を構築させる重要な材料となるのです。」と語っている。


731部隊めぐる日本と米国の密約、ジャーナリストの近藤昭二氏語る
・・・・また、「当時、中国の東北地域に設置された捕虜收容所には、米国人捕虜もおり、731部隊軍医の実験対象になった。それにより死亡した米国人も、後遺症が残った米国人もいる。戦後、それら米国人兵士は経験したことを、米国政府に訴えたが、米国は日本との密約があったため、それらを覆い隠した」という。
近藤氏は、「米国が、自国の兵士も731部隊の迫害を受けたことを知っていたにもかかわらず、それを覆い隠し、密約を交わしたことを、世界に知られたとすれば、結果は大きく変わっていた。米国政府にとって不利になる。現時点では推測にすぎないが、日本にとっても、米国にとっても、731部隊の事は秘密にしておきたい問題。今でも密約は密約で、両国ともに関連の資料を公開することは今後もないだろう」との見方を示している。

日本で医学シンポジウムを開催、731部隊などの医学犯罪問題について討論す
日本の「医の倫理」-過去・現在・未来-企画実行委員会は12日、京都で医学シンポジウムを開催し、日本の医学界が現在、中国侵略旧日本軍第731部隊の悪行を含む医学犯罪を消極的に隠蔽する姿勢に疑問を投げかけ、学界が戦時中の医学犯罪を検証し、歴史の事実を直視することで、医学界の医学倫理に欠ける現状を是正するように呼びかけた。



●細菌戦資料発掘の旅(6)-ロシア編(近藤昭二)より
旧KGBの資料室に残されている吉房虎雄の個人ファイルNo.24238より
・1949年のハバロススク裁判開廷に向けての吉房虎雄のソ連の調書
吉房虎雄・・・1941年9月~42年3月関東軍憲兵隊司令部諜報責任者(第3課長)

1949年10月29日    ハバロフスク市  尋問開始 17時15分
・・・・
飛行機の飛行を見学した後、私たちは飛行場に立ち入らなかったので、石井部隊がどのような構造の飛行機を保有していたのかは分かりません。飛行場を後にした私たちは、部隊の中心となる建物に向かい、1階の廊下に入りました。そこで石井中将はある1つの薄暗い部屋に入り、私たちに30cm×50cmくらいの大きさの木箱を見せ、蓋を開けました。私は箱の中に大量のノミがいるのを見ました。石井中将は私たちに、これは最強の細菌剤増殖体である、なぜなら細菌に感染したノミは殺傷能力があるからだ、と説明しました。廊下を歩いていると、床に座っている3人の中国人がいて、彼らは先が壊疽した両腕を前に突き出していました。石井中将は私たちに、この中国人らには、人工的に腕を凍傷させる実験と、その治療を行った、と説明しました。もう少し進むと、石井中将は私たちにある1つの部屋を示しました。その部屋には12~14人の人がいましたが、私はどこの国籍かは気に留めませんでした。石井中将は私たちに、これは憲兵隊によって送致された原材料で、細菌実験に使うと説明しました。廊下をさらにもう少し進んで左へ曲がると、私たちはある部屋に出ました。その部屋はすべての壁が、ペスト、チフス、コレラやその他様々な細菌が拡大して描かれた絵と、細菌感染した人間の体の様々な部位が描かれた絵で埋め尽くされていました。その絵が並ぶ様には仰天しました。石井中将は私たちに、これは部隊内の研究室で培養されている細菌と、それが人体に及ぼす影響を描いたもので、その人体実験も部隊の中で行っている、と説明しました。私たちの石井部隊の建物内部の見学はここで終わりました。建物から出るとき、石井中将は原少将に、部隊の細菌の在庫を製造する生産性は、多くの点で憲兵隊の運営と部隊に提供される人間の数にかかっている、その人間達は、彼の言葉によれば、来たるべき対ソ連細菌戦争にとても必要である、とはっきりと伝えていました。・・・・・

これか?
荒原城堡731第3集 「壁にペスト」


・1956年の瀋陽特別軍事法廷の吉房虎雄の供述調書より
抗日愛国者多数を細菌戦の試験材料として虐殺す。
私は1941年9月より1942年3月の間に各憲兵隊長より申請してきた抗日愛国者約90人(1942年1年間145名の実例より推定す)を石井部隊731部隊に送致し同部隊をして細菌戦試験材料として極めて残虐なる堵殺を行わしめました。又同隊が菌培養のために使用するネズミ採取に対してハルピン憲兵隊をして協力せしめました。・・・






●国策と犠牲




731部隊めぐる日本と米国の密約、ジャーナリストの近藤昭二氏語る

「731部隊はどこまで明らかになったか、この部分はまだ謎」
4月26日近藤昭二講演 001

4月26日近藤昭二講演 002

4月26日近藤昭二講演 003

4月26日近藤昭二講演 004

4月26日近藤昭二講演 005


●真相40号

真相第40号【1950年(昭和25年)】4月1日、日本の政治思潮が右に揺れた時期さえ、諷刺雑誌はスポットライトのもとで脱帽する天皇を人骨の上に立たせた。アメリカの政策が、極東軍事裁判で天皇を戦犯として起訴することは防いだものの、少数とはいえ無視できない数の日本人は戦争中の重大な誤りを知っていて、決して許そうとはしなかった。(三一書房「真相 復刻版」より)
※GHQと関係があった二木秀雄の「政界ジープ」は、731の事を書いても、お咎めなし。それに対して「真相」が731の事を書くと、編集者はCIC(対敵情報局)に拘束され、「2度とこのようなことは書くな」と脅された。この違いは何か?
写真は「真相40号」よく見ると「生きている細菌部隊」というタイトルがある。

※下記のビデオでは、28分45秒あたりから真相の解説があります。
4月26日近藤昭二講演 001





●敗戦前から敗戦後の流れを想像してみると?
・東京大空襲のみならず、地方の各都市も空爆にあう。また最悪の地上戦沖縄。そして、原爆だ。どうしてご聖断?(敗戦)が遅れたのか?その答えは、国体護持(天皇制存続)のためだ。このために多くの人たちが犠牲になった。731では施設の破壊と同時にマルタと呼ばれる人たちを全て殺して、隊員はいち早く日本へ引き揚げた。(国体を護持するための証拠湮滅)
・アメリカは、戦争中から日本人が天皇を神とあがめている事を知っていた。それを利用して占領統治円滑に進めようとした。日本とアメリカは敗戦前から、交渉を極秘にしていて、日本政府も空襲の事、原爆投下の情報をあらかじめ入手していた。そして広島に原爆が投下されるときに、畑俊六(当時第2総軍司令官)に第2総軍を広島に集めさせ、敗戦後に日本で天皇制打倒の反乱が起きないように壊滅させた。
・広島に原爆が投下されると、アメリカに心象をよくしようと日本医学者(石川太刀雄丸等、731からも参加)が現地に入り、原爆の被害状況(核兵器の破壊力・人体に対する影響)を調べて181冊の報告書を作成し英文にしてアメリカに敗戦後渡した。(治療はほとんどしない、731の免責をねらう)
アメリカは、原爆の被害の実態の公表などの報道を全て統制し、隠し続けた。治療は行わずABCCを発足させて、731関係者なども参加させて、人体に対する放射能の影響を極秘に調べた。「日本は核兵器の非人道的な訴えを国際社会に向かって発言しない」ということも731の免責をする条件の中に入っていたのでは?

平和とは人間の生命を 尊ぶことです。


(参考)「日本のいちばん醜い日」p524~525
次に藤田尚徳の「侍従長の回想」を引用する。蓮沼侍従武官長の奏上を聞く場面である。

陛下には蓮沼侍従武官長から奏上したが、〔略〕新型爆弾については、特別なおたずねはなかった様子だったが、広島市全域の報に、陛下は深い憂慮の色を浮かべておられた。〔略〕8日朝、東郷外相が決意の色を浮かべて参内してきた。そして御文庫地下壕の御座所に進んだ外相は、原子爆弾に関する米英の放送を詳細に言上すると、陛下は原子爆弾の惨害をよく知っておられ、次のように、一刻も速やかに和平を実現する事が先決問題である点をお示しになった。

天皇は原爆についての知識、投下の日、その場所を前もって知っていたはずである。ヨハンセン(吉田反戦グループの略)・グループはスティムソン陸軍長官の極秘情報をグルーを通じて入手し、その都度天皇に報告していたからである。
では、どうして8月6日なのか。それは、この日までに、スイスの赤十字経由で天皇の貯蓄が無事処理を付けられる見通しがたったからである。
東郷茂徳も天皇から“急げ”と告げられ、赤十字との交渉を急いだ。グルーはヨハンセン経由で天皇に8月6日の原爆投下の予定を告げていた。東郷茂徳は8日、天皇に会い、最初に「無事にスイスの件はうまく処理できました。当分資産は凍結されますが、遅くとも3~5年後には凍結を解除してくれるとスティムソンが申しております・・・」と言ったはずである。それから天皇と原爆を“天佑”として終戦工作に入るべく相談したに違いない。(以上、引用)


8月14日から15日には宮城で某宮様が中心となって偽装クーデターを起こさせ、近衛師団長を惨殺し、偽命令を出したが第1総軍がおさえた。そして阿南(あなみ)陸相を自決させ、降伏の段取りをした。(天皇の敗戦の段取り?)

マッカーサーの主張などによりアメリカは、秘かに天皇制護持を容認し、日本の占領政策を円滑にいくようにして、731などの戦争犯罪で天皇に戦争責任が及ばないようにした。天皇とマッカーサーの極秘の会談は11回に及んだ。決して公開されることはない密約が多数存在するのでは?
アメリカも日本に配慮し、マッカーサーの日本上陸を余裕を持たせた。それまでに日本政府は、天皇の戦争責任に関わる極秘文書を焼却した。
・1945年8月30日にマッカーサーが厚木飛行場に降り立った時、「ジェネラル石井はどこにいるか?」と言って、部下にその行方を探させた。
・アメリカ占領軍の上層部は、石井四郎を早くから探し出し懇意にしていた。1945年11月20日行方不明のはずの石井四郎と若松町の石井の家で6名の米軍将校と会食をしている。
・占領軍上層部は中国の情報や日本人捕虜によって人体実験・細菌戦の情報の大まかな部分はつかんでいたが詳しい情報は得ていなかった。
・占領軍上層部は、天皇を利用した占領統治を優先するため、天皇の戦争責任が問われる問題は、東京裁判では取り上げなかった。
・731部隊の事は、細菌兵器開発に後れを取っていたアメリカが、極秘に調査団を送って調査させた。
・731を調べる調査団が来日したが、サンダース、トンプソンの時は、731部隊員は人体実験の事を極秘命令なので口を割らなかった。
・1947年1月、ソ連が柄沢の供述から、人体実験の情報を得たので、石井の訊問を要求した。アメリカは、事前に石井から人体実験の情報を聞き出し、ソ連には、アメリカと組み、うまく芝居を打って情報を与えなかった。
・1947年6月にアメリカは、731部隊の人体実験に関するフェルレポート、12月にヒルレポートを作成した。
・GHQ法務部のニール・スミスが、「捕虜に対する人体実験及び解剖」という明確な罪状によって、平房の石井部隊、新京の第100部隊や東京の陸軍軍医学校の医師や関係者などを根こそぎBC級戦犯として法廷に持ち込もうとしたが、参謀2部のウィロビーが法務部の調査を中止させた。
・1948年1月26日「帝銀事件」が起き、捜査が731部隊に及びそうになると、またもやGHQは731部隊の関係者の捜査を中止させた。
・占領時アメリカは、郵便や報道を厳しく検閲し、日本国内で原爆の事や731部隊の情報が出ると厳しく取り締まった。1950年代に入り「ハバロフスク裁判資料」が出たが、ソ連のシベリア抑留などの戦争犯罪を隠すものだとしてまともに取り上げなかった。
・戦後731部隊員がアメリカに渡り、A(炭疸菌感染)レポート、G(鼻疽菌感染)レポート、Q(ペスト菌感染)を書き上げ、アメリカの生物兵器開発に協力した。 
・戦後、アメリカ政府・日本政府は731の情報【奉天の捕虜収容所の聞き取り文書やフェルレポートの各論、衛生学校記事(一部開示)、その他】を行方不明として隠して続けている!!



あの戦争が、侵略戦争であり、多くのアジアの人々の命を奪った事は、紛れもない事実であり、大変な犯罪行為であった。とりわけ、中国では、毒ガス戦・細菌戦を頻繁に行い、残忍な殺戮も多かった。



●日本医学会総会
日本で医学シンポジウムを開催、731部隊などの医学犯罪問題について討論する

日本医学会総会では、なぜ731部隊のことが話し合われないのですか?

まだ、戦中の思想から脱却できない?(密約の影響?上からの命令、731の事は口にするな!!)
科学動員・・・日本に近代科学が定着するのは明治期であるが、それは富国強兵策の一環としてであった。つまり科学・科学者ははじめから国家に奉仕する科学あるいは科学者であった。すなわち富国強兵のための手段の1つであったのだから。『消えた細菌戦部隊』常石敬一著より


ドイツ精神医学精神療法神経学会は戦時中の残虐行為について謝罪表明しているのに!!

戦争であれば、「お国のため」ということで残虐行為は許される?

天皇陛下が、慰霊の旅を続けられている。
天皇、皇后両陛下 70年前の戦跡残るパラオへ「慰霊の旅」

陛下は、731部隊跡地や南京には行かれないのですか?

ノーベル医学賞を受賞された山中教授や神の手を持つ天野教授などは、731をどの様に思っているのでしょうか?

安倍首相はなぜこういうパフォーマンスを故意にするのですか?

お祖父さんの岸信介は満洲に731部隊の施設が完成する頃にいましたが、岸は731についてよく知っていたのではないですか?
1936年(昭和11年)10月に満州国国務院実業部総務司長に就任して渡満。1937年(昭和12年)7月には産業部次長、1939年(昭和14年)3月には総務庁次長に就任。この間に計画経済・統制経済を大胆に取り入れた満州「産業開発5ヶ年計画」を実施。



●731問題

731部隊めぐる日本と米国の密約、ジャーナリストの近藤昭二氏語る

日本医学会総会と聞くと、この写真を思い出してしまう。戦後の医学界は731の事は、上層部の圧力で反省できないでいる!!
1942年、東大の安田講堂の前で撮られた記念写真、国家総動員法はすでに1938(昭和13)年には発令され、帝大の先生方は嫌がる弟子達を「お前を破門するぞ!」などと脅しながら731部隊へ送った。この写真には、石井(初代、第3代731部隊長)、北野(第2代731部隊長)、増田知貞(1644部隊、部隊長代理)など731部隊の日本医学会に於ける力を見せつけている!!東大・京大・慶大等の先生方は、治安維持法におびえ、国家に協力せざるを得ない状況に追い込まれていた!!もちろん、積極的に陸軍軍医学校防疫研究室(新宿)の嘱託となり、731に指示を出していた先生?方もいた!!皇国日本の為に?

医学者も「八紘一宇」のための戦争に駆り出された!!
「医の倫理の問う」p60秋元寿恵夫著より(勁草書房)

「医学者たちの組織犯罪」p222常石敬一著より(朝日新聞社)

細菌戦部隊と自決した2人の医学者(常石敬一、朝野富三著)より(新潮社)



中国侵略旧日本軍第七三一部隊遺跡中心エリアでの考古整理作業が完了
復元されつつあるロ号棟(捕えられた中国人・ロシア人などがここに入れられ、様々な生体実験、生体解剖がなされ、細菌兵器の開発を進めたところ)
ハルピンの731部隊跡(現在)




・「歴史を踏まえた日本の医の倫理の課題」などより浮かぶ数々の疑問!!
2015/04/12 【京都】医の倫理—過去・現在・未来— 日本医学会総会2015関西並行企画「歴史を踏まえた日本の医の倫理の課題」(動画)
封印された真実1

上記の動画などからの抜粋や想像。
・731部隊や100部隊は、昭和天皇(大元帥)の裁可をうけて軍令陸甲第7号が出され、平房や長春に設置された。
・731部隊では、日本の大義(お国、医学の進歩)のため、医の倫理は全く無視され、人体実験(生体実験・生体解剖)が日常的に行われた。
・お金が余りない日本にとっては、その人体実験を通して、日本軍は細菌爆弾・細菌兵器を作ることが急務であった。
・1999(平成11)年9月22日の東京地裁の判決・・・731部隊については、「…1938年、満州国ハルビンの平房に731部隊のため数十棟の建物を備えた研究所と付属の飛行場が建設された(…細菌兵器の大量生産、実戦での使用を目的としていたものであり、そのため、『丸太』と称する捕虜による人体実験もされた。…〈証拠略〉が具体的であり、右の存在と人体実験がされていたことについては、疑う余地がないと認められる。)。」と認定した。
・1997年の細菌戦の訴訟が起きて、一審、二審の裁判では、細菌戦による原告らの被害事実と日本の国家責任を認定している。時効が成立しているので、賠償と謝罪は認められなかった。その判決文の中で、これ以上の高次な判断は国会の場でやって対処してもらう。という結論を出している。
裁判所が、事実認定して、最高裁で、国会で高次の判断を出しなさいと言っているのに、政府の方は何の動きもしない!!
・細菌戦を実施したことを示す金子順一論文発見(2011年)
七三一部隊等の旧帝国陸軍防疫給水部に関する質問主意書
・731の番組を作るとき、日本からの情報が出てこないので、アメリカや中国、ソ連の情報を使って、モザイクをしていくような作業で確定して行く。
・敗戦時、日本の将官が命令を出して、日本軍の証拠を2晩かけて焼却処分した。
・習近平体制になってから731部隊の資料(関東憲兵隊の資料)も500ページ平均のものが84冊出している。政府が督励している、国家プロジェクトとしてやっている。日本は隠すばかり、国家間の差がはげしい。日本政府はずっと無視している。ごくわずかの研究者しか検討していない。
・日本政府は731部隊の存在は認めているが、そこで人体実験が行われた事も、中国で細菌戦を行い、被害者が多数出た事も認めていない。
・人体実験が行われて、細菌兵器を作っていたことが全世界にばれると、戦犯として昭和天皇(大元帥)が裁かれるので、日本は、ソ連が参戦するとすぐに731部隊を完全に破壊して、証拠湮滅を急いだ。マルタ(被験者)は全て殺して焼き、松花江(しょうかこう)に捨てた。隊員家族は真っ先に日本へ帰還させた。(多くの残留日本人がいるにもかかわらず)
・マッカーサーは、厚木の飛行場に降りる前から日本軍が生体実験、細菌兵器の開発をしていたのをある程度知っていた?アメリカは日本の文化の特質を研究していた。「菊と刀」の文化より、天皇に対しては忠誠を強いられていることを知っていた。その天皇を使って占領政策を円滑にしようとした。
だから、帝銀事件が起き、731部隊員に捜査が及ぶ事になると、国民に731部隊のことがばれるので(その結果、天皇にもその責任が及ぶ事にもなりかねない)マッカーサーはGHQ法務部の731部隊の調査はやめさせた。極秘に731部隊の事を調べ、データ収集する中で、731部隊員を全員免責にした。軍医であった増田知貞も、取調べ後、公職追放を解かれて大学教授の夢が見えてきたが、直後にオートバイ事故で死亡した。
1945年6月の報告書

・サンダースが平房を視察しようとするとマッカーサーはやめさせた!!(天皇の責任にかかわるから?)

・1945年の敗戦の年の11月に行方不明のはずの石井はアメリカ人将校にディナーを振舞っている。
・天皇を戦犯訴追すると、アメリカの交渉相手がなくなってしまう。天皇家の資産は相当だった。
天皇家の財産
・マッカーサーと天皇の会談は11回極秘に行われ、沖縄の事、731の事、原爆の事さまざまな事について話し合われ、すべて内容は極秘??
密約は731部隊についても存在する?
・731部隊は「バターン死の行進」で生き残った捕虜に奉天監獄で、生体実験を行った。
・奉天監獄で捕虜だったアメリカ人がアメリカ政府に訴えた公聴会の記録も非開示。その事が全米にばれると、731の事が問題になる?アメリカ政府自体が責任を問われる。天皇の事も。だからアメリカと日本を密約を結んだ。情報の非開示。
・クリントン政権では、戦時中のアメリカや日本の情報が情報公開などによって、結構見られたが、ブッシュ、オバマになってからは情報を出していない。日本とアメリカが非開示ということで密約している?
・フェルレポートに列挙された19本のレポートの1つも出ていない。アメリカ政府も開示していない。
・防衛省は衛生学校校長だった金原節三(きんばらせつぞう)が寄贈(2028点)した文書の一部を、市民が裁判を起こしてやっと出したが、肝心な部分は出さない!!最初の3年間のところは4冊しか出していない。金原節三は1941年当時陸軍省医事課長で細菌戦に関与していた。裁判は継続中。
・日本政府にアメリカが返還したとする731部隊の文書を問い合わせても行方不明としてきちん資料を出さない。
・戦後、731で研究されて書かれた論文が、京大や東大などで公然と認められ、博士号が授与されている事実!!(もちろん人体実験のことがあからさまに書かれている。)以下は、西山勝夫氏(滋賀医科大学)の『731部隊関係者等の京都大学における医学博士の学位の授与過程』より

・日本医学会は731の犯罪を追及しようとしている人たちの意見を無視し続けている!!
(『日本医療の原罪』(高杉晋吾著)p16より

・鬼塚氏などの書物を読むと、天皇は2発の原爆投下のことはあらかじめ秘密のルートから情報を得ていた。東京大空襲の情報も得ていたのかもしれない。
アメリカは、取引相手を初めから天皇にしていたのでは。だから、東京大空襲では皇居は狙わなかった。(一部は損害を蒙ったが)
・日本医学界の縦社会を、(体育系)を象徴する例。(教授の言ったことには逆らえない!)
九大生体解剖事件で若い研究生が米兵を採血した後、石山教授が「海水を注射しろ」と言うと、「もうその実験はウサギの実験でやっていますからいいじゃないですか」と返すと、教授は「ウサギじゃ意義?がない」と言って、強行させた。
・中国では戦後70周年ということで731部隊跡の世界遺産への申請に向けて準備が進んでいる。また、細菌戦被害地では、細菌戦の検証ということで「史料集」などがたくさん出る予定!!中国へ行ったときに日本人は過去に中国でどんな事が行われたかを知らないで行くと、驚くことばかりかもしれない。



●天皇と731の関係は?

・天皇は生物兵器に関心があった。(『死の工場』シェルダン・H・ハリス著(p229)

1925年9月赤坂御所に生物学研究所設置「昭和天皇」p61ハーバード・ピックス著(講談社)

1925年、ジュネーブ協定締結・・・毒ガスの禁止だけでなく、ポーランド代表の提案を入れ、細菌兵器の使用禁止もうたっている。・・日本とアメリカは批准しなかった。石井四郎、遠藤三郎に細菌戦の重要性を主張!!「医学者たちの組織犯罪」p60 常石敬一著より(朝日新聞社)

天皇の神格化1928(昭和3)年即位の礼(天皇:大元帥27歳)(約1年間かけて行われ、最後は大嘗祭)裕仁は現人神(あらひとがみ)になる。
27歳の若さで現人神?頭の中では大日本帝国の夢が膨らんでいたのであろうか?
昭和3年(1928年) 昭和天皇 即位の大礼


大日本国憲法では
第三條
天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
第四條
天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ
第十一條
天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
となっている。天皇が神で神聖であり、元首であり、陸海軍に責任を持つことになっている。

ところが戦後補償裁判では「国家無答責」の法理によって、国・天皇の責任が一切追及されない。
何で、戦後も旧憲法が生きているのか?
(参考)国家無答責の法理(こっかむとうせきのほうり)とは、国家無答責の原理ともいわれ、大日本帝国憲法のもとでは官吏は天皇に対してのみ責任を負い、公権力の行使に当たる行為によって市民に損害を加えても国家は損害賠償責任を負わないとする法理をいう。

1925年・・・治安維持法制定(国体(皇室)や私有財産制を否定する運動を取り締まることを目的として制定された日本の法律。)


・1928(昭和3)年、昭和天皇の即位式・・・ほぼ1年かけて現人神・大元帥になった。(27歳)
日本軍が将来犯すことになる戦時虐殺の土台もこの時期に築かれた。1928年、田中内閣は化学・生物兵器禁止国際議定書〔1925年調印の「窒素生ガス、毒性ガス又はこれらに類するガス及び細菌学的手段の戦争における使用の禁止に関する議定書」のこと。日本の批准は1970年〕の批准を見送った。翌年には枢密院が軍の要求に応えて、ジュネーブ捕虜条約の批准を保留した。枢密顧問官は、天皇の兵士は捕虜になる事を許されない以上、捕虜の処遇に関する条項は寛大すぎてとても実行できないと言う。・・「昭和天皇」p170ハーバード・ピックス著(講談社)
・1929(昭和4)年、昭和天皇、陸軍軍医学校視察、どのような目的があったのか?(軍医学校の中に1932年に防疫研究室が設置され、33年に規模を拡大。多くの京大や東大の教授達が嘱託として働き、731部隊などにいろいろな指令を出した。)「陸軍軍医学校50年史」より
軍刀には不思議な力がある?



・小泉元中将と助教授を結び付ける唯一の“接点”も細菌戦部隊だった。小泉は陸軍省医務局長時代、細菌戦準備を提唱した石井四郎元中将の最もよき理解者の1人であったし、後援者でもあった。小泉元中将の支援なくして日本の細菌戦部隊はありえなかったと言ってもよい。
その細菌戦部隊とかかわり、そこで人体実験を強いられたのが、自殺した助教授である。彼は医学者としては、手を染めてはならない人体実験を繰り返し、その良心の呵責から死を選んだのである。
小泉元中将を、日本の細菌戦を推進し、大きな流れを作った人物と位置づければ、助教授はその流れに巻き込まれ、のみ込まれた1人といえよう。・・・
(『細菌戦部隊と自決した2人の医学者』常石敬一・朝野富三著より)
小泉親彦・・・1932年(昭和7年)、近衛師団軍医部長に就任。1933年、陸軍軍医学校校長。1934年(昭和9年)、陸軍軍医総監(陸軍中将相当官)となり陸軍省医務局長に就任。1937年(昭和12年)、官名が陸軍軍医総監から陸軍軍医中将に改められた。階級としては、軍医中将は軍医として最高位である。1940年(昭和15年)、勲一等旭日大綬章受章。1941年(昭和16年)、第3次近衛内閣で厚生大臣に就任、次の東條英機内閣でも留任した。
1945年(昭和20年)、連合国軍の取り調べを拒否し、割腹自殺を遂げた。
軍医時代の小泉の大きな仕事
1、厚生省設置の推進  2、日本における毒ガス戦の基礎を築く  3、防疫研究室新設に協力し、この近衛師団軍医部長を兼務していた時、近衛師団の土地約5000坪の土地を「譲与」した。(1933年10月、新たな防疫研究室完成)
・厚生省とは国民の健康を増進するために作られたのではなく、強い兵隊を作るために作られたのか?
・毒ガスの人体実験は平房の731部隊の施設で516部隊と合同で行った。
・陸軍軍医学校と防疫研究室は、地下道でつながり、その地下道には、コンクリート製の水槽があって、ホルマリンの中に死体が、15、6体浮かんでいた。(『証言731石井部隊』郡司陽子著)(731部隊で、生体解剖したものを飛行機で研究室まで運んだのか?)
小泉親彦(こいずみちかひこ)

1928年~30年 石井ヨーロッパ視察、1933年背陰河(はいいんが)に秘密裏に東郷部隊設置
1933年防疫研究室完成(731部隊の司令塔)、1936年(陸軍軍医学校50周年)遂に防疫機関(731部隊)の新設をみるに至れり。(天皇の軍令に基く)
ここで、防疫研究室新設の理由として、欧米各国と比べ「我が国に之が対応施設なく」と述べられている。しかしすでに軍医学校にはこの研究室より規模も大きく、名称も似かよっている「防疫部」が設けられていたのである。対応施設云々こそ、細菌戦研究の研究室である事を、暗に認めたものであろう。この表現でも、一般に公開することを予定した文書においては、ぎりぎりの線であろう。・・・・・・
「同機関は内地防疫研究室と相呼応して皇軍防疫の中枢・・・・」の部分
満州の部隊は形式上関東軍に所属するが、東京の軍医学校と密接な連絡を取りながら、業務を行う、ということだろう。
(『消えた細菌戦部隊』常石敬一著より)
『陸軍軍医学校50年史』P184

防疫研究室『陸軍軍医学校50年史』より

731部隊全景(『続・悪魔の飽食』森村誠一著)

・4宮殿下、陸軍軍医学校50周年式典にご臨席・・・731部隊(細菌戦)・毒ガス戦にかける思いも強かったのでは?
閑院宮(かんいんのみや)・・・1931年~40年陸軍参謀総長
梨本宮・・・元帥、敗戦後、神宮祭主であったことから国家神道の主体的な頭目であったとみなされ、皇族としてただ1人A級戦犯容疑者に指定されて、巣鴨プリズンに拘置された。1937年6月、対中戦争への突入を東条と協議するため満州を訪れたのは、他ならぬ梨本であった。この意味では彼は全8年に及ぶ地獄のような戦争の開始者であった。(「天皇の陰謀」(上)p201)
朝香宮・・・1937年(昭和12年)12月2日、上海派遣軍司令官を拝命し、直後の南京攻略戦に参加。南京大虐殺に関与。
東久邇宮(ひがしくにのみや)・・・太平洋戦争時は防衛総司令官・陸軍大将に就く

・4宮殿下陸軍軍医学校の50周年の式典に臨まれる。


陸軍軍医学校50周年記念行事について
細菌戦の予行演習?731部隊員増田薬剤官同乗。(夜の宴会:「よし、細菌戦で行こう!乾杯!」?

久邇宮(香淳皇后の父親)・・・生物学戦争についての情報を提供し続けた?

・永田鉄山・・・石井の特に細菌戦研究についての主張は、陸軍省や参謀本部において次第に支持を集めて行った。彼の意見を支持した人間のうち最も有力な人物が、1931年当時陸軍省軍務局軍事課長(陸軍中佐)で、1934年には実質的に最も力を持っていた局長である軍務局長(陸軍少将)に就任する永田鉄山だった。ちなみに、後に石井部隊が創設されてから、部隊長の石井の部屋には永田鉄山の胸像が飾られていたという。国家総動員を唱えていた。(『消えた細菌戦部隊』常石敬一著)

・1937年(昭和12年)・・国民精神総動員【第一次近衛内閣が1937年(昭和12年)年9月から行った政策・活動の一つで、「国家のために自己を犠牲にして尽くす国民の精神(滅私奉公)を推進した」運動。】「国体の本義」(神勅や万世一系が冒頭で強調されており、国体明徴運動の理論的な意味づけとなった。)
・1938年(昭和13年)・・国家総動員法発令【総力戦遂行のため国家のすべての人的・物的資源を政府が統制運用できる(総動員)旨を規定したもの。】
・1941年(昭和16年)・・「臣民の道」7月の第3次近衛内閣時に文部省教学局より刊行された著作である。欧米の個人主義思想を否定し、ただ国体の尊厳を観念として心得るだけでなく、国家奉仕を第一とする「臣民の道」を日常生活の中で実践する在り方を説いている。
戦陣訓発表 (生きて虜囚りょしゅうの辱はずかしめを受けず、死して罪禍ざいかの汚名おめいを残すこと勿なかれ。)


1940年(昭和15年)皇紀2600年?に東京オリンピックを開催する予定だった。

道徳の強化、「日の丸」・「君が代」の強制、秘密保護法で隠す動き、軍事力強化、集団的自衛権を行使可能にする流れは
何か昔の動きと似ていませんか?

オリンピックよりも、脱原発、福島・東日本の復興にお金をかけたらいかがですか!!

●権力側の都合の悪い情報を「国益を損なう」と言って隠すことはあってはならないことだと思う。
情報をもっと公開せよ!!

「日本では戦争について反省をしていない人々が権力を握っており、これが日本とアジアの人々にとって非常に深刻な問題になっている」

加藤典洋(かとうのりひろ)
過去の自分の国が為した間違いを「謝る」こと、自分たちの「誤り」を認め、それと向きあうことが、戦争の死者の「無駄死に」に応え、自分たちの道義の「強さ」「まっとうさ」「未来性」のカギとすることで、彼らの「死」を弔うことにもつながる。
慰安婦、日韓併合、中国侵略…「謝罪は戦争の死者たちを哀悼する行為でなければならない」―日本を代表する思想家


日本の真相 鬼塚英昭


天皇の陰謀 はじめに



731部隊展開催のお願い



●日本は1925年のジュネーブ議定書を無視し、主に中国で毒ガス兵器、細菌兵器を多用した!!
閑院宮参謀総長が出した毒ガス使用の指示!!
日本鬼子のおきみやげ(毒ガス)


初めて知った戦争「大久野島」「731」


元をただせば、敗戦時アメリカが、天皇の戦争責任を回避した事につながる。密約が存在するのではないか?
アメリカは、731の戦争犯罪よりも、その細菌兵器に注目し、共産主義の台頭に脅威を感じていたのか?
当時、国家元首の昭和天皇と取引をし、沖縄を軍事基地化し、731の犯罪を免罪し、その細菌戦のデータを本国での遅れた細菌戦研究に利用しその後の戦争で細菌兵器を使用した。また、広島・長崎の2発の原爆投下の残虐性についてはマスコミには情報をシャットアウトさせ、医学界には放射能の体に関する影響の研究や発表を禁止させた。ただただ、日本の医学界は、731の免責を乞うために原爆の被爆調査に全面協力し、資料をアメリカに提供した。

封印された原爆報告書

封印された原爆報告書

アメリカは731の犯罪に目を瞑り、日本は、アメリカの原爆の犯罪に目を瞑っている。
その後、アメリカは「アトムズ・フォー・ピース」の下、CIAのスパイ中曽根・正力を使って、原発を推進し、54基もの原発を狭い日本に設置し、2011年福島の大惨事!!医学界は、放射能の被害については過小に評価。

原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~

原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~




●殺された人の霊が、歴史を否定する日本政府・日本国民を訴えている!!
「戦争犯罪をごまかそうとしている者がいる」中国外交部長が国連で安倍批判




●731問題
展示会を企画した日本人医師は「歴史を歪曲したり、隠そうとしてはいけない」と述べ、安倍政権を批判した。
旧日本軍731部隊の蛮行を反省、日本の医師らが企画展を開催=韓国ネット「日本でそんなことが?」「日本が少しずつ変わっている」
日本政府、「731部隊」「慰安婦連行」などの書類を数日かけ廃棄 1945年、東京の夜空を焦がした公文書焼却の煙東京で「731部隊」関連映像上映、日本の侵略行為を日本人はどう感じたか?―中国紙

辞典に見る731の記述その2



オウムに関わった鈴木俊一と日野原重明と731部隊より
・山西省にあった731部隊の分遣隊の主計部の中尉だった鈴木俊一は東京都知事であり、自民党右派の主要なメンバーだった。鈴木の居た分遣隊は人体実験には関わっていなかったが、彼は731部隊の残酷な秘密を知っていたことを認めている。

・莇(あざみ) :少なくとも日本の医学界の中枢は、731部隊で行われていた医学犯罪の内容を知っていたと思います。当時の京都大学の医学部長も教授も何回もハルピンに行っているんです。そこで何が行われていたか知っていたはずだと思います。昭和14・15年には石井四郎が京大に来て生体実験の内容の一部を映写機で写しているんです。当時京大の助手としてそれを見た日野原重明先生が、2005年12月5日付けの朝日新聞に投稿しています。投稿の内容は、「私が京都大学の医局で学んでいた時、大学の先輩でハルピン特殊部隊の石井四郎中将が現地の様子を納めた写真フィルムをもって母校を訪れました。そこには捕虜たちの生体実験が映っていました。腸チフス・ペスト・コレラなどを感染させてから死亡するまでを収めたものです。見るに耐えられないものであり、今でも鳥肌が立ちます。」






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